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宝塚すみれ発電訪問 報告

市民発電所の取り組みと
再生可能エネルギーが開く可能性



 宝塚すみれ発電は、兵庫県宝塚市で市民発電所を設置・運営している。現在6号機まで稼働していて、それぞれ50kW以下の比較的小さな低容量の発電所だ。しかしその志は大きく、そしてパワフルだ。宝塚市の山間部である西谷地域におけるソーラーシェアリングの取り組みは、過疎地における一つの可能性を開くものとして大きな注目を浴びている。すみれ発電の代表・井上保子さんに再エネの取り組みと将来の展望についてお話を伺った。以下、その概要を報告する。


 2011年3月11日の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウンという大災厄を契機にして、原発に替わる再生可能エネルギー(再エネ)導入の必要性が語られ、多くの地域において実践が積み重ねられてきた。その取り組みに学び、私たちの活動に何らかの形で役立てることができればと、関西よつ葉連絡会・研修部会の主催で、2015年8月に兵庫県宝塚市において市民発電所を設置・運営しておられる非営利型株式会社「宝塚すみれ発電」を見学し、現在に至る経過と将来に向けた方向性についてお話を伺った。その内容については本誌第132号(2015.10.31)に報告している。

 あれから4年。宝塚すみれ発電の事業も着実に前進し、各方面から注目され、メディアにも取り上げられている。代表の井上保子さんはよつ葉の会員でもあり、再エネの取り組みについてもよつ葉の各所に幾度もお話をいただいている。井上さんによると「食べもの関係は、再エネに対してどうしてこんなに鈍感なのか」ということで、反省すべき点も多く、今回まとまったお話を伺うことができたので、すみれ発電の現在を報告し、共有することができればと思う。


ソーラーシェアリングの可能性

 すみれ発電の4号機が宝塚市の西谷地区で稼働し始めたのは2016年4月。太陽光発電と農業を結び付けるソーラーシェアリング(営農継続型発電設備)の試みだった。発電という言葉で私たちがすぐに思い浮かべるのは、火力発電や水力発電、あるいは原子力発電といった巨大な工業施設で、それが農業と結びつくのは理解しがたいのだが、太陽光パネルの普及にともなって、発電は身近な手の届くものとなった。ソーラーシェアリングは、その方式はいくつかあるようだけれども、田畑に支柱を立て、屋根の部分に発電パネルを並べるというもので、パネルとパネルの間に適当な空間を開けることによって、植物の生育に必要な光を遮ることなく発電と農業を両立させるものだ。それによって太陽の恵みを余すことなく活かそうとするものだと言える。

■すみれ発電4号機(ソーラーシェアリング)
             2019年12月23日撮影
 2013年3月に農林水産省が「支柱を立てて営農を継続する太陽光発電設備等についての農地転用許可制度上の取扱いについて」という通達を出し、支柱部分のみの転用で、農地として継続することが可能となった。転用(ソーラーシェアリング)が認められるためには、いくつかの条件を満たす必要があり、それは、簡易な構造で容易に撤去できること、一時転用許可を得る面積が必要最小限で適正と認められること、発電設備の下の農地で適切な営農が確実に継続されること、農作物の生育に適した日照量を保つための設計となっていることなどだが、さらに、発電設備の下の農地における作物の単収が、同じ年の地域の平均的な単収と比較しておおむね2割以上減少していないことが必要とされる。

 すみれ発電の井上さんは当初からその可能性に着目し、いつかは実現したいと考えていたと言う。その背景には山間地の農業をめぐる厳しい状況がある。

 宝塚市は兵庫県の南東端に位置し、宝塚歌劇団の本拠地である宝塚大劇場で有名だけれども、大阪、神戸のベッドタウンとして、また高級住宅地としても知られている。地形は南北に長く伸びているが、市街地は南部に集中している。北部は山間部で、西谷と呼ばれている。西谷は急速に過疎化が進む地域で、少し古いデータだけれども、2017年3月時点の人口は2554人で、15年前の2割減、高齢化率は41.9%だという。耕作放棄地も点在し、将来が不安視される中、「農業を守りたい」という思いで、井上さんたちは農地を維持しながら売電収入を得るソーラーシェアリングという仕組みに注目した。

 宝塚すみれ発電が設置・管理するすみれ発電4号機を含めて、西谷地区には現在8基のソーラーシェアリングが稼働している。井上さんたちとともに、すみれ発電と歩みを共にしてきた西谷の農家、古家義高さんをはじめ、再エネやソーラーシェアリングに理解を示す地元の農家が中心になって一般社団法人「西谷ソーラーシェアリング協会」を設立し、設備の設置を進めている。

 「ソーラーシェアリングというのは農業を持続していくための仕組みなのだ」と井上さんは言う。「FIT(固定価格買い取り制度:後述)によって、20年間は売電収入が確保される。FITは営農とセットになっているので、逆に言えば、20年間は農業を維持しなければならない。なんとかして農業を継続しようという縛りということもできる。国がいくら補助金を入れても、農村の衰退は避けられないだろう。これから優良農地がどんどん耕作放棄地として出てくる。農家個人に営農を任せてすむ時代ではなくなりつつある。だから、都会の人を西谷に呼び込むことが必要だ」。


  ■宝塚市の位置
 すみれ発電が運営する4号機の農地は古家さんの所有地で、宝塚市の市民農園になっている。市民農園をソーラーシェアリングで運営するにあたっては、行政との交渉にとても苦労したということだ。農地をソーラーシェアリングに転換するだけでもハードルは高いのに、おまけにそれを市民農園でやるというのはまったく前例がないということで、本当に苦労した。結局、市民農園のうち半分をソーラーシェアリングとするということで許可が下りた。広さは900平方メートル、地上3.5メートルの高さに180枚の太陽光パネルを並べている。2016年4月完成。46.8kWの発電能力を持つ。電力はコープこうべの「コープでんき」に卸している。

 下の農園部分はKOYOSI農園と名付ける市民農園で、コープこうべの組合員や管理栄養士らを養成する甲子園大学の学生がさつまいも栽培の農作業に参加している。甲子園大学にはソーラーシェアリングの農作物への影響を調べていただいているし、また六次産業を研究する栄養学部の学生によってレシピ開発が行われ、正規の授業として「食と地域の実践演習」でもソーラーシェアリングが取り上げられている。またレシピ開発にはコープこうべの組合員や商品開発部門の方も参加していて、甲子園大学の学生とのレシピ対決や商品開発を行っている。そのように、ソーラーシェアリングという方法を土台にして、都市部と農村部の間で電気が行き交い、市民が行き交い、作物が行き来する仕組みが出来つつある。「農業や食べものをめぐる危機的な状況の中で、再エネを使ってできることはなにかを模索しているのです」と井上さんは言う。


反原発から太陽光発電の事業へ

 さて、ソーラーシェアリングをめぐる宝塚すみれ発電の現在時点を概括したところで、すみれ発電の現在までの道のりを辿りなおしてみたいと思う。なぜなら、食べものの共同購入や反原発の市民運動から始まった取り組みが現在へと至る道のりには様々な苦労やそれを乗り越える工夫があり、それを知ることなしに成果だけを見ても、その本当に意味するところを知ることはできないと思うからだ。

 井上さんが今のような運動に関わったのは自らのシックハウス症候群をきっかけにして、食べものの共同購入を始めたことだったと言う。食べもののことに関心を持つと、その来し方(産地)と行く末(ゴミ)が気になるようになった。そこからすべての環境問題に関心を持つようになった。原発の問題はその一つで、しかも大きな問題だ。原発は建設前から地域のコミュニティーを壊し、地域を分断する。稼働後も立地自治体と周りの地域との激しい格差を生み出す。それが生産地を壊し、ひいては私たちの暮らしそのものを壊していく。また原発のゴミ(放射性廃棄物)がどこへ行くのか、誰も言えない。しかし、それは私たちの暮らしのゴミに他ならない。宝塚でもゴミ焼却炉からのダイオキシン問題があって、井上さんも原告の一人として市に対策を求めて裁判を闘った。

 1979年にアメリカのスリーマイルで原発事故があり、それをきっかけにして宝塚でも「原発の危険性を考える宝塚市民の会」が結成され、反原発の運動が始まった。井上さん自身は反原発の運動に関わりつつ、1985年から食べものの共同購入を始めるのだが、その直後、1986年に旧ソ連のチェルノブイリ原発事故が起こった。井上さんは講演のたびにそのことから話を始めるというが、その時、チェルノブイリから8000kmも離れているにも関わらず、北海道のよつ葉牛乳はその放射能に汚染され、三重県の有機栽培のわたらい茶は焼却処分を余儀なくされた。原発は食べものや環境にとって良いことはなにもないということを決定的に知らされた事件だった。

■すみれ発電4号機前の看板
 井上さんたちは反原発の運動を強め、関西電力(関電)の神戸支局にも交渉に出かけた。そこで関電職員から言われたことは「原発が嫌なら、対案を出してください。原発がなかったら、江戸時代に戻ります、それでもいいんですか。話のできない女子供は帰ってください」ということだった。まったく話にならない交渉だったが、それを通じて、対案としての太陽光発電というのを誰かが言い出した。日本の太陽光発電の基礎を築いたと言われる大阪大学の浜川圭弘さんを招いて学習会をしたりした。1993年には専門家や電機メーカー関係者以外の個人としては日本で初めて太陽光発電パネルを設置し、電力会社に売電を行った井口正俊さんという方もいた(井口さんのパネルは現在、すみれ発電の5号機として再利用されている)。太陽光発電が普及する時代が始まりつつあった。

 井上さんたちの思いが大きく動き出したのは、2011年3月11日の東日本大震災とそれにともなう東京電力福島第一原子力発電所の大事故をきっかけにしてだった。「再生可能エネルギーでまちづくりを」という訴えを宝塚市長に要望、市議会にも請願を提出した。働きかけが実り、請願が採択され、2012年4月、市に新エネルギー推進課がつくられた。一方で、井上さんたちはNPO法人「新エネルギーをすすめる宝塚の会」を立ち上げ、さらに行政との交渉を進めることになる。

 2012年7月にはFIT(固定価格買い取り制度)ができた。FITとは再エネ普及のために、再エネで発電した電気を一定期間中は同じ価格で電力会社が買い取ることを国が保証したもので、10kW以上の太陽光発電は20年間買取価格が保証される。その費用は再生可能エネルギー発電促進賦課金(再エネ賦課金)として電力料金に加算されるというもの。制度ができたことによって、具体的に市民発電所をつくろうという計画が動き始めた。

 1号機が完成したのはこの年の12月。西谷地区の耕作放棄地に設置。賛同する市民の手づくりで、新エネルギー推進課の職員も参加して行われた。発電規模は11.16kW。費用の315万円は1口10万円の私募債という形で、NPOが30口を集めた。2号機は1号機のほぼ一年後、市街地近くのお寺の敷地に設置。47.88kWの大きさで、発電量としては15軒ほどの住宅の電力量となる。費用は1800万円。社債という形で出資をつのり、また1000万円を銀行から借り入れた。銀行との取引と売電事業を担うために、NPOを母体にして、合同会社を経て、非営利型株式会社「宝塚すみれ発電」を組織した。

 2号機をつくるにあたって株式会社を組織したあたりから、井上さんは任意の市民団体から事業者としての立場への移行を意識したと言う。

 ■井上保子さん

 「市民一人ひとりの善意を出し合って、みんなの力で市民発電所をつくりました。しかし、それで終わってしまう取り組みが多かったんです。きれいごとで終わってしまうという悪いパータンです。儲けに走るのではなく、いかに続けていくか、いかに次の方向を見出していくか。事業者としての目線が必要です」。

 さらに、その当時、FITが動き始めたとき、「市民や環境問題に関係する団体や企業などは、もっとどん欲に取り組むべきだった。再エネや太陽光発電に関して、食べもの関係の団体は、生協やよつ葉さんも含めて、疑心暗鬼だった。その間に、営利企業がどんどん発電事業に飛びついていった。消費者はもっと勉強して、再エネに取り組むべきだったと思います」と言う。

 非営利型株式会社「宝塚すみれ発電」は株式会社ではあるけれども、定款にあえて非営利であることをうたっている。事業活動で出た利益は地域貢献、社会貢献にまわす、具体的には市民発電所の普及・建設にまわすということだ。もともとは大学のベンチャー企業が使い始めた言葉だけれども、活動の意気込みを表すために使っている。また市民発電所であることを端的に表すのが非常用コンセントの設置だ。災害時には市民発電所の電力が市民に開放されることになる。停電など災害の緊急時には役に立つだろう。

 すみれ発電は発電所の設置・運営の事業活動を行い、一方でNPOは再エネの普及・啓発に特化して活動している。具体的には学校で再エネに関する授業を行ったり、再エネに関する相談を受けたり、またエネルギーカフェというお祭り的なイベントも行っている。発電自転車、ロケットストーブ、ソーラークッカーなど、いろいろな実演を行ったりして、再エネを身近に感じる取り組みを行っている。

 3号機は行政との協力のもとに設置された。1、2号機の実績も踏まえつつ行政と交渉する中で、2014年6月に宝塚市に「再生可能エネルギー推進のための基本条例」が制定され、「宝塚エネルギー2050ビジョン」が定められた。それを受けて、宝塚市との共同事業として「市民発電所設置モデル事業」を行うことになり、その事業者として選定された。市の土地を無償で借り受け、設置・運営をすみれ発電が行っている。45.36kW。井上さんたちの働きかけで、兵庫県の「地域主導型再生可能エネルギー導入促進事業」として、20年間最大1000万円無利子貸し付けというのが実現し、それを利用。また一方で無配当ファンド「宝塚すみれハート2015」という試みも行った。1口5万円で、100口、再エネというのは未来へのプレゼントだという市民の思いが集まった。


山間部における再エネの取り組み

 このように着実に実績を積み上げてきた宝塚すみれ発電だが、井上さんの思いの先にはつねに西谷地区があったと言う。西谷地区が過疎化に見舞われる山間部の地域だというのはすでに記したとおりだけれども、一方でまた「西谷は再エネの宝庫だ」と井上さんは言う。地区には酪農農家もあり、現在600頭もの牛が飼われている。消費者グループの共同購入運動がつくった「たからづか牛乳」というのもある。その消費者グループは残念ながら今は解体してしまったが、たからづか牛乳は今も続いている。西谷というのは、ただ過疎の地域であるだけではなく、農業生産の場であり、また環境省から「生物多様性保全上重要な里地里山」に選定されている自然豊かな場所でもある。

■西谷のソーラーシェアリング1号機
2018年4月2日付『神戸新聞』(電子版)
 再エネを通じて、地域の振興に取り組みたいとの思いは、すでに述べたように、ソーラーシェアリングのすみれ発電4号機として一つの実を結んだ。3号機と同じく兵庫県から1000万円の無利子融資を受け、そこに市民出資を加えて設置費用1800万円を用意した。さらに地域の農家を主体にした「西谷ソーラーシェアリング協会」は、すみれ発電4号機も含めて、現在計8基の太陽光発電を設置している。そこではもちろん農家が米や野菜を育てているが、市街地の市民が畑を借りて農業を営んだり、また進学塾の子供たちが「夏休みの校外学習」として野菜を育て、収穫を楽しんでいる。井上さんや協会の古家さんは西谷を“ソーラーシェアリングの里”として育て、新規就農者や市民農園を増やし、地域の産業を次の世代につなげていきたいと願っている。

 ソーラーシェアリングという手法を通じて、発電と農業を結んだ取り組みを進めているすみれ発電だが、さらに酪農の分野を視野に収めようとしている。具体的には酪農から出る糞尿を使ったバイオガス利用、バイオガス発電だ。一般にバイオガス発電は家畜の糞尿、食品廃棄物、下水道汚水などの有機ゴミを発酵させて可燃性のバイオガスを取り出し、そのバイオガスでガスエンジン発電機をまわすものだ。バイオ原料の残り(消化液)は雑草種子や病原菌を含まない安全な肥料として二次利用される。また、バイオガスを直接の熱源として利用することも推進されている。

 すみれ発電では西谷地域でバイオガス利用を推進しようとしているが、一方で、丹波の方でも取り組みを進めている。丹波市での酪農といえば、ごく最近、本誌172号(2019.4.30)号で、兵庫県酪農農業協同組合に属する酪農家にその現状を語っていただいた。そこで語られたのは酪農をめぐる厳しい状況だ。1977年当時、氷上郡全体(現丹波市)で160軒の酪農農家があったが、それが今では12軒になってしまったという。さらにTPPや日欧FTA、日米貿易協定によって、乳製品の関税は大幅に下げられ、あるいは撤廃される。その影響は計り知れない。また市島町には堆肥処理施設「丹波市立市島有機センター」があるが、畜産(とくに酪農)における糞尿処理は大きな問題になっている。

 このような酪農をめぐる状況の中で、すみれ発電はバイオガス利用、バイオガス発電を進めようとしているのだが、そこに至るステップとして、すみれ発電5号機として、酪農組合の製造部門として分社化した丹波乳業株式会社の屋根に発電パネルを設置した。

 丹波乳業の製造する氷上低温殺菌牛乳はもともと安心・安全な牛乳を求める消費者グループの働きかけによって1985年に生まれたものだが、酪農家の減少や消費量の減少によって存続が厳しくなっていた。そこで新たな支援を目指そうと消費者グループが結束して一般社団法人「みんなの低温殺菌牛乳協会」を設立。それに並行して丹波乳業に太陽光パネルを設置した。もともと太陽光発電のパイオニアである井口さんが使っていた中古パネルを再利用し、そこで作り出された電気は売電するのではなく工場で自家消費し、それに応じた電気料金をすみれ発電が受け取る形。FITに頼るのではなく地産地消の「特定供給」という仕組みだ。資金の一部を「みんなの低温殺菌牛乳協会」がクラウドファンディングで集めたという。丹波乳業といえば、丹但牛乳や氷上低温殺菌牛乳をよつ葉でも扱っているし、酪農組合の農家は能勢農場への素牛の出荷元としてとても縁が深い。その取り組みが丹波の酪農にとってどのような展望をもたらすのか注視したい。

 参考のために、当初2012年に40円(/kWh)だったFITの買取価格は2018年には18円に下がっている。これは再エネの普及には足かせになるかもしれないが、一方で太陽光パネルの値段も劇的に下がっていることに注意したい。厳しいながら採算性はあるとも言えそうだが、井上さんは「FITありきではなく、自分たちで使う電気は自分たちでつくるという思いが出発点。電力会社に売らずに地域で電気を消費したらいい。そのためのアイデアはいくつもある」と言う。丹波乳業への「特定供給」はその一つだろう。


北摂里山地域循環共生圏構想

 現在、井上さんが精力的に取り組んでいるのが「北摂里山地域循環共生圏構想」だ。すでに述べたように、宝塚市の山間部は西谷と呼ばれる地域だが、同様にして、猪名川町の山間部は中谷、川西市の山間部は東谷と呼ばれ、そこを貫いて北摂里山街道が走っている。そしてその一帯を総称して北摂地域と呼びならわしている。その里山地域でエネルギーを生み出し、農村と都市とをつなぐ循環を作り出そうというのが北摂里山地域循環共生圏構想だ。


 ■北摂里山地域循環共生圏の相関図 https://www.hokuces.jp/

 地域循環共生圏構想というのは環境省が策定したプランで、2018年4月に閣議決定された第五次環境基本計画で提唱された。国連「持続可能な開発目標(SDGs)」や「パリ協定」といった国際的な課題を踏まえ、各地域が美しい自然景観等の地域資源を最大限活用しながら自立・分散型の社会を形成しつつ、地域の特性に応じて資源を補完し支え合うことにより、地域の活力が最大限に発揮されることを目指すというものだ。

 地域循環共生圏構想には、2019年度には全国で35件のプランが選定された。そのうちの一つが北摂里山地域循環共生圏だが、絵に描いた餅になりそうなプランが多い中で、北摂地域ではすみれ発電の取り組みが大きな柱になっていて、その事業はすでに見てきたように、地域から着実に積み上げられてきたもので、いわば下から上へとせりあがってきた取り組みで、まず内実があり、その内実をもって大きなプランに入っていったという点で、特筆すべき特徴をもっていると言える。

 北摂里山地域循環共生圏の資料によると、その目指すところは、西谷、中谷、東谷の3地区それぞれの強みと弱みを補完し、融合を進めることで、豊かな自然環境を保全し、さらに近接する都市部住民との交流を積極的に促すことにより地域経済を活性化し、里山文化保全を中心とした地域循環共生圏モデルを形成することだ。核となる団体としては、川西市、宝塚市、猪名川町の代表者や、宝塚すみれ発電、国崎クリーンセンター、生活協同組合コープこうべ、兵庫六甲農業協同組合、甲子園大学、能勢電鉄、北摂里山文化保存会、神戸新聞社などがある。実現に向けた具体的な活動として、以下の5つを実施する。

 ①太陽光発電と農業を両立させたソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)の普及・拡大
 ②間伐材や剪定枝葉を原料とした木質チップやペレットの生産及び乳牛糞尿からのバイオガス生成等のバイオマスの利活用
 ③太陽光発電による電力及びバイオガス(バイオ燃料)利用によるクリーンで住民及び訪問者の需要に応じた地域交通システムの構築
 ④農畜産物や市民農園・家庭菜園からの農産品の需要と供給を結び付けた域内の取引システム構築による食の地産地消
 ⑤域内の住民参加による森林・里山保全活動

 これにより、域内での食料及びエネルギーの自給率(地産地消)を高め、バイオマスの利活用を進め、地域交通の利便性を高め、自然保全活動への参加を積極的に促す。

 それぞれの取り組みにおける活動主体とその内容についてはホームページに参加団体のインタビューが掲載されているので、それを参照していただきたい。

 宝塚すみれ発電は北摂里山地域循環共生圏というプラットフォ-ムに参加することによって、これまで積み重ねてきた活動をさらに展開していきたいと考えている。

 「今は西谷だけに事業ができているという状態ですが、地域にはいろいろな資源があります。たとえば、一市三町のごみ処理施設である国崎クリーンセンターではごみ発電が行われていますし、黒川地区にはくぬぎの山を守り、炭をつくっている人たちがいます。北摂里山地域循環共生圏構想は兵庫県の県民局の事業から県庁の所管に格上げされました。その事業内容はすでに私たちが取り組みを続けてきたものです。今後はそれをさらに横展開しなければならないと考えています。いろいろな団体とつながることが大きな力になる。地域循環共生圏構想はそのプラットフォームだと考えています。私たちの暮らしのすべての元である地域のコミュニティーそのものが壊れつつあるのです。私たちは再エネを使ってそれを再建する基礎にしたいと考えています」。


いま、持続可能な地域の時代へ!

 1月15日に神戸で、「いま、持続可能な地域の時代へ!」と題した講演会とセミナーが催された。主催は全国ご当地エネルギー協会。地域主導型の自然エネルギー事業に取り組む団体や個人のネットワークで、持続可能で自立した地域社会を実現するために地域主導型のエネルギー開発を協働して促進するために活動している。宝塚すみれ発電の井上さんは近畿地区の幹事を務めておられ、今回の企画を準備してきた。

 第一部は元経済産業省官僚の古賀茂明さんの講演。度重なる台風や豪雨災害など、気候危機が頭の中だけではなく皮膚感覚でとらえられるようになってきた現在、世界が再エネに向かっているのに対して、いかに日本が逆行しているかを、安倍総理「国連気候サミット締め出し」や小泉環境相「笑い者事件」、またガソリン臭が好きなトヨタ社長の恥ずかしいトヨタイズムについて熱っぽく語った。また関電原発マネー還流の事件についても、総括原価方式を土台にした利益バラマキによる支配と事業拡大、コストが高いほど利益が大きくなるという倒錯した電源開発について語り、社会の再生のために再エネが必要であることを力説した。自分の地域がどういう産業構造になっているか、お金がどういうふうに動いているか、しっかり分析することが必要だと。

 第二部は「持続可能な社会をめざす地域循環共生圏のつくり方」と題するセミナーで、パネリストは菅範明氏(兵庫県農政環境部環境管理局長)、古南恵司氏(宝塚市環境室地域エネルギー課課長)、井上保子氏(㈱すみれ発電代表取締役)、竹中久人氏(コープこうべ執行委員)、辻本一好氏(神戸新聞社論説委員)の各氏。モデレーターは前田利蔵氏(公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)関西副センター長)。

 各氏がそれぞれの取り組みについてスライドを使って説明した。

 宝塚市の古南氏は、2012年の新エネルギー推進課の設置から現在の地域エネルギー課に至る経過、特に、再エネ推進のための市条例とビジョンの制定に関して報告した。現在は、バイオガス導入の可能性調査を行っているということだ。およそ600頭の牛が飼われている西谷地域で糞尿処理としてメタン発酵を行い、発電と熱利用をし、消化液を有機農業に利用するという方向だ。
 ■バイオガス利用の概念図

 コープこうべの竹中氏は170万人の組合員を擁する生活協同組合として、エネルギーの供給は一つの使命であること、そのために2016年から電力の小売り事業を始めた(コープでんき)。現在は再エネ30%、大阪ガス70%だが、さらに再エネの割合を増やしていくつもりであることが報告された(ここにはもちろんすみれ発電の電力供給が含まれる)。また各事業所の屋根には太陽光パネルが設置され、事業所ごとのRE100(使用電力の100%を再エネで賄うことをめざす国際的なイニシアティブ)を目指しているという。

 兵庫県の菅氏は、CO2削減のために、2018年に39億kWだった県内での再エネ生産を2030年には70億kWにするという目標が語られた。また木質バイオマス利用を支援するために、自治体やNPOへの援助、人材の養成に尽力している。宝塚すみれ発電の関係では、再エネの取り組みに対して、無利子、無担保で最大3000万円までの融資を実現した経緯が語られた。

 神戸新聞の辻本氏は、細分化された縦割り行政ではなかなか難しい横の連携をつくるために「地エネと環境の地域デザイン協議会」を結成し、活動している様子が語られた。また、神戸市北区の弓削牧場での糞尿処理にともなうバイオガスと液肥の利用、コープこうべの食品工場でのバイオガス発電、神戸市の下水道汚泥を利用したバイオガス供給と発電、そこから出た肥料を利用した植物栽培など、実例を紹介した。

 ディスカッションでは、川西市北端の黒川地区が「日本一の里山」と言われ、そこで産出される炭が最高級の炭(菊炭)として茶道で使用されていることが紹介された。里山公園的なものではなく実際に燃料として使われているのはここだけではないかという。また、西谷地区の県有林で木質バイオマスの可能性を考えていきたいのだが、宝塚市単独では無理がある、北摂里山地域循環共生圏というプラットフォームができたのだから、ここで可能性を探り、方向性を見出していきたいという宝塚市からの意見。すみれ発電の井上さんからは、木質バイオマスに関してもなにをやっていくかを考えておかないと営利企業が踏み荒らしていく可能性がある、すみれ発電が住民から始まった企業だという特性をふまえて、きちんと地域で話し合ってやっていきたい。難しいけれども木質バイオマスの熱利用ということを追求したいという発言があった。また、神戸新聞からは古賀さんの講演における皮膚感覚を引き合いに、昨今の雨災害の増加を踏まえて、森林における防災の視点が重要だという指摘がなされた。そのこととエネルギー資源としての利用とを一体のものとして考える必要があるのだと。

 講演会・セミナーでは、北摂里山地域循環共生圏に関わる団体からそれぞれの視点が語られ、その具体像をある程度は知ることができた。今回の宝塚すみれ発電をめぐる報告の趣旨から言えば、食べものの共同購入や反原発の市民運動から出発した取り組みがその活動を発電事業へと深め、また展開をしていく中で、行政とのつながりや生協やさまざまな組織、個人とのつながりを生み出してきた、その延長の場所に北摂里山地域循環共生圏構想というものが生まれたのだということがよく分かった。

 今後の展開を注視したいし、できうればなんらかの関わりが出来ればと思う。

 「よつ葉憲章をもち、地域の農家とつながって持続可能な農業のことを考えているよつ葉さんだからこそ、再エネのことを考えてほしいのです。よつ葉憲章はSDGsそのものです。もっともっと働かせなければいけないと思います」。


再エネが社会を変えるということ

 雑誌「世界」の本年1月号に新潟国際情報大学教授の佐々木寛さんが、「〈文明〉転換への挑戦」と題した論考を発表している。そこでは、エネルギーの転換が社会を民主化する可能性について、あるいは、社会の民主化がエネルギー転換をもたらす可能性について議論している。それについて考える枠組みが、「エネルギー・デモクラシー」の議論であり、いわば「民主主義の下部構造」を問い直すものでもあるという。その議論が頭に浮かんだ。

 エネルギーはエネルギーだけの問題ではないということだろう。すみれ発電の井上さんにお話を伺っていて、彼女が何度も「再エネを使って、農業に役立てる。再エネをつかって地域を支える」という言葉を語っていたのを思い返している。出資も含めて、市民が力を合わせてつくった市民発電所、山間地での農業をめぐるソーラーシェアリングの試み、そして北摂里山地域循環共生圏構想。エネルギーは文字通り、社会の血液であり、再エネは社会を変えることができるし、社会は変わらなければならない。

 エネルギーはエネルギーだけの問題ではない。2011年の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故という大きな犠牲の中から、その反省の中から、一つのビジョンが具体的なものとして生み出されようとしているというのは大げさだろうか。東京電力や関西電力といった巨大独占企業の、巨大な原子力発電に依存したエネルギー供給と消費のうえに営まれる大都市の繁栄。それが原発事故や気候変動によって大いなる虚妄であることが明らかになりつつある現在、もう一つの、私たち自身が参画する再生可能エネルギーの重要性が浮かび上がりつつあると言えるだろう。

                                              (下前幸一:当研究所事務局)



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