連載 ネパール・タライ平原の村から(83)
水田は運命共同体
ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その83回目。
トウモロコシ畑の旺盛な草を全て刈取っては家畜にやり、実をもぎ取って包葉同士を束ね結び、吊るしては家畜用に保存します。続いて田植えとシコクビエの移植作業が終わり、8月はひたすら田んぼの草取りです。早朝から10ガッター(33アール)の田んぼを黙々と這いずり回っています。
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田から田へと水がかけ流される水田地帯は、その年により、田面から水が溢れる時もあれば、逆に田面が乾く時もあります。雨が降らないと、どこの田んぼも水不足に陥る運命共同体なのです。
ところが、実際のところ水不足になると、上流の水路沿いから直接水を引くことができる田んぼの人が、土嚢を積み上げ堰き止めては、自分の田にだけ水を入れます。それでは不公平ということなのですが、深夜よその水路を塞ぎ、密かに我が田にだけ水を引く人がいるから仕方がないと言います。そして水路を堰き止めて我が田に水を引きます。
日本語でいう“我田引水”とは、うるわしい運命共同体の共通言語なのだと、納得した次第です。そんな水利条件であることから、僕の手元にある米づくりの教科書に載っていた抑草技術による深水管理(田植え後30日間にわたって8センチ以上の水位を保てる圃場で実施された)は不可能です。
とりあえず、田植え後数日は、畔を回って水漏れを確認して塞ぎ、崩れて水漏れがひどい時は、他と同じく土嚢や竹釘で修復するのみなのです。
ともあれ、せっかくネパールにいるのだからと草取りの時などは、意地になって昔ながらの“薬”、自分の手で取る「テデトリン」にこだわっています。が、ここ数年で除草剤散布は当然となり、混じった水が隣の田んぼ、隣のその隣のたんぼ、さらに上手の田んぼから確実に流れてきます。昔も今も田から田へと送られる水から、水田はまさしく運命共同体なのだと再確認できる次第です。
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■草が大量発生した時は、タルー人の草取りグループに依頼。雨で傘を差している。 |
昔ながらの互酬的な関係の裏で、公然とは言わないけれど、損得勘定があったりと、煩わしいところでもあるのです。それでも、どこかでお互い協同せざるを得ないのが水田地帯であり、田んぼの水を通じて人と人がつながって行きます。
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そんなあっちの田んぼこっちの田んぼから「どうしてここで農業をしているのか」「日本とネパールどちらが良いのか」「日本ではいくら稼げるのか」などと汗びっしょりかいている時、質問攻めに会うこともあります。一方で農作業について、地域農業の実情について、いろいろな示唆を僕に与えてもくれるのです。
だけど、水田地帯を実体の見えない運命共同体などとまとめるのは、いかにもよそ者ならではの言葉だと、文末に思うのです。
(藤井牧人)