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市民環境研究所から

それぞれの自治を取り戻すために



 季節外れの天候である。真冬から一足飛びに初夏になったようで、気候変化に老人の身体がついていかない。そんな不順な季節になる前の2月と3月は、毎日のようにザックを背負い、カバンを斜めにかけて、少なくとも3時間ほどは住宅街を歩き続けた。

 ザックやカバンの中には折り畳んだチラシが数百枚入っている。その日に歩く地域の住宅地図を持ち、チラシを各戸の郵便受けに入れ、終われば地図に赤字で印をつける。単純な仕事であるが、なかなか面白い。京都市会議員選挙の左京区選挙区に立候補した知人女性候補の選挙運動の一風景である。

 青地に白い文字で「I love peace」と書れた小さな旗を玄関や窓に飾りながら現政権を批判する静かな運動や、「ファーマーズ・マーケット」を毎月開催しながら、自分たちの願いを表現している女性たちの運動の中心にいた知人が、無所属で市会議員選挙に挑戦した。政策や選挙体制や街頭活動は女性陣が前面に出て闘ってほしい、年寄りの男は裏方でがんばるからと申し出ての選挙戦であった。

 筆者は久しぶりに歩き続けることにした。京都市左京区の面積は広い。北は静原や大原という山間部から南は鴨川に架かる三条大橋までと、南北に長い地域である。若い女性陣は小さな子どもを抱え、なかなか遠出はできないので、ヒマな老人は車で遠出をすることにした。毎日の歩数は2万歩以上だった。まだまだやれると自信があったが、選対責任者からは「ほどほどにしなさいよ」と心配してもらった。

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 チラシは1号と2号があり、それぞれなかなか斬新なもので、絵描きが書いてくれた鴨川の流れには、流域社会にある社会問題と政策課題が上手に描かれていた。百戦錬磨の他候補の政治・選挙チラシとは異質のチラシである。これが吉と出るか凶と出るかは分からないが、新しい選挙運動を展開したいとの一心はきっと伝わるだろうと信じての作戦である。

 2月、3月はまたたく間に過ぎ、選挙前日、チラシ配りが許容される最終日には、3万歩を越えてこの活動を終了した。他の方たちもそれぞれ頑張られたので、きっちり全戸にチラシは届いただろう。ほとんどはポストに入れるだけの作業だったが、玄関口に住人が居たら、「こんなものを書いたので読んでいただけますか」と声をかけて手渡した。ありがとうと言ってくれる人もあり、しばし世間話をすることもあった。山間部の静原では老婆が日向ぼっこをしながら読んでくれる風景を見ることもできた。

 かくして、定員8名に対して15名が立候補する京都市最大の競争率の選挙戦に突入した。結果は2989票の得票で、350票ほど不足しての落選だった。政党や団体の組織もない、まさに庶民の挑戦としては善戦と評価できるだろう。現職議員が2名も落選する厳しい闘いで、素人集団がこれほどの戦果を得たのだから、候補者本人も含めて、これからの自分たちの活動に自信を持ち続けていけるだろう。

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 なぜ組織も政党もない庶民が選挙に挑むのかと不思議に思われる人も多い。とくに左京区では共産党の候補者とのせめぎ合いも激しくなり、彼らの票を取ってしまうと懸念した人もいた。しかしそんなことを言っていたら、いつまでも私たちの出番はない。

 現政権与党の自民公明やその補完物である維新や京都党などに対する闘いはもちろんのこと、地方自治とは何ぞやを語ることもなく、昨年の京都府知事戦では復興庁の事務方トップだった候補者を支持した国民民主や立憲民主があった。彼らは節操もなく、党利党略を優先するだけの政治勢力でしかない。

 今この国で問われているのは、自治とは何かである。自治体だけではなく、多くの組織が自治を喪失してしまい、中央政府の決定を鵜呑みにするだけの組織がいかに多いか。私たちが今取り戻さなければならないのは、それぞれの自治である。そのための果敢な挑戦をした候補者と少数の素人集団の活動に参加できたのだから、当選しなかったからといって落ち込むことはない。

 この原稿を書いているのは4月25日で、ばかばかしい流行り言葉の「平成最後の」木曜日である。平成という年号を自ら書くこともなかった筆者には、平成だろうと令和だろうと関係なく、自分たちが自分たちの時代を創造したいと願い、行動する毎日なのである。そんな人々に出会えた選挙戦だった。

                                                 (石田紀郎:市民環境研究所)



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