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アソシ研リレーエッセイ

「理念」を明らかにする中で
「ポピュリズム」を超える道を


 2015年12月、任期満了で大阪市長を退任し、政界からの引退を宣言した橋下徹が『問題解決の授業』と題した著書を出版している。彼が維新の会の顔を退いてから2年余り。10月に行われた総選挙の結果を見ても、維新の退潮ぶりは間違いないようだ。やっぱり、「橋下徹」という個性に、その躍進は大きく依存していたのだとすれば、書店の立ち読みで、何をお考えなのかを、ちょっとのぞいて見るべきだと思って、ページをめくって見た。

 「報道の自由こそが民主主義の根幹だ」「核心的問題点と周辺的問題点の整理」「現状への不満をすくい上げよう」とテーマだけを見ると、あの橋下さんが書いた本とは想像できない内容。でも中身を読み進めてみると、「インテリ・知識人批判」と「政治=選挙」という橋下ブシはおおいに健在であった。

 既成のエスタブリッシュメントに舌鋒鋭く批判を浴びせ、争点化することで、政治にあまり関心のない人々の不満の受け皿を演じる能力は、政界を離れた今も際立っているようで、舛添批判、小池批判もけっこう的を射ていたように思う。でも安倍批判、公明党批判はまったくなし。むしろ公明党には「本当に政治上手!」との賞賛すらのたまう始末。

 さて、彼に決定的に欠けているものは何か。それは「理念」だと思う。あたりまえだと彼は笑い飛ばすかもしれないが、時代がそうだからといって、自分の能力を大いに自負するリーダーが、それではあまりにもお粗末にすぎるというものだろう。眼の前の現実に、リアルに対峙し、一歩でも二歩でも改善を実行する能力を誇示し、それを繰り返して、ではどこに向かうのかが、橋下徹には示しようがないのだろう。まあ、安倍もトランプにも、実のところはまったくないものなのだから、彼にそれを求めるのはちょっと酷なのかもしれないのだけれど。

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 で、ようやく、本題のリレーエッセイの今回のテーマ、ポピュリズムにたどり着いたというワケです。ポピュリズムの日本語訳が正確にどのようなものなのかは調査不足で把握してはいないのですが、生活する民衆の支持を得ることなくして、政治は本来成立しないものです。だから、民衆の支持を獲得するための技術の習得は、政治にかかわろうと志す全ての人に求められるものです。

 対話の作法、演説の技術、言葉の鍛錬。その技術に長けた人が、イコール、ポピュリストであるはずはありません。現状への民衆の不満をすくい上げ、その民衆のエネルギーをどんな「理念」の実現へと導くのか。その理念が不明なままで、不満をあおるだけの政治をポピュリズムと言うのだと思う。

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 既成政党がワクをつくり、自分たち自身を権威づけるためにワクに縛られて、民衆の不満をすくい取ることすら出来なくなった日本の政治の劣化の中で、たとえ一瞬でも、その不満をつかむことに成功した人たちを、「ポピュリズム」の一言で切り捨ててしまうのは、危険だと思う。

 彼らを打ち破るだけの民衆のエネルギーを、どう組織しうるのか。私たちがめざす社会の「理念」を明らかにする中で、問われているのは私たち自身だと思うのです。

                                          (津田道夫:当研究所事務局)




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