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地域から政治を考える

「自己責任」論議から考える

国家は国民を守らない
とくに日本という国は…



 12月15日の土曜日、アジアプレス所属のジャーナリスト玉本英子さんをお招きし、IS(イスラム国)後のイラク、シリアの取材の報告会を開催しました。大阪の辺境である能勢での開催にもかかわらず、能勢町、豊能町を中心に60人以上が参加してくれました。そのあと交流会も30人以上の参加になり、予想以上の盛会になりました。

 玉本さんは10月中にイラク、シリアを取材し、帰国後も、忙しくメディアの取材や講演会をこなしておられました。事前の打ち合わせで驚いたことには、取材費はすべて自己負担でやっているとのことでした。出版社などのメディアは、危険地帯に行くジャーナリストに対して、取材費はどこも出さないそうです。何かあった時の責任を問われたくないということだそうです。あくまで、ジャーナリスト個人の自己責任になっているそうです。

 それを聞いて、シリアで拉致されていた安田純平さんが2年ぶりに解放されたのに対して、自己責任論の非難が巻き起こったことを思い出しました。常に危険と背中合わせでの取材が自己責任でしか行われないのは、非常に不可解な思いです。現地の取材でしか分からない貴重な情報を提供するジャーナリストたちを自己責任にしてしまう、それは、それ以外の人が責任を問われたくないということの結果でしかないと思います。

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 とくに日本の場合は、政府自身が国民に対して責任を負わないということが特徴的です。そのために、危険な目にあった国民を自己責任として放置するという結果を生んでいます。ISに殺害された後藤さんたちもそうであったように、平気で国民を見殺しにするということをやっています。

 テロリストに妥協しないと言っているアメリカでもフランスでも、さらにはイスラエルであったとしても、どんな対価を払ってでも自国の国民の命を守ります。それによって、彼らの国の愛国心が保たれています。

 日本は国民に愛国心を強要しても、決して国民の命を守りません。先の戦争でも、国民の命を平気で投げ捨てて、戦争を進めました。沖縄では、沖縄全土を犠牲として、国を守るといっていました。政治家たちは国が国民一人一人からなりたっているということが理解できないようです。そのため、国民の一人や二人の命がどうなろうと国の知ったことではないということになるのです。彼らが自己責任を口にするのは、国家としての国民保護の責任をとりたくないということでしかありません。

 日本のパスポートの発行手数料は1万6000円で、世界一高いと言われています。政府の説明では、そのうち1万円は邦人保護費に充てられているそうです。にもかかわらず自己責任を強いるのであれば、金をとっているのに何もしない国ってなんなの、ということになるでしょう。

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 軍拡をすすめる安倍政権は、「島嶼防衛」と称して、自衛隊を南西諸島に配備し、空母まで持とうとしていますが、そのシナリオは、まず事前配備部隊と島民を犠牲にすることから始まります。それを奪回するために水陸機動部隊だの、オスプレイだの、空母が用意されています。つまり、南西諸島への自衛隊の配備は「抑止力」でもなく、攻撃されることを前提としているのです。

 第二次大戦の時に沖縄を犠牲にした発想となんら変わりはありません。このことは、辺野古での土砂投入の強行にも現れていると思います。

                                                                     (戸平和夫:北摂反戦民主政治連盟)



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