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連載 ネパール・タライ平原の村から(81)

我が家に「娘」がやってきた
ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その81回目。


 一時帰国から家に戻ると隣にある妻の実家から、「ブバ(お父さん)!」と大きな声。僕の留守中に来た、これから一緒に住む子どもでした。当初9歳の子が来ると聞いていたのですが、やって来たのは6歳の女の子でした。初対面でもまったく物怖じせず、「ブバ」と呼ばれるとは思っていなかった僕の方が驚いた次第です。駆け寄って来ては手を握り、照れながら、とにかく嬉しくって仕方がないという感じ。タマン人の実名でなく、ヒンドゥーに多い「シタ」という名で呼んでとのこと。…喜びがまた一つ増えました。

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 5年前、隣家から妻の姪っ子が窓越しに「こっちに住んでいい?」と聞くので、1~2日のことだろうと思っていたら、以来そのまま我が家の子となりました。今は寮生活をしながら、看護学校に通っています。しばらく夫婦2人暮らしに戻ったのですが、その後、今度は隣家の事情で、妻の甥っ子が我が家で暮らすようになりました。

 そして今回、2015年の大地震以降、たびたび訪問しているラスワ郡ガッタラン村から、タマン人の10人家族で6番目の子であるシタと暮らすことになりました。ちなみに、5番目の子は既に、カトマンドゥの親戚が預かっているとのこと。

シタ
  ■やって来た「娘」シタ
 標高2200mの山岳部ガッタラン村に訪問するたび、どこの家も子だくさんで「家の子を引き取ってもらえないか?」という依頼が何度もありました。もともと妻がNGOの職員で、この村に住込んでいたこと、僕が外国人だということで、かえって安心して預けられると思うようです。僕自身も、まわりを見ていると、もらった子を育てた家があるわあるわで、これまでの家族の定義が崩れました。生物学的な血のつながりがなくても家族がつくれるということに抵抗がなくなりました。むしろ、それも自然だ、と。

 出生証明書のコピーだけ近所の学校に提出して転校したシタは、口答では学校教育が終わるまでの期間、僕らが里子として預かったという形です。が、実際には環境が大きく異なる山岳部に、十数年後に戻ることや、学業終了後に帰っても家族が養えることは想像し難く、正確には僕らはシタを預かったのではなく、もらったということです。

 シタが我が家に来て、もうすぐ2か月が経過します。山から来た子らしく動物にも慣れていて、草刈りや農作業にもついて来ます。学校に行っては、先生や友だちに「家には水牛がいるの、ヤギもよ、豚も、犬も、猫もよ」「先生、マンゴーが熟したら今度、家に食べに来て」と言っています。死んだヒヨコを握っては「アボーィ、おまえはどうしたんだ」と声をかけ、僕らの心配や不安をよそに、シタはここへ来たその日から、新しい住み処
を受け入れたかのように、楽しく、たくましく生きているように見えます。

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 託児所も保育所も児童養護施設も足りない、児童手当がない、里親制度がない……、子を育てる制度的な仕組みが十分機能していない、子どもを取り巻く環境は非常に厳しいネパールです。だけどその影で、子を育てる社会的な仕組みがあり、子育てが家族の枠組みを超えて機能している側面も、見逃してはいけない、と僕は思うのです。
  
                                                      (藤井牧人)



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