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ネパール・タライ平原の村から(77)

市場経済に頼り切らない農業

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その74回目



 カッティック月(7番目の月)を迎えたタライ平原は、稲刈り、収穫の季節です。鎌で稲株を刈る時は、あまり地面ぎりぎりで刈り取ると、泥がワラに残ります。逆にあまり高くで刈り過ぎると、稲ワラが短くなり過ぎます。そういうことを言葉にする人はいませんが、その先に水牛や牛がいることを念頭に置いての稲刈りです。刈った稲ワラはそのまま地べたに置き1週間、天日で乾燥。そして、ワラを束ねて、家の裏手の田んぼの一画に集めます。水田地帯にある稲は、牽引車に依頼して家まで運びます。

 数年前までは稲を束ねる際、根元の方をある程度揃え、モチ米の長いワラで結び留めていました。束ねた稲の根元を両手で握り、穂先の方を板に叩きつけて脱穀する際、根元が揃い、しっかり束ねられていないとバラけるからです。今は脱穀作業が機械化され、稲を束ねる作業も、そうした細かな気遣いが必要なくなりました。脱穀の後は、蓑を振るってゴミ・塵を飛ばす風選作業をしますが、これも脱穀の機械化で、今はほとんど必要な作業でなくなりました。

 稲ワラの方も、以前は水牛に踏ませて根元に残った土を落とし、水牛が噛みやすいよう繊維を柔らかくし、ワラ束に残った米粒を落とす作業がありました。これも僕が暮らす地域では、脱穀が機械に変わったことで簡略化されました。最後にワラは、一本の棒を軸にして積上げて保存する、ワラの山
   ■農家各戸に棒塔がある
「棒塔」を作ります。かつてはここまで1か月かかっていたのが、今はその半分くらいの日数です。棒塔は底の部分が雨季で腐らないよう、木を組んで浮かしてあります。ワラはしっかり敷き詰めてあるので、ネズミが侵入することもなく、雨季の雨も弾きます。日中に気温が40~50℃まで上昇する乾季後半には、棒塔の下にヤギ・鶏が潜り込み、暑さをしのぐ絶好の場所にもなります。

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 全ての作業が終わって、日々棒塔から引き抜くワラは水牛の飼料となり、仔牛が寒さをしのぐ敷料となります。水牛の喰い残しや糞尿が付着した敷料は、糞を取り払い、天日で乾かして再び敷料として利用します。繊維を潰さないでおいた一部のワラは、女性らの手によって農閉期、ムシロや円形の座布団が編まれます。

 私たちにとって収穫した稲とは、余剰米を煮込めば家畜飼料であり、ワラは水牛の粗飼料であり、ムシロや座布団の材料です。また収穫したトウモロコシとは、挽いて粉を煮込めば家畜の濃厚飼料であり、乾燥した包葉・茎・葉は水牛の飼料であり、収穫されるまではインゲン・ささげの支柱であり、硬い根元は乾かせば薪になります。

 一つ一つの作物、草、樹木、もしくは植物の部位ごとに、食材として、薬として、飼料として、資材として、燃料として、いくつかの使いみちがあります。

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 ここでは、日常的にシリンダーガス(プロパンガス)を利用し、飼料の一部を現金で購入し、堆肥が手に入らない時は化学肥料で代用し、定期市で野菜・畜肉も買います。消費社会に頼り、現金を手に入れないと成り立たちにくい暮らしです。

 それでも、薪を拾い、わずかな家畜を飼い、屋敷林から家畜の飼葉を刈り、単に食材としてだけに留まらない有用植物を利用します。何もかも市場経済に頼らない、ここでの農業にこだわり続けています。僕自身にとっては、市場の陳列棚には並んでいない、工夫・知恵・楽しみ・暮らしを手に入れることでもあります。
                                         (藤井牧人)



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