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連載 ネパール・タライ平原の村から(100)

書いてきた道を振り返る

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その100回目。


 この2月でネパールへ移住してから10年が過ぎ、連載もちょうど100回となります。この土地の人と同じ作物を植え、同じ家畜を飼い、同じ木を植え、同じ農業を営んでいます。

 そうやって住み続けていると、最初は頭で理解しようと頑張っていたことが長く暮らす中で、いつのまにかすっと身体に染みこんでくるようになってきたかも知れません。反面、単に長く住んでいただけのような気もします。

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 ネパールに来る前、よつば農産で働いていた頃。野菜がドサる(豊作で入荷が過剰になる)時期は、ひたすら検品していたのが忘れられません。水曜日の4時半からは会議で、隣に当時代表の津田さんがいて、正面に摂丹百姓つなぎの会の橋本さんがいて、僕は緊張しながら座っていました。そのうちだんだんと、ここで考えていることというのは、企画とか地場野菜とかいう枠を越えて、学ぶことがたくさんあることを意識するようになりました。

 ネパールのようにカタログ販売もホームデリバリーも、それどころか車道もないようなところへ行ったとしても、そことつながるようなことを学べるのではないか、と。それで週一回お会いする橋本さんの話をもっと聞きたくなって、当時は鈴木さん、田中さん、山口さん、片岡さんら5人で行っていた当研究所の農研究会にも参加させていただきました。

 農耕起源の人類史もソシュールも僕には難しかったけれども、必死に話を聞きました。突然、よつ葉を辞めると伝えた時は、「僕らも応援するよ」「藤井さん、どこへ行っても相手は同じ人間だから」「久しぶりにビビッと来た」「向こう行ったら一ヶ月以内にまず一筆送るように」と、よつ葉のおじさんたちの言葉が忘れられません。

 当機関誌でも、ネパールのような南アジアも話題にしてほしいと思っていたら、渡航後、この連載の執筆依頼がきて驚いた次第です。

 当初は停電と格闘しながら、計画通りでない計画停電表を参考にノートパソコンを町に持って行き、そこからお便りを送信。時に、メール1通送信することが一仕事のような通信事情でした。ただ当時、そのことで困っていたのは僕だけでした。それが数年前から自宅でもネットに接続できるようになり、「電気がない」「ネットがない」という言い訳も通用しなくなってきました。

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 『タライ平原の村から』で始まったこの連載。タライの中でも僕が暮らす地域は、インド国境沿いの低地タライとは異なる「内タライ」と呼ばれ、山地民の再定住プロジェクトの重点地域であることを後から知りました。タライと一括りにできない地域であったのです。そしていつのまにか『内タライの町から』にした方が相応しいのではないかと思えるくらい、ここでの暮らしは大きく変わりました。
■プン・マガルの祖先神の儀礼「ヤギの供犠」を撮る
 ここにもスマホ社会の一面が

 じわじわと生産と消費の分断の過程を目のあたりにしているのかも知れません。そうした状況と向き合ってみたり、疑問を投げる人、変容の中にあって変わらない暮らし……、そんなことを書き続けたいと意気込んでおります。まだまだ触れていない、書いていないことがたくさんある、と思うのです。

                                                               (藤井牧人)



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