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よつばの学校 全職員向け講座 報告⑥
「場所をつくる」ということ


 「よつばの学校」全職員向け講座、2017年のテーマは「能勢農場・よつ葉の活動を通して、社会を考える」。よつ葉グループの第一線で長く活動してこられた津田道夫さんを講師に、能勢農場・よつ葉の40年以上にわたる実践をめぐって考えます。以下、10月13日に行われた第6回目、「場所をつくる」の概要および参加者の感想を掲載します。



「言葉の力」の補足として


 前回の講座「生活の力と言葉の力」について、参加者からの感想レポートのいくつかに、“よく分からなかった”という意見があったので、今回の講座に先立って、津田さんから特にその後半部分、「言葉の力」について、不足を補うための話があった。

 社会の一番の土台は私たちの生活にあると、津田さんは言う。毎日を、家族あるいは親、友人と、あるいは大切な人と暮らしていく。生活はそんなに簡単には変わらないけれども、それをちょっとでもより良い方向に日々の努力によって変えていく、それが社会変革の基礎になる。生活は簡単には変わらないけれども、逆に言うと、根深くて強いのが生活であり、だからこそ、社会をその基礎から変えていくのも生活の力だ。

 しかし、それだけでは、社会を変えることはできない。生活の空間というのは狭い。人が日々の生活で交わる人間関係というのは、どこかの社会学者によると、150人ぐらいと言われている。その狭い生活の中で社会変革が完結できるかといえば、それは難しい。その狭さを乗り越えるものとして、言葉の力というのを伝えたかったのだと、津田さんは言い、言葉足らずだったという前回の補足を行った。

 言葉が、生物の一種である人類を、人間として決定的に飛躍させた。人類が話し言葉、そして書き言葉としての文字を手に入れたことが、人間としての知性の飛躍をもたらした。毎日顔を合わせている仲間の関係ではなくて、人間という大きな概念で自分たちを捉えられるようになったのは、言葉の力によるものだ。

 言葉の力によって、私たちは人類にとっての普遍的価値というものを、誰でも伝えることができる。たとえばフランス革命のスローガンは、自由・平等・博愛。フランス語と日本語という違いはあるけれども、学校やいろんなところである一定の教育を受けていれば、自由・平等・博愛と言うだけで、誰とでもその価値を共有できる。それが言葉の力。会ったこともない人と人とをつなぐのが言葉。毎日の生活で自分たちが考えたこと、作ってきたものを言葉として、それを経験したことのない人、空間的にも、時間的にも離れている人、未来の人にも伝えることができる、それが言葉の力であり、言葉の大切さだと津田さんは言う。

 イギリスの作家、D・H・ロレンスが死ぬ間際に「『貨幣のこと、権力のこと』を魂のことは逃れることはできない」という言葉を残した。魂のことというのは、人間一人ひとりにとってのかけがえのない価値のこと。しかし、魂のことはそれだけでは完結できない。貨幣のことや権力のことに関わらざるをえない。貨幣のことというのは経済のこと、権力のことというのは政治のことだ。経済や政治の問題から逃れて、一人ひとりの人生やその価値を追求することはできないのだということを、この言葉は意味している。

 それを私たちに引きつけて言うと、それぞれの日々の生活の積み重ねの中で、自分たちの関係を少しずつより良い方向に変えていく。そういう努力を重ねながら、それをどのように言葉として表現し、外の世界に広げていくのかということが、言葉の力として問われている。そのためには、自分の発する言葉にそれなりの磨きをかけないといけない。日々の現実と真剣に格闘し続けている人のみが、その叫びを言葉にできる。言葉を磨くためには、まず文字を読むこと。日本語を読む努力をし、習慣を身につけるということがとても大事なのだ。話し言葉の世界だけにとどまっていてはだめだと、津田さんは強調した。

 政治の役割というのは、まったく立場や利害の違う人たちどうしが、言葉を通じて折り合いをつけて、妥協点を見つけていくということが、基本になる。仲間だけですべてが解決できるのならば、政治などは不要かもしれない。しかし、世の中は広くて、いろんな立場があるし、いろんな利害の違いがあり、考え方の違ういろんな人たちがいる。だから政治にとって、言葉や言葉の力というのは、とても大事な問題なのだ。

 以上のような話をして、津田さんは前回の「生活の力と言葉の力」についての補足とした。


寺山さんの思い出から

 さて、今回の講座については、これまでの「能勢農場とよつ葉の活動を通して、社会を考える」講座をふまえて、これからの私たちの展望をどのように見通すことができるかということを考えて、「場所をつくる」というテーマにしたということだ。

 話の取っかかりとして、津田さんは、今年のよつ葉のカタログ「life」の20号(新年号)の一面に書いた「場所をつくる」という文章を取り上げることから始めた。それは能勢農場・よつ葉がつくってきた場所が、人を育て、未来を信じさせる力について書いたものだけれども、そのことを考えさせられたきっかけの一つが、能勢農場で20年以上一緒に仕事をしてきた寺山さんという人の、突然の死だった。寺山さんが能勢農場で過ごした20年以上、なぜあんなふうに彼はいろんなことに前向きであり、能勢農場がやろうとしたことを一生懸命、彼のできるやり方で支えてくれたのかということを考えた。

 農場に上がってくる前、寺山さんは上新庄(大阪市東淀川区)で、母一人子一人で暮らしていて、仕事はほとんどが現場の手間仕事、土建屋や配管工などの助手のような手間仕事をやっていたようだ。そのお母さんが亡くなって、彼は身を持ち崩した。もともと、お酒や博打も好きだし、お母さんがいたあいだはなんとか踏みとどまっていたけれども、サラ金からの借金がどんどん膨らんで、サラ金の取り立てが酷くて、一時身を隠すために能勢農場に上がってきたのが始まりだった。

 能勢農場に実際に来てみたら、汚いし、変な人間もいるし、こんなところにいつまでもいられない、ほとぼりが冷めたらすぐにでも上新庄に帰ろうと思っていたらしい。それが、20年以上にもなった。もちろん「もう辞めたるわ!」とか言うこともあって、よくケンカもしたが、能勢農場という場所で、いろんな人たちと飯を食い、寝泊まりし、酒を飲んで、身体を動かすという、そういう空間の中で、ちょっとずつ変わっていったのではないかと思う。寺山さんという人の性格ももちろんあるかもしれないけれども。

 もう10年ほど前、WTO(世界貿易機構)の首脳会議が香港で開催されたとき、みんなで抗議のデモに行こうと誘って、一緒に行ったことがあった。首脳会議の会場は香港の海に突き出した国際会議場で、バリケードで阻止線を張られているから、そこまではデモでは行けない。しかし、韓国の農民は過激にもボートで、海から抗議行動をやっていた。それを見て寺山さんが興奮して、俺もあれをやりたいと言いだした。それは寺山さんの一途な思いだったけれども、それはなぜだったのかと考える。日頃から政治的なことに関わってきたわけではないし、一応、北民連(北摂反戦民主政治連盟)の能勢支部に入ってはいたが、会議の時はほとんど寝ていた。でも毎回欠かさずに出てくる。そういう寺山さんをつくったのは、能勢農場という場所、そこで生活している多くの人たちとの関係だったのではないかと考えて、「場所をつくる」という「life」の文章を書いたのだと、津田さんは言う。


「組織をつくる」から「場所をつくる」へ

 「場所をつくる」ということをもう少し整理すると、必須の条件として自然のある空間が必要ではないかと思う。そこに、多様な人がいるということ。考え方が一緒で同じ方向を向いている人たちばかりでは、場所にはならない。子どももいて、年寄りもいて、男性も女性もいて、すごく真面目な人もいれば、酒飲みでいい加減な奴もいる、遊んでばかりいる奴もいれば、本ばかり読んでいる奴もいる。そういう多様な人がその場所で、関係を作って積み重ねていけるということが大事なのではないかと思う。そこに、生活があって、生産がある、そういう場所づくりをめざしたい。

 津田さんたちの世代の社会運動は、「場所をつくる」ではなくて、「組織をつくる」というのが基本だった。政治組織にせよ、市民運動の組織にせよ、なんらかの反公害運動の組織にせよ、組織をつくるということが大事だと思いこんできた。組織というのは、目的意識のある程度一致した人たちがつくるものだと教えられ、自分たちもそれをめざしながら、能勢農場やよつ葉をつくることを始めた。

 その運動を引っぱっていったのはもうひとつ前の世代で、さらに明確な組織、革命運動を指導する前衛党を作るために一生懸命活動してきた人たちだった。ところが、津田さんたちと関係ができはじめた1970年代前半ぐらいには、すぐには社会変革を成し遂げるのは無理だという現実が見えてくる。日本は60年代から70年代にかけて、高度経済成長で世の中がどんどん豊かになって、人の気持ちも家電製品を揃えて生活を便利にしていくという方向に流されていった。そういう雰囲気が世の中を大きく包んでいた時代だった。自分たちの世代で社会を変えるのは無理だと思って、若い人たちに次をつなぐために、能勢農場やよつ葉をやろうと言って、津田さんたちの世代を巻き込んだ。

 しばらくは津田さんたちもある程度まではまだ組織をつくるという考えに縛られていたけれども、1990年代に入って少しずつ、能勢農場やよつ葉を、社会変革をめざす上で、どのように位置付けてやっていけばいいのかということを、自分たちの問題として考え始めざるを得なくなった。「場所をつくる」というのは、世代をつないで世の中を変えていくということだ。逆に言うと、強固な前衛党が運動を引っぱって、一気に権力を握って、上から社会を変えるというような発想では、本当に、決定的に世の中を変えることはできないということだ。社会変革という事業は、過程(プロセス)に結果は刻印されている。

 能勢農場やよつ葉はいろんなところで、そういう場所を今もつくり続けていると思う。しかし、場所を継続していくためには、その場所を整え、あるべき形へといつも働きかけるという努力が必要だ。それがないと、すぐに場所ではなくなってしまう。できあがっているから良いなどと思っていたら、すぐ違うものに変わってしまうし、できあがっているというのは思い違いで、まだまだ不十分なところばかりというのが実際だ。でもそうした役割を自分の生き方として引き受けたいと思う人が、その中からどれだけ生まれてくるのかということが、大切なのではないかと津田さんは言う。


「アソシエーション」について

 組織と場所について考える大きなきっかけになったのが、「アソシエーション」という考え方だ。この言葉は英語だし、良く分からないかもしれないけれど、この言葉を教えてくれたのが、来月この講座の最終回に来てもらおうと思っている田畑稔さん。哲学の専攻で阪大を出て富山大の助教授として教えていたが、大学の中で官製の哲学を教えることが本当に自分のめざすべき道なのかと大いに悩んで、そこから自分の独自の研究を再出発させた。その結果を本にまとめたのが、『マルクスとアソシエーション』という1994年初版の本で、ちょうどその頃は、津田さんたちも自分たちの考えをもう一度自分たち自身で再構築しなければいけないと思って、いろんな勉強を始めていた時期だった。

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  ■カタログ『life』2017年新年号の表紙(一部抜粋)

 アソシエーションというのは、日本語の訳としては、「共通の目的をもって組織された会、協会、協同団体、会社、結社」というものだが、田畑さんのアソシエーションの位置づけは、「諸個人が自由意志に基づいて共同の目的を実現するために力や財を結合して社会を作ろうという行為。こうしてつくられた社会」。つまり、人間は生まれ落ちた社会の中で、なんの疑いもなく育てられ、その社会を受け入れたまま、だんだん大きくなっていく。でもある時、なにかのきっかけで、その社会にいろんな疑いや批判を感じるようになる。そこからアソシエーションを自分たちでつくろうという動きが始まる、それが社会変革の中核なのだということを、田畑さんはマルクスの著書を原典から読み直すなかで、提唱された。その田畑さんと出会って、いろんな話を聞くうちに、「場所をつくる」というようなことを少しずつ、自覚的に考えられるようになっていったと津田さんは言う。

 能勢農場・よつ葉関係の津田さんたちの世代の人たちは、それに「地域」を重ねて、「地域・アソシエーション研究所」として、2002年に、よつ葉関係のそれぞれの事業体の援助、応援をもらって、設立した。自然がその中に含まれた小さな地理的空間の中で生活や生産を積み重ねていくのが大事なのではないかと考えてのことだった。そして、今まで考えてきたことを、よつ葉で働いているこれからの世代の人たちと一緒に議論して、より普遍的なもの、あるいは豊富なものにしていきたいと思って活動してきた。さらに、若い世代の人たちにつないでいってもらいたいと語り、「場所をつくる」の講義を結んだ。


本野一郎さんを偲んで

 最後に、最近の出来事ということで、津田さんは9月26日に亡くなった本野一郎さんを偲びつつ、語った。

 本野一郎さんは京都大学農学部の出身で、当時の神戸市西農協、現在は広域合併してJA兵庫六甲になっているが、そこでずっと営農指導員として働き、60歳で定年退職。その後、全国の有機農業運動のリーダーとして活躍し、有機農業推進法や「有機の日」制定をはじめとした運動に関わってきた。地域・アソシエーション研究所の運営委員もしてもらっていたので、1か月に1回の運営委員会に昨年の秋ぐらいまでは来てくれていたが、白血病になって、真菌性の肺炎から、最後は脳梗塞を起こして亡くなった。享年70歳。

 本野さんは神戸市西農協での組合運動に力を注ぎ、その組合員の中から日本労働党という政党に組織して、津田さんが兵庫県の労働党の専従として1980年に兵庫県に来たときには、兵庫県の労働党の中で一番大きな組織になっていた。その時からのお付き合いだということだ。農協の営農指導員として、近代農業の推進役としての仕事をやりながら、それと真逆な有機農業を一生懸命農家に勧めるという、なかなか難しい活動に取り組んでいた。

 資料として配布したのは、本野さんの最初の著書、『有機農業の可能性』(1993年)の中の「エコロジーの文化と人類」と題する一文で、彼の遠い親戚である今西錦司から教えられたことを自分なりに受け止めて、農協で活動しながら考えたことを書いている。今西錦司という人は棲み分け理論という生物の進化論を提唱した日本のダーウィンと言われている著名な生物学者。有機農業を通して世界を変えたい、今の世の中のより良き変革をめざしたいという、本野さんの原点のようなものが表されて、とても良い文章なので、ぜひ読んでみてほしいと津田さんは勧め、講座の結びとした。


参加者の感想から

奈良南産直という場所にいて


 場所と考えると僕の場合は、今は奈良南産直になるのだろうと思った。

 単に仕事先として入社した奈良南に、早十数年。主に配達ばかりしてきたが、今では、代表、同僚と他愛ない話をしたり、思想的な話をしたり、様々な事を口にするようになっている。時には、疲れているからなのか、どうでもいいようなひと言でムッときて言い合いをしたり、感情のまま話したり、客観的に話したりしながら、日々の仕事をしている。

 一般の会社のように、言われるがままに仕事をしていれば、それなりに楽なのにわざわざ言い合って、時には、逃げ出したくなるくらい、つらくしんどく感じる事もあるし、めっちゃ楽しくてたまらない時もある奈良南が、今の僕の場所なのかなと思った。

 この先、この場所がどこまで続くのか分からないけど、次の世代、そのまた次の世代の人にとっても、色々、様々な事で悩み考える場所であってほしい。

 昔のままの僕なら、めんどくさく、しんどく感じた時点で、辞めていただろうなと思う。今でも続いているのは、この場所が少し僕を成長させてくれたんだなと思う。

 明日からまた仕事をしながら日々が過ぎると、こんな事を思ったことも埋没していくと思うが、今回、場所を確認するきっかけになりました。

                                  (中田貴之:よつ葉ホームデリバリー奈良南)


地域の中で場所づくりを考えたい

 今、新センターを構想する上で、僕の中でおぼろげなイメージを具現化するためのヒントがありそうで、今日のテーマに足を運びました。そう「場所をつくる」という事です。

 話を聞いて、産直はやはり(あくまでも)組織だと思います。ある程度、目的を一致させて、地域にはたらきかける事を業とする以上、しかたないと思います。そして、場所をかたちづくる必須要素を見て、少しピンときたのが「びわこ1・2・3キャンプ」です。たとえば「命が何より大切」というテーマのもと、多様な人が集まり、時に摩擦しながら、自分のできる事を精一杯やる。そしてダメな部分も含めて、まるごとその人を受け入れる。そんな大人たちのやり取りの中で、特に若い子がたくましく育っていく。そして参加した子どもたちも大きくなり、この空間を作る為にスタッフとしてもどってくる。「自然」というものを、草木や水、土といったロケーションだけでなく、人を介してその摂理とつながっている事だととらえれば、まちがいなくそこに自然と生産も存在する。

 産直という組織の中で働きながら、地域の中で、そういう場所となりうる拠点を、新センターの構想のテーマにしたいです。そして、できるだけ多くの人と一緒に場所づくりをしていきたいです。そして、なによりその事を楽しんでできる組織をつくり、大切にしたい。

                                    (光久健太郎:よつ葉ホームデリバリー京滋)




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