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市民環境研究所から

サルの振り見て我が振り直せ


 あれからもう1年が過ぎたのかと思い出させてくれたのは「ジパング倶楽部」から更新書類が届いたからである。昨年2月12日に東京に出かけた際に新幹線の切符をこのサービスで購入したのを最後、新型コロナに閉じ込められた1年だった。菅内閣は東京オリンピックを開催すると宣っている。そんな甘い期待が実現することはなく、これからの1年も新型コロナに振り回されると思う。

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 そんな気分の昨年末にサル騒動が町内で発生した。我が家は京都市山科区にあり、この地に住み出した50年前は、住民は「京に行く」と普通に言っていた。京の都は東山と西山に挟まれた盆地にあり、北には北山があるが南は淀川とともに大阪へと開けている。山科は東山を越えた洛外なので「京に行く」と言う。我が家は東山の峠を越えた直後の日ノ岡地区で、かつての東海道沿いにある。

 滋賀県の比叡山にはいくつかのサルの群れが生息しており、その内の一群が南下して山科区に入り、三条通を渡り、群れをなして果樹園の果物を食べに行き、食べ終わると比叡山へと帰って行ったという。もともと秋限定の行動だったが、15年ほど前に一群が東山山系に住みついてしまった。このことを本欄に書いたのは2005年の夏である。その後はもっと南方の山に定住したと聞いていたが、最近になって2頭連れが日ノ岡に出没するようになった。彼らは地上に降りて来ることはめったになく、屋根伝いに動くのを見るだけで、軒下にぶら下げておいたタマネギを取られるとかの被害は発生していた。向いの家の屋根を歩いている姿が散見でき、ここが最前線で地面を歩くことはなかったので安心して眺めていた。ところが、去年12月に地上に降りて生活道路を歩き出したのを見て、これは大変なことになったと思い、彼らの姿を追跡し、行動範囲を記録した。

 我が家の東側には三条通と五条通をつなぐ大石街道という自動車道があり、朝夕は渋滞することもある。この危険な街道は渡らないだろうと思えたので、隣近所に「サルが町内の生活道路を歩き出したので注意しましょう。とくに幼児がいる家ではドアを開けるときは注意して」と呼びかけた。そして年が明け、2月の初旬に、想像だにしなかった知らせが入ってきた。なんと、大石街道を渡って、小川沿いに1本だけある柑橘の樹に登っているのを見たという。さらに東進して住宅街に入り込み、小学校付近で子どもを引っ掻いたという。その後に檻をしかけて捕獲できたが、そんな生易しいことでは済みそうではない。離れざる1頭は終わったが、2頭連れが東山から下りてきた。

 以前も見たことがあり、心配をしていた群れが地面を徘徊し出した。京都府の獣害問題の委員会メンバーである友人に、どうしたらよいのか教えてもらったところ、『追い払え、ただし中途半端で止めるのではなく、サルが林に逃げ込んでも追いかけろ、姿が見えなくなるまで追いかけろ』という。老体の身にはつらい作業であり、町内の住民にも伝えはしたが、まだ効果はない。

 この東山山麓は三条通、五条通で南北に分断されているが、通を横切る術を身につけたサルたちは容易に移動できる。京都市の北部や滋賀県の比叡山や比良山の深山には多数のサルが生息していたし、今も居るだろう。彼らが深い山中で生活できなくなったのは、この百年くらいのことだろうと思う。筆者は滋賀県と福井県との境にある山麓に育ち、山を遊び場としていたが、山深くに生息しているサルに出会うことはなかった。そんなサルたちを京の街にまで出没せざるを得なくしたのは人間だろうと思う。人間が山を好き勝手に荒らしたからである。

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 新型コロナの影響力は量質ともにケタ違いで、地球規模にわたって人間社会を攻め続けている。これからも人間が生き続けて行きたいと思うなら、新型コロナウイルスやサルがそれぞれの範囲内で生きていける環境が維持されなければならないだろう。なぜ彼らが人間社会の真ん中まで出て来ざるを得なかったかを考え続け、環境破壊の主犯である人間のすべての振る舞いを点検し、自然との付き合い方を変えなければと思う。世界規模のパンデミックも、我が住宅街での小さな闘いも、人間の無礼な振る舞いが引き起こした現象だろうと思うのだが。

                                        (石田紀郎:市民環境研究所)



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