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連載 ネパール・タライ平原の村から(77)

ネパールの昔の写真から 
                         
②カースト社会の外へ

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その77回目。



 1960年代の白黒写真。写っているのは2人の男性、そして敷かれた板の上に手回しミシンが2台。その後ろにも人がいます。1人はミシンの掃除をしながら、もう1人は子どもをあやして、どこか賑やかな場所でもあるようです。

 かつて定期市には、手回しミシンを置いて、衣類の傷んだ部分を縫って継ぎ合わせる、縫製・仕立てを生業とする人がたくさんいました。

 「ダマイ」と呼ばれ、今は「パリワール」とも呼ばれる人たちです。パリワールは不可触カースト、被差別集団と位置づけられ、差別の対象とされて来た人たちでもあります。

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 「半ズボンの右も左も継ぎ当てがしてあった」。これは、かつて山岳部にいた妻の母が今は亡き妻の父を見た、若い頃の記憶です。この当時、パリワールはどこの村にもいて、女性は農地を耕し、男性は多くの村人の衣服の縫製や手直し、結婚式や祭事の特別な衣装を手がけていたそうです。

 村人は布をもって行き、平地であれば米、山岳部であればシコクビエやトウモロコシとの交換において、目測でサイズを計り、衣服を仕立ててもらっていた、つましい時代の話でもあります。

 妻は1980年代、パリワールが「バリ・ガルに行く」と言っていたのを思い出すと言います。「バリ」とは食糧、「ガル」とは家のことで、直訳して「食糧の家」。つまり、食糧の配分を受ける契約関係にある家へ行く、という意味です。

ダマイの人々
 ■ダマイ(バリワール)の人々
 一家全員の衣類の縫製、使い古した衣類から布団や枕を作り、お礼に食糧を受取る契約を結ぶことで、生活を成り立たせていたとのことです。とくに高位カーストはじめ、裕福ないくつかの家から食糧を得て、「ダサイン」や「ティハール」(※)といった祭事の時には、肉が配分される、金銭を媒介しない関係があったそうです。

 1990年代。民主化となり、法律上においてはカースト制度が廃止されました。NGO(非政府組織)など海外の援助団体による職業訓練、足踏みミシンが庶民の間で普及しました。同時に、仕立て業はパリワールの男性たちの専売特許ではなくなりました。

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 抑圧された人を意味する「ダリット」の解放運動が活発化した現在。継ぎを当てた服を着た人を見かけることもなくなりました。商業資本で量産された、安価な規格品の衣類が大量に押し寄せるようになって来ました。仕立て屋が作らない洋服がどんどん増える今。パリワールの中には、仕立て業を継ぐ人もいますが、多くが他と同じく、海外へと出稼ぎ・移住に出るようになりました。そして多くが、安い賃金労働者としての待遇を受けます。カーストとは全く異なる社会に出会う一方で、しっかり別の社会システムの下層に組み込まれている、と思うのです。

                                                          (藤井牧人)

 (※)ダサインはネパール最大の祭。毎年9月か10月頃、稲の収穫前に豊穣と人々の生命力を高めることを祈願する。ティハールはダサインに続いて行われる収穫祭。豊穣と幸運の女神ラクシュミに祈りを捧げ、家中に灯りをともすため、「光の祭」とも呼ばれる


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