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よつばの学校 全職員向け講座 報告⑤

生活の力と言葉の力

 「よつばの学校」全職員向け講座、2017年のテーマは「能勢農場・よつ葉の活動を通して、社会を考える」。よつ葉グループの第一線で長く活動してこられた津田道夫さんを講師に、能勢農場・よつ葉の40年以上にわたる実践をめぐって考えます。以下、9月8日に行われた第5回目、「生活の力と言葉の力」の概要および参加者の感想を掲載します。

番外編を振り返って

 今回は、8月に開催した「よつ葉の学校 全職員向け講座」番外編のシンポジウム「私たちはなぜ農村を目指したのか」を振り返ることから始まった。

 講師お二人の話の要点として、津田さんが指摘したのは、①なぜ、農村を目指したのか、②なぜ、続けられたのか、③これから何をめざすのか、という3点(内容についてはすでに本誌で講演録を掲載したので、それをご参照下さい)。そこから強く感じたこととして、津田さんは以下の2点をあげた。

 一つは、経済活動だけで社会全体を捉えることはできないということ。もちろん経済活動は社会の中ですごく重要な位置を占めているけれども、人間社会はそれだけで動いているわけではない。もう一つは、目指してきたこと、その考え方を、どのように仲間たちと共有し、次の世代に受け継ぐのか。そのことの難しさ、悩みが、当日の話だけではなく、これまでお二人と話をしていて感じられるという。

 二つめの点に関しては、能勢農場・よつ葉はすごく恵まれている。自分たちがやってきた事業について、なんのためか、どんなことを考えてきたのかということを議論したり、一緒に考えるような関係をたくさん作ってきた。そこには大きな可能性があるのではないか。そのことが、能勢農場・よつ葉がやってきたことの一番大切なところなのではないかと指摘し、番外編についての感想とした。


社会変革のあり方について

 本題に入って、「生活の力と言葉の力」という今回の講座のテーマ。それは自分たちの世代の経験から思い至ったことなのだと、津田さんは言う。

 津田さんたちの世代が考えた社会変革の図式を単純に言うと、政権を取って、自分たちが目指す社会変革を政策を通じて政府が上から実行するということだ。政権を取る方法は、議会で多数を占めるという考え方があり、また別の考え方では、ロシア革命のように議会なんか全部潰して実力で政権を奪取するという方法もあって、本気で実行しようとしていた人たちもいた。津田さん自身は、そんなことはとてもじゃないけれど無理だと思う一方、それは自分の弱さだと自分を責める葛藤の中で悩んでいたこともあった。でも、やはり、その当時自分がイメージしていた社会変革の基本構想は、権力を握って政府を変えて、上から社会を変えようということだった。

 それは人間と社会の有り様を十分に捉えることができていない結果の間違いだったと、今は考えていると津田さんは言う。その間違いの中身、何が間違いだったのかということを、能勢農場・よつ葉の事業をやりながら一生懸命考えてきた。能勢農場・よつ葉の事業、運動をやっていく上で、その問題は避けて通れないものだった。そのことをずっと考えてきて、今のところ思い至ったのが「生活の力と言葉の力」という、今回の講座のテーマに掲げた問題だ。


生活ということの意味

 さて、「生活の力」を生み出す、その生活のことだけれども、若いときはただ毎日を過ごしているだけで、極端に言えば、学生時代からいろんな場所で生活をして、毎日、飯を食って、寝て、あるときは街頭に出て、仲間と一緒に議論をして、そのうち家族ができて、という生活をおくってきたけれども、その生活の中身については深く考えていなかった。

 能勢農場に来て、朝、昼、晩と3食作って、みんなと一緒に仕事をして、夜、酒を飲みながらいろんな人と話をして、そこに子どもも加わって、子どもと一緒に暮らして、ようやく生活ということの意味を少しは考えられるようになった。生活や生産の現場を人間らしいものに変えていくために、自分たちに何ができるのかという課題にまともに向き合い、実はそれこそが社会変革の基礎だし中身なのだと思えるようになったのは、それからのことだった。

 よつ葉は宣伝が下手だと、よく内部の会議でも言われる。それはそうだけれども、よつ葉のいいところは自分たちが直面している食べものの生産や流通の現場を、少しでもいいものに変えるために一生懸命考えて、日常的に努力をしてきたことだ。また、1円でも安いものをというのではなく、自分なりの考えやポリシーで判断してもらえる会員を増やすよう努力してきた。イメージだけで購買意欲をそそるような事業は考えてこなかったと思っている。

 生活というのは反復だと、津田さんは言う。毎日、朝起きて朝ご飯を食べて、仕事をして、昼ご飯を食べて、仕事をして、晩ご飯を食べて、夜一杯酒を飲んで寝る。その反復の強さ。毎日同じことを繰り返すことの強さ。それは日常の強さと言ってもいい。

 人間もやはり生き物だから、生きる空間も交わす人間関係も無限ではない。限られた人たちと、限られた空間で毎日を反復して、その中でおもしろいことや、楽しいこと、頭にくることを感じながら人として暮らしていく。それが生活だ。それは根を張ることであり、根を張ることの強さだ。簡単には変えられない。でも逆に言うと、簡単には壊れない。そこをより良いものに変えるには繰り返さないとダメだし、ちゃんと付き合わないとダメだ。ちゃんと繰り返すなかで培っていかないと何も変わらない。


私たちの活動のなかの生活の力

 能勢農場にいて、津田さんが代表になってから意識的にしてきた一つは、地元の店で物を買うことだという。工具や金物材料については松村商店。材木は塩田製材。ガソリンは田渕石油。お酒を買うのは最初は森本酒店。ここはオヤジが町会議員になって、津田さんたちが喧嘩している能勢の大ボスを応援していたので、森本酒店を止めて吉岡酒店に切り替えたとのことだ。森本さんには、あんな大ボスを応援するやつのところからは酒は買わないと通告した。文房具は、今はもう店を閉めてしまったが、森上の商店街にあるお婆ちゃんがやっていた南文具店。

 これらは単にお金を払って物を買うという商行為で、それ以上の意味は何もない。けれども、それを20年続けていくと、そこには単なる商行為以上の関係が生まれる。実際に、能勢農場が能勢町の人たちから左翼過激派、爆弾作りの巣窟と言われていた時代から、能勢という地域に根を下ろしていく上で、非常に大きな基礎になった。それと同じく、よつ葉が会員に毎週1回、物を届けてお金をもらう、その関係をずっと真面目に一生懸命繰り返して、そこで誠実な人間関係を作っていくことが、経済行為以上のものを生み出す可能性になるのだと考えている。

 能勢農場が地元の農家から野菜をずっと買い続けたのも、よつ葉から見れば「地場野菜の企画」かもしれないが、能勢農場から見れば、野菜を通じて農家と少しずつ関係をつくってきたということだ。そういうことをどれだけきちんと評価できるのか、それがすごく大事なことだ、と津田さんは強調した。

 たしかに、若いときにはなかなかそうは思えず、何か一発やらなければとの思いが強かった。しかし、能勢農場・よつ葉が45年続いて、その中から作ってきた考え方、つまり毎日の生活に根を張ること、生活・生産の現場を具体的に変えること、よくないと思う関係をどう変えていくのか、そうした考え方は大切だ。「今」を今だけで評価したり判断したりするのではなく、過去があって、今があって、未来がある中で「今」を考える。そのためには、生活している空間、環境、自然、人との関係が、非常に大きな条件になってくる。今、喧嘩しても、明日もまた一緒にどうしていくのか、1年先にもどうしていくのか。それはある面では重たいことでもあるけれども、そういうことがとても大切なことで、根を張る強さ、生活の力、そこから社会変革を考えるということの意味なのではないかと、津田さんは言う。


貨幣のこと、権力のこと

 しかし一方、それですべてが完結するかというと、そうもいかない。現実には時間も空間も、自分たちがいる狭い関係の中だけで完結はできない。何かをやりたい、何かを変えたいと思っても、たとえば農業でも、畜産でも、流通でも、社会のいろんなルール、法律、あるいはその時々の政策に規定されて、その中でやらざるを得ない。それに対してどう向き合うのかということと、根を張るということとは、位相は違うけれどもつながったものとして捉えたい。そのために、言葉の力というのを考えたい。

 それを端的に表すものとして、津田さんはD.H.ロレンスの「『貨幣のこと、権力のこと』を魂のことは逃れることはできない」という言葉を引用した。「魂のこと」とは自分のこと、一人ひとりの人間の心の中のこと。それは一人ひとり違うし、一人ひとりの価値がある。魂のことを大切にして生きていくことと、「貨幣のこと」や「権力のこと」、つまり政治や経済の仕組みとを別個には考えられない。

 だから、生活に根を張って日々を作っていくということと、それを大きく括っている政治のことや経済のことを常に考える視点というものを、一方で持ってほしい。言い換えれば飛躍する強さ。地面に根を下ろすことと空を飛ぶことは、一見矛盾していて両立しないことのように思えるけれども、根を張ってしっかり現場を作っているからこそ、そこから発せられる言葉が人の心を捉えるし、人の気持ちを動かす。住んでいる場所も環境も違うし、時代も違う見ず知らずの人にも届いて、それがつながっていく。それが言葉の力だと津田さんは言う。


私たちの活動のなかの言葉の力

 能勢農場・よつ葉の周りには、ニュースがたくさんある。よつ葉は『よつばつうしん』、農場は『農場だより』、商工組合は『商工組合ニュース』、これに加えて各産直がそれぞれニュースを出している。地域・アソシエーション研究所のニュースもあるし、『人民新聞』もある。なぜこんなにたくさんのニュースが発行し続けられているのか、ということを是非考えてほしい。あのニュースはみんなのところにも届いているかもしれないけれども、実は全国各地に届いている。今、ネパールに住んでいるよつば農産元職員の藤井君は、これらのニュースを読むのをすごく楽しみにしているということだ。そういうことをほぼ40年間ずっと続けていることの影響はなかなか無視できない。能勢農場・よつ葉がやってきたことを、基礎のところですごく支えてくれている。

 毎日毎日、繰り返してやっていることの強さと、現場を少しでもいい方向へ変えようとしてみんなが努力して生み出した結果を、言葉として発信することで、全然違った環境で、違った場所で頑張っている人たちの励ましになったり、刺激になったり、共感を生んだりする、それが言葉の力だ。それが政治というものを考えるポイントではないかと思う。自分が本当に真剣に考えて取り組んだことが、相手に伝わるようにどう言葉にできるのか、言葉の力をどう発揮できるのかが、他者とつながっていくために一番大切なことではないか。

 よつ葉のカタログ『life』もカタログである以上、商品を載せて売り上げを求める媒体だから、そこを越えられないのは分かった上で、でもそれ以上の価値、それ以上の意味をどれだけ載せられるのかというのが、カタログを作るうえで大切なことだ。

 この前、よつ葉の役員会で、正月号の『life』の一面に、毎年、商品をまったく載せずに誰かの挨拶を載せるのは売り上げにならないから、もうそろそろ止めたほうがいいのでは、という意見がカタログ会議で出たとの報告があった。それは間違っていると思う。1年に1回、まったく商品が載っていない一面を出し続けているよつ葉の思いや姿勢を正月号の紙面から感じている会員もたくさんおられるのではないか。そういうところで、どこまで勝負ができるのか。値段だけで勝負したらやがては負けるし、負けないようにしようと思ったら生産者にしわ寄せする以外になくなってくる。そういう意味でも言葉の力というのをぜひ大切にしてほしい、と津田さんは語って、「生活の力と言葉の力」の結びとした。



「シニョレッジ」と責任


 最後に恒例の、最近のトピックということで、1万円札の原価についての朝日新聞の記事を津田さんは取り上げた。1万円札の製造原価は20数円。20数円のものが1万円で流通している。その製造は政府が独占的にその権力を持っている。では、政府がそれを刷り続けるということの特権、その利益はどこにどうなっているのか。

 そういうことを考えていたときに思い出したのが、資料として配布した岩井克人さんの著書『21世紀の資本主義論』所収の「大きなアメリカ、小さなアメリカ」という文章。1997年、20年前に書かれたものだが、そこに「シニョレッジ」という言葉が出てくる。シニョレッジというのは、岩井さんによると、君主特権。つまり王様が自分の支配している国に流通させる紙幣をどんどん作ってばらまいて、金儲けする権利がシニョレッジだということだ。

 今、世界で流通している通貨の中心はドルだから、アメリカがこのシニョレッジの最大の既得権者。アメリカはドルをいくら刷っても、それが基軸通貨である限り自分のところに利益ばかりが蓄積していく。岩井さんが書いているのは、そういう権限を持っているからこそ、全体のことに責任を持つという高い自覚と責任感が問われるということだ。

 今、安倍政権は、アベノミクスといって、1万円札をどんどん刷って刷りまくっている。どんどん国債を発行し、それから株をどんどん買っている。結果として株価の上昇につながり、あるいは経済活動全体の下支えになって日本経済が好景気に向かうというのが安倍さんの言い分なのだが、全然そうはなっていない。刷ったお金は全部退蔵されて、少しもみんなの懐に回ってこない。安倍首相が、自分の政権を維持するためにこの原価20数円の1万円札をバンバン刷って、己のためにやっているのではないかという気がすごくする。

 今、アメリカも同じようになっている。基軸通貨を発行し、建前だけでも、世界の平和や世界全体の経済を考えなければならないアメリカが、トランプ政権になって自分の国第一だと、はっきり言うようになった。自分の国の労働者のために壁を作る、自分の国の労働者の雇用を守るためにアメリカにもっと投資しろと叫ぶような時代になってきている。すごく危険な状況になってきているのだということを、シニョレッジを切り口にして津田さんは指摘し、岩井さんの文章は、20年前に書かれたものだけれども、今の危機的な状況を考える上での参考になるので、ぜひあとでゆっくり読んでほしいと勧めて、今回の講座の結びとした。


参加者の感想

ヘタでも実感のある言葉で


 良い場面でも悪い場面でも、言葉の持つ力を実感することが多ければ多いほど、心の財産になると思います。自分が発した言葉が相手に伝わったと思える時には、嬉しく励みになります。

 先日も産地交流会で一緒に富良野へ行った会員さんから、私が伝えようとしたことは、皆さんに静かに伝わっていますよと、感想をもらいました。受け取り方は様々だとは思いますが、自分の言葉、誰かの受け売りでなく、ヘタでも実感のある言葉で伝えていくことは続けていきます。

 先日の本田廣一さんの言葉に反省させられたのは、うまくいかないことの原因を真剣に探ってその対策を考えないで、できないできないと何かのせいにしてないか、ということです。

 ひとつの言葉を出すのにも、時間がかかるけれど、自分の言葉に責任を持って(持たざるを得ないですが)いく、それはかわらずにいくつもりです。

 富良野の産地交流の会員さんからもらった言葉、「よつ葉さんって、手から手へつなげていく仕事なんですね」。嬉しかったです。
                                                     (深谷真己:よつば農産)


一日をほんとうに大事にしたい

 「日常の反復」は通常ではあまりに通常すぎて、何も感じずに過ぎていってしまう。当たり前のように一日を繰り返していってしまっているように思います。仕事は別だが。ですが、福島の原発事故によって、「その地で何十年と普通にしていた日常の暮らしを戻してもらいたいのが一番の思い」と聞いたのがとても印象に残り、いまだに忘れられません。自分自身もこういったことが起こらないと実感が湧かない(感じない)ことは、ある意味しあわせでもあり、このままでいいのかと思うときもあります。一日をほんとうに大事にしていかないといけないと思います。

 よつ葉に入ってからだと思うのですが、相手に考えを伝える機会が多くなり、言葉を考えて話すようにはしています。政治は身近なものであることは理解しているのですが、言葉は政治というのは理解しにくかったです。 
                                                        (中原恵一:能勢農場)


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