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連載 ネパール・タライ平原の村から(94)

農業労働者が支える現代の田植え


ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その94回目。

 アサール月27日(西暦で7月12日)。例年の田植え日を参考に、近隣や周囲の田植えの段取りはどんな感じか、どんなふうに雨が降るか、田んぼの水もちはどうか等々を見極めて、田植え日を決めます。

 田植え前日、トラクターに代かきを依頼すると「3時ごろ」と言われ、3時ごろに連絡すると「8時ごろ」と言われます。了解しつつ、別のトラクターを探して順番を待ち、夜間照明灯をつけ10ガッター(33アール)を1分30ルピー(30円)で、100分間耕してもらいました。一斉に田植えが集中する時期、トラクター所有者にとっても稼ぎ時なのです。

 去年は12時に終わったことを思うと、今年は早く終わったと一安心。陽が沈むと一日が終わるこちらでは、あり得ない仕事ぶりです。

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 当日は早朝から、家の菜園の一画の苗代で、パルマ(同じ時間量の労働力交換)で呼んだおばちゃん1人、連れだって来たガンテ・ケタラー(時給・農業労働者)のおばちゃん3人、それに妻と義母らを加え、400束を目安に苗取りです。

 ガンテ・ケタラーの相場は、去年から1時間100ルピー(100円)。2013年に50ルピーと記録してあり、人件費は当時の2倍になりました。同じく2013年の記録に、「人手確保が毎年気になるところですがこの季節、おばちゃんらは百姓になるので周囲に少し声をかければ簡単に集まります」とあり、それは今も当時も変わりません。

 雨が降りしきる中、午後からの田植えは妻と苗取りの4人にもう1人加わり、途中から他で田植えを終えたおばちゃん2人も加わって8人。そして「私も」と、去年から一緒に暮らす8歳の女の子ラムリ(良い子の意味)もついて来ました。彼女には、田んぼに苗束を投げ入れてもらうことに。

 僕は束ねた苗をプラスチックの飼料袋に詰め、自転車の荷台に載せ、家と田んぼを何度も往復。途中、苗の袋を担いで畔を歩いていると、口をぶるぶる震わせたラムリとすれ違いました。自分なりの役目をだいたい果たしたようで、彼女に構ってられないこちらの忙しなさを察してか、一人無言で帰って行きました。でも、後で話を聞くと、ずいぶん満足気でありました。

 夕方、おばちゃんらも“そろそろ”という感じでしたが、運んできた苗を植えきるまではと、この時だけは超過勤務をお願いしました。翌日、不足分が何束くらい必要か計算しやすいからで、暗くなるまで田植えが続きました。次の日は、妻と僕とおばちゃん1人来てもらい、3人で残りを植えました。
 ■雨季、土が柔らかくなると畦を切り泥を塗り畦を修復

 今年、田植えに来た7人のうち、家族が食べるに足る1年分の米を作付けする水田所有者は1人。1人は1年分の米を作付けしているものの、水田は不法耕作地。3人は同じく不法耕作地で、わずかばかりの米を作付けするのみ。2人は農地をまったく所有していません。

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 おばちゃんらにとって、田植えは井戸端会議(おしゃべり)の時間でもあり、貴重な小遣い稼ぎの機会でもあります。言うに及ばず、僕らの毎年の田植えは、農地をほとんど所有しないキサーン(百姓)でありケタラー(農業労働者)である人たちの働きで成り立っています。

                                                               (藤井牧人)


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