コラム 南から北から
山の恵みとともにあった暮らし
古市さん、ご結婚おめでとう! 「結婚は墓場、墓場は天国」――30年前に人生の先輩で関西でプロテスタントの牧師をしていた方から贈られた言葉です。四国の大自然の中でのこれからの楽しい格闘にエールを送ります。
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田植えの終わった6月はじめ、仲間たちと町内の西山にある羽黒神社の散策を楽しみました。慶運年間(8世紀初頭)に藤原心元という人が越後から御神体を移したといわれる。山の中腹にある神社へ続く参道を山野草に詳しい方の説明を聞きながら3時間かけて登りました。参道の入り口に茂っていた笹には花が。60年に一度花が咲き、翌年には枯れてしまうとか。最高齢の86歳の女性が「子供のころ母親が笹の実を餅にして食べさせてくれた」と一言。
ドングリの木として知られるコナラやミズナラも見られる。葉の小さいコナラは里山に、葉の大きいミズナラ(オオナラとも言われる)は標高の高いところにもあり、炭焼きに最適。ウルシがそこここに生えていてかぶれやすい私は要注意だったが、樹木をつたうツルウルシもあって、こちらはもっと毒が強い。秋には紅葉して美しいのに。葉がまだらになっているフイリ(斑入り)スミレは絶滅危惧種と言われるが、足元のあちこちに見られる。カエデも、ウリハダカエデ、コミネカエデ、アカイタヤカエデ、ヤマモミジと何種類も生えていた。山形県内には20 種類ものカエデがあるという。
40種類以上の樹木や野草の話に耳を傾けたころ、神社近くの大杉が見えてきた。樹齢は不明。一説には700年とも言われる巨木で、幹回り7メートル、樹高44メートル。今でも葉が生い茂る。木肌にはクマの爪痕も。昭和2年の飢饉で、当時は何本か並んで立っていた杉が切り倒されて売られ、村人たちの命を救った。木々や山菜など多種多様な山の植物が人々の暮らしを営々と支えてきた。
神社の境内で昼食を済ませたあと、参道とは反対側の道を行く。今では獣道に近い様子の道を下ったところに沢があり、沢を渡ると小さい広場がある。ここで毎年1回、鮎貝地区と山口地区の住民が一緒に祭りを行う。実は、江戸時代から昭和の初めまで、鮎貝村と山口村の山争いが続いた。
ことの始まりは、豊臣秀吉により上杉氏が越後から会津に転封(国替え)になったのに伴い、上杉の家臣だった中条氏が越後から家臣郎党を引き連れて鮎貝村に移住したことにある。それによって鮎貝村の先住者である農民らと新たに移住してきた武士の新地衆が鮎貝村の山を入会地として使うことになり、水や薪を獲りあう「入会地紛争」が起きた。
紛争は、明治以降、何度かの裁判闘争を経て、昭和初めにようやく決着。その後、両者の子孫たちが和睦のための祭りを毎年行ってきたというわけだ。
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この地の人々が、数百年の歴史の中で、豊かな山々の恵みに支えられ、時に諍い、時に助け合い生きてきたことに思いを馳せる1日となりました。
(疋田美津子:山形県白鷹町在住)