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よつばの学校 全職員向け講座 番外編 報告


私たちはなぜ農村を目指したのか(下)



 8月27日に行われた「よつ葉の学校・全職員向け講座」の番外編「私たちはなぜ農村を目指したのか」。前号に引き続き、当事者お二人の発言を受けた質疑応答の内容を以下に紹介する。


不思議な縁で救われる


 【質問】本田さんが実践されている、身近なところでエサを作って、そのエサで牛を飼うという畜産は、非常にシンプルで分かりやすいのですが、継続するのは相当難しいと思います。僕も本田さんと同じような志をもって畜産をしていますが、やればやるほど難しさを感じます。

 お話の中で、アメリカに勝つために100町歩ぐらいいると言われていましたが、どこからそういうエネルギーが湧き出てきたのかお聞きしたいです。

 【本田】僕は、日本の食べものの多くが輸入だということが、おもしろくなかったんです。食べものを自給できなければ、国家として存続できない。食べものを自給していないと他の国の属国になる。だから絶対に認めないという思いがありました。

 本当は牛とか豚が好きかと言ったら、大嫌いなんです(笑)。全然かわいいと思ったことがない。ただやはり頭にあるのは、牛肉、豚肉をつくることでは人に絶対に負けないということです。では、負けない牛肉、豚肉とはなんだ。ただサシが入ればいいとか、太ればいいという話ではない。たとえばおいしい脂をつくろうと思ったら、家畜のエサの中に、ビタミンとミネラルがバランスよく含まれていなければならないということです。家畜の生理に合った飼い方をする。その技術をつかめば、本当においしい脂ができる。

 【津田】お二人に質問です。70年代前半、主に学生運動の一つの終焉の時期から、学生運動に関わった当時の青年たちが、農村にいろいろな形で踏み出していった例は、たくさんあったと思います。ところが、現代までそういう試みが持続的に続いてきているのは非常に少なくて、たぶん全国的にもあまり例がないのではないかと思います。今回この企画をして、いろいろな知り合いに尋ねたりしたのですが、あまりいないということが分かりました。

 では、なぜお二人はこの45年を継続することができたとお考えになりますか。お二人が超人的な粘り腰をもっておられたのか、それともなにかもう少し違う社会的要因があったのか、そこはどんなふうにお考えでしょうか。

 【橋本】僕の場合は、大きな投資をするような場面がそんなにありませんでした。もちろんそれなりに投資をしなければならない場面はありましたが、営業的に賭に出るとかいうことはほとんどなくて、むしろ不思議なご縁でつながって、どうしようかなという時には“観音様”が現れてという感じです。
 ■地元農家が野菜を持ち寄る集荷場

 【本田】僕も同じです。いま牧場をやろうと思ったら最低でも1億円、うちの規模の農場なら5~6億円が必要になります。ただ不思議なことに、橋本さんじゃないけれども、主張をちゃんとしていれば、興農ファームが危ないというときには、それこそ“観音様”は現れます。そして、足りないお金を協力しましょう、と言ってくれる。世の中はうまくできている部分もあります。

 とくにうちみたいな農場は規模が大きいだけに、一歩間違ったら吹っ飛ぶけれど、なぜ吹っ飛ばないかというと、本田廣一が農業をやめると言わない限り続くからです。まわりは吹っ飛んだと言うけれども、全然吹っ飛んでいない。お金がなくなったから興農ファームが潰れたとか、資本主義を前提にした基準で判断するからおかしいのです。

 僕は、日本の農業を救えるのは、やはり僕しかいないと思っています。畜産に関しては、どんな学者が来ても、絶対勝てる自信があります。

やるべきことはまだまだある

 【質問】本田さんのお話で、興農ファームに学校を作りたいと言われましたが、私も同じことを考えています。地域の有機農業をやっている農村の中に、初等教育、義務教育の学校があればいいと思います。
  韓国の僻地に「プルム学校」という農学校がありますが、滋賀の若いお母さんたちがこの夏に見学に行ってきて、その報告会に参加して、「これならできるのではないか」と思っていたところです。

 有機農業、循環型の農業を中心にした地域に、学校がうまくやっていければ、加工もできるし、職場もできるし、それらを結ぶ金融機関というのもきっとできると思います。興農ファームがやろうとしている学校づくりにものすごく興味があるのですが、なにか構想があれば聞かせてください。

 【本田】学校をつくるというのは結果です。僕がなぜ農業を選んだかと言うと、人間の感性が失われているという思いがあったからです。

 たとえば、春。凍った川の氷が溶け始めて、水が流れ出す。その時に、川の氷が割れたときの音。それから、氷が溶けて、まだまわりが真っ白い雪の中にぽつんと福寿草が咲いて、福寿草のまわりだけ雪が溶けていること。そういうことに対して、僕らは、感性として美しさを感じる。その延長線上に学校があると考えています。

 農業をやるというのは、人間のもっている感性をもう一度取り戻すような仕組みとしてやらなければならないと思っています。僕は標津にきて40何年たちますが、いちばん好きなのはやはり春、川の氷が溶けて音がするときは、未だにいいなと思います。

 ただ、興農ファームが学校をやるというよりも、町を挙げてやる形でいきたいと思っています。僕自身はあまり社会的信用はないけれども、興農ファームはありますから、いろいろと協力してくれる役場の職員も増えています。だから、標津の町は変えられるという気がしています。そして、標津の町が変われば、あちこちも変わるだろうと思います。

 今度、興農ファームでつくっている商品を町内で販売をすることが決まりました。今は役場の人は食べていますが、これを本格的に町の商店が販売するようにすすめています。

 【橋本】最近僕の中に出てきたホットな楽観論でも紹介しましょうか。近未来に現れる観音様かもしれません。耕作放棄地がどんどん増えていますよね。能勢なんかもそういう傾向があるし、うちなんかも激しく感じていますが、あの田んぼを全部つくって、地域を占拠してしまえばいいのです。

 新しい人たちがつくって、10年かけて今いる人たちを全部放り出してしまう。ひょっとしたら時代というのはそういうふうにして変わってきたのではないかと思います。

 【本田】そう思います。標津あたりも、酪農家の数がどんと減って、このままいったら標津の酪農はダメになるのではないかと言っています。僕からすれば、早くダメになった方がいいのではないか。何年かすると、必ずその跡地には新しい人が入ってきます。だから、そんなに悲観的な考え方をしなくても大丈夫だという気がします。

 【橋本】この前、福井県の大野というところに行ってきたのですが、街の真ん中に大野城があって、天守閣から見渡したら、ずっと田んぼです。このお城を誰が建てたのかと言えば、もちろん大工ですが、大工に金を払ったのは誰かと考えると、たぶんあの田んぼの米がお金代わりに支払われて、田んぼが城をつくったのだとピンときました。

 田んぼを制する者が次世代を制する。米は現物だから、金融に投資するより田んぼを買って、自分たちで国家をつくる。

 【本田】北海道だって、不思議なことに水田の面積は減っていない。水田農家は減っているけれども、水田面積は変わっていない。それは農村人口が減っても農村面積は減らないのと同じことです。だからもっともっと農民人口は減るだろうけれども、畑の面積はきっと減らないと思います。農民人口が減るから、農業地帯はどんどん開発される。

大学闘争と社会の変化

 【質問】先ほど本田さんから日大闘争の話がありましたが、大学闘争、全共闘という言葉を聞いてある程度のイメージを浮かべる人もだんだん少なくなっています。今の時点から振りかえって、実のところ、闘争の中でなにをやりたかったのでしょうか。

 
【橋本】僕らの親の世代は、戦争に負けた後も、それまでの日本の匂いをしっかりもっていて、僕らはそういうものをベースに躾けられました。たとえば、朝早く起きて家を掃除するというようなことは、僕らの頃は普通でした。いわゆる高度経済成長で、そういう習俗がどんどん変化していくとまどいみたいなものがありました。どの辺は受け入れて、どの辺は異議を言うのか、大きな流れとしては70年代頃に大きく変わった。そういうとまどいが、政治的に突出した場合もあれば、社会的な習俗の変化としてもあったと思います。

 【本田】俺はやはり、世の中がどうのこうのというより、基本的に自分の感性をもう一回見直すということだったと思います。農業を始めてよかったなと思うのは、感性としてはまだ衰えていないと感じることです。

 【質問】先ほど本田さんは、大学闘争の中で、社会を変えるにはこれでは無理だと思ったと言われましたが、その当時、社会を変えるというと、労働者階級を軸とするのが主流で、農村などはあまり気にされていない時代だった。そういう中で、逆に農村に行こうと思ったというのは、どうしてでしょうか。

 【本田】社会を変えるのは労働者だなんて嘘です。僕は当時「嘘言え!」と思った。労働貴族と言われる連中が、どうして社会を変えられるのか。だから全然興味がなかったです。

 「本田はなぜ労働者の中に入っていかないのか?」と言われて、「入ったらバカになる!」と答えた。農業というのは食べものを大事にし、つくるけれども、それ以上に基本的に感性なのです。感性がない奴が世の中を変えると言ったって、絶対無理です。

 【橋本】たぶん藤本敏夫さんなんかも、そんな感じがします。「マルクス主義と労働運動」みたいな信念があったなら田舎には行かなかったでしょう。本田さんが言われるような個人の感性であったり、個をベースにするということかもしれません。全共闘も結局、最後は集団で、数を頼みにするしかなかったようで、そこが限界だった。

 たぶん労働運動からの脱藩組が農村に行ったのでしょう。能勢農場はちょっと違うかもしれませんが。

 【本田】労働運動の連中は社会を変えましょうと言うけれども、結局、単なる戦術論です。戦術論でやっても勝てっこない。だけど、農村に行って農業をしていれば、誰も文句は言わない。実際にそれなりに売上も確保できていれば、誰も否定はしません。だけどあのころの労働運動にはそういう存在の意味はなかったのではないか。

 
【津田】僕は本田さんみたいな育ち方はしなかったし、公務員の次男で、普通の中流家庭で育ちました。自意識がついて、「社会」とか言い始めたとたん、いかに自分のことしか考えてないのかということを思い知らされました。それに対して、僕が飛びついた一つの安易な自己救済というか自分が納得できる理由として、労働者のためにいかに頑張るのかということに救いを求めたような時代がありました。

 でも、そうしてつきあい始めた労働者階級が、いかにええかげんな奴らか、すぐに見える。ただ、あの時代の僕らが教えられたり、本で読んだ社会変革の教科書としては、新しく生まれ育った工場労働者が中心になって、社会変革を実現していく主体としての前衛政党がいかにつくれるのかと、真面目に考えていたときもありました。

農業のあり方を問い直す

 【質問】最近、若い人が農業に入っていったり、安心安全な食べものに関心をもっていたりします。農薬についてネオニコチノイドの問題が言われていて、それをどう置き換えたり、対処できるのかということをお聞きしたいです。

 【橋本】今の時期、僕はもう白菜の種を播きました。細かい寒冷紗をかければ、かなり防げるけれども、この時期やはり虫はいます。どうしようもないので、1回ぐらいは薬を使いますが、それくらいにとどめろ、そこから先ちょっと食われてもよつ葉さんは買ってくれる、大丈夫だ、と言ってあります。

 でも、本当はもう少し運動的な言い方をすれば、僕は皆農論の立場に立ちます。だいたい誰かがつくって誰かが食べるということに猥褻さが発生するので、自分の食う分は自分でつくればいい。社会的分業と言うけれども、田舎ではそうであるように、自分たちの食べる分は自分たちでつくって、お金の足りない分は出稼ぎに行くなり勤めをするという生活。それはすぐにはできないから、よつ葉の運動を通じて、その方向をめざそうと。だから会員ゼロの日が、よつ葉の願いが成就する日だと思います(笑)。

 その過渡期として、好んでネオニコチノイドを撒いているわけではないと思うけれども、撒いた中にそういうものが入っている。その危険を言うのはいいけれども、もう少し皆農論的なことや、近代農業が薬と化学肥料に支えられないと市場が必要とするようなものを供給できないという事実を、変に有機農業万歳みたいなことばかりを言っていないで、もっと消費者にちゃんと知らせるべきだと思います。そこは運動体として伝えていくべきでしょう。そんな甘いものではないということです。

 【本田】少々の虫食いはしようがないよね、と言う人がたくさんいます。しかし、虫に食われるような野菜を作っていたら話にならない。つまり、虫が食うということは弱い野菜なのですよ。弱い野菜を人間に食わせたら、人間はバカになりますよ。
興農ファーム
 ■厳しい冬の㈲興農ファーム

 だからいかに土づくりをしっかりやるかです。土づくりをしっかりやれば、光合成も強固になって、香りも強く出るから、虫も寄ってこない。だから、いかにして、たとえばトマトを作ったときに、トマトの花が咲いたときに、いかにして虫を寄せ付けないだけの香りを出せるかです。それは技術です。

 そういうことをお互いに突っ込まないで、少々野菜に虫食ってても仕方がないね、と言うのは、あんたの技術はいいかげんでいいよと認めているということなんだ、よつ葉は。そういうことをお互いになあなあでやっているからレベルが上がらない。

 【質問】私は大阪の高槻市で農業をしていますが、寒冷地での畜産を中心にした農業とは環境の違いがあると思います。私も、それなりに土づくりをしてやっているつもりです。しかし、今年の夏のような暑さでは、植物も頑張ってほしいけれども、それ以上に害虫の方がすごい旺盛な食欲を示すんです。土づくりをちゃんとしないような技術が未熟だと言われたらそうですが、大阪と北海道の気候の違いがあるし、それから140ヘクタールというところで牛と豚を育てて、野菜を作ってというのと、私たちのように30アールくらいの庭みたいな狭いところで必死になって草を取りながらやっている、もののスケールが違うと思います。

 【本田】こういう発言が、今の農家レベルで多いんです。もっともっと突っ込むべきなんですよ。なぜ、俺のところは暑くなったらこんなに虫が食うんだろうかと。僕は野菜だって7町歩で70種ぐらい作ります。皆さんよりも面積も広いし、種類も多いと思います。だけども、なぜ虫が来るのか、必死になって考えます。薬は一切使っていません。使っているのは豚と牛の糞尿を堆肥化したものだけです。

 虫に食われるときもありますけど、なぜ虫に食われたのかということです。いろいろ考えると、実は畝に撒いた堆肥が、頭に描いていた堆肥と違っていたということもあります。そうすると炭酸ガスを発生して虫を呼ぶ。それから、思っていたほど土ができていなかったとか、考えているような草の植生になっていなかったとか、原因はいろいろあります。

 「私は一生懸命やっている」と言われても、甘ったれるのもいいかげんにしろということです。作物は命をかけて育つんだから、僕らも命をかけてやるべきです。せっかくよつ葉に集まっているんなら、もっとそういう技術について、ガンガンやらなければダメです。

 【橋本】今の議論で、前から気になっている話をさせて下さい。無農薬とか自然農とかの底辺には、たとえば、女の人が化粧をしないとか、変にファッションで飾らないとか、そういう自然体で生きていたいという志向があるように思います。一方では、いろいろ工夫してアートになったり、クラフトになったりするように手がけていくような流れがあって、たとえば農産物に対しても、非常に手を加えたものがいいものだと考えるのと、なるだけ自然に育てるほうがいいんだということでやっている部分がある。あえて本田さんを肯定して言えば、そういう議論をあまりしないまま来ている気がします。

 安藤昌益という人が言っていますが、自然というのは「自リ然ル」だと。たとえば心臓とか腎臓というものは、自分が動かそうとして動かしているかと言われれば、そうではありません。

 それに対して、ビールでエビスを選ぶかサッポロを選ぶかは、作為に充ちた意図があって、これは作り事の世界ですね。どうも日本的な感性というか流れとして、できるだけ自然体、自リ然ルような世界でいたいという思いと、時代が進むにつれて、あれもしなければ、これもしなければという、そういうあり方への疲れとか批判みたいなものが、たとえば自然に作られた野菜がいいということにつながっているようなあたりに問題があるのではないか。

 本田さんは近代農学の上で、たとえば農薬を廃したり、化学肥料を廃した上で、農業をつくっていくような技術をさらに進めろという話で、僕はズボラで、しなくてもいいのではないかと。努力などは昔の人間のしたことだと、どこかで言ってやろうと思っていて、なかなか言えないのですが。

近代技術を超える

 【質問】橋本さんは先ほども胡麻の方で農家が農業をしなくなったことを言われていて、また以前から、篤農家がいなくなったということを言われていて、それが今の話とどう結びつくのかなと思います。

 【橋本】篤農の場合は、その人が生まれ落ちた家の周辺を全部読み切った中で、なにをどう作るのが自分たちにとっていいのかを考えている。近代化していくというのは、その主体が国であったり、全体であったりして、ローカルなものはどんどん消えていく。そのなかで技術も非常に強引なものが多くて、これはこうするものだ、本を読んだら肥料はこれだけやると全部書いてある。どこの土地にも同じ肥料をやることの危険というのは、やってみればすぐに分かる話で、篤農というのはローカルで、しかも個人的で、たぶん国家の意思などとは関係がない農家、あるいは技術のことです。答えになりませんか。

 【本田】僕は、篤農家というのは権力の手先でしかないと思っています。篤農家がいればいるほど、権力は維持できるから。篤農家が権力と離れたところに存在することはあり得ないと思っている。逆に言うと、さっき橋本さんが言ったように、我々が近代技術を超える技術をつくればいい。そうすることで、いま国が言う近代技術は全否定されますから。

 橋本論理からすれば、140町歩といえば規模がでかすぎるかもしれませんが、僕はもっとでかくしてやろうと思っています。

 どうやって農家自身が農業技術を新しく獲得していくかということです。日本で考えれば、1億数千万人の人間の食べものを自給するということは、つい何十年か前の技術の延長線上にはないということです。だから今の近代技術を超える技術です。そしたら日本は100%自給できますよ。そういう技術を自らつくり出していくということです。

 たとえば、うちは牛を去勢しない技術を持っています。日本の畜産技術の中では、去勢しないのは全否定です。大学でも研究所でも、去勢しない肉は3K、つまり「黒くて、硬くて、臭い」と言われていました。だったら、みんながおいしいと言って食える肉にすればいいんでしょう、という話です。実際、日本で初めて去勢しない牛を商品化しました。いま牛が800頭ぐらいいますが、1頭も去勢していません。それでも売れていますよ。

 だから国が言っている技術に単にアンチとして狭い世界でやるのではなくて、国家を超えて新しい技術をつくっていくということをやらなかったら勝てないです。安倍なんて、あんなバカを相手にして、あんな農業政策に乗っかったら殺される。じゃあ、アンチで小さくやればいいかというと、そうではない。もっと上をやればいい。

 【質問】40数年間、志をもってやっておられた本田さんのような人が、感性という言葉、氷が溶けたときの水の音とか、風景を感じ取れるのを感性と言われたことは、びっくりしました。感性を大事にするということと、志とがくっついているのだなと感心しました。

 そのパワフルな活動と、信念はすごいと思うのですが、まわりの一緒にやっている方、あるいはこれから一緒にやっていこうという方が、どんなふうについて行けるか。今うちもすごく若い子が農業をやりたい、お米作りをやりたいと言っていて、期待したいのですが、なかなか空回りというか、こちらの思いがうまく伝えられない。いままで一緒にやっていたスタッフと、新しい人が入るとすごく温度差があって、足並みが揃わないというか、ちょっと今いらいらしている毎日です。そのへんはどうでしょう。

 【本田】全然協調していないです。だって、新しく入った人間に合わせると、スピードが落ちますから。僕のレベルに追いつけばいいのです。追いつけない人は、もうすぱっと辞めていきます。だってそれは世の中が変わろうと変わるまいと、世の中のじゃまになるだけだから。それはもう、ごめんなさいね、です。

 たとえば、うちにも障害者が来ています。だけど、障害者も持っている能力を出して、やります。人によっていろいろ能力はありますから、その能力を全部発揮することはできる。それを、人間は結構ずるいですから、できませんと言う。できないなら辞めたらと言いますよ。僕はそんなに難しいことを言っているつもりは全然ない。

 だって、牛も豚も猪も、みんな自然界で生きているわけで、そんなに難しいことをやっていない。それを大して頭の良くない連中が理屈で語ろうとするから失敗するのです。

「論理」じゃなかった

 【質問】橋本さんは、ネパールで新聞を通じて全共闘運動のことを読んで、日頃思っていることとリンクすることがあったということですが、そのへんを具体的にお願いします。

 【橋本】大学院の時、どこかの教育委員会の偉いさんと話したことがあります。その偉いさんによると、日本の教育の特色は、子どもが尋ねてもいないのに教える。逆に、子どもたちが質問したことに対して、いかに分からせるか教えていくのが欧米の教育だそうです。

 その話と全共闘時代の大学の問題というのはつながっていて、それぞれの学生がいかに知りたいか、大学のあり方はこうあるべきではないのかみたいな議論をやったり、当時は産学提携のように、企業の研究を大学の中に持ち込んで、純粋な研究というよりは企業利益のために研究を使うことに対する反対だとか、もちろん学内民主主義がどうなのかというようなテーマだったと思います。

 山岳部は山を登るのはもちろん、ふらふら歩いたり、そのへんで飯を食ったり寝泊まりするわけで、かなりフリーにやっていました。リベラルというような市民意識みたいなものも含めて、もっと自由である方がいいし、給料のために自分が束縛されるのは嫌やなというような気持ちとか、その代わり自分がやった分だけの、手に入るものというのは一対一の対応で、しょうがないということとか、セットでそんなことを思っていました。

 ■日大農獣医学部でのバリケード
 【本田】橋本さんは客観的に日大全共闘を見ていますが、当の本人はいつ殺されるかどうかの勝負です。僕は自分の下宿に3回、日本刀で押し込まれたことがあります。バリケードに火をつけられたこともある。だから論理じゃないのです。“てめえに殺される前にこっちが殺してやる”という世界。そういうのは伝わっていない。「日大闘争の論理」なんてことを言いますが、「論理」だったら、俺らは死んでいますよ。

 僕はバリケードに火をつけられて応援に行ったときに、後ろから日本刀でばっさり切られたことがあります。そいつと掴み合いになって、日本刀を取り上げて、そいつをぶった切ってやろうと思いましたが、捕まるなと思って日本刀を折った。その時「うちの学校ってなんという学校だろう」と思いました。

 白昼の大通りで、日本刀をもった奴が2~3人迫ってきて、それを機動隊は見ているだけで止めない。すごい世界ですよ。

 【津田】そろそろ時間ですが、僕なりに今日のお二人の話を聞いて思うのは、人間を支配している経済活動って、本来はたいしたことがないということです。生命として人間を考えたときに、「食べる」が基本で、でもそれはもともと牛もそうだし、豚もそうだし、植物もそうです。そのところで考えたときに、現代の人間社会が当たり前とか、それ抜きにはありようがないとか、生きていけないとか、考えられないと思わされていることを、もうちょっとまじめに自分の中で見つめ直さないとダメだと思います。これはたぶん農業の現場でも畜産の現場でももちろんそうだし、関西よつ葉連絡会がやっている流通の現場でもそうです。経済活動というのを抜きに考えられなくさせられている現実、それを今日お二人の話を聞いて、もう一度自分たちそれぞれの現場で、考えてみないとダメなんじゃないかなというふうにすごく思いました。

 だからと言って、毎日食べておられるし、楽しく生きておられる、こういうお二人がちゃんと70年生存してきているということも含めて、考えてみないとダメなんじゃないかなと思います。最後にお二人にひと言ずつ、この集まりに。

 【橋本】こういう機会を与えてもらって、自分のことを振り返ってみると、けっこう無軌道な人生を送らしてもらってきて、津田さんによれば「生き延びている」ということですが、たまたま好運であるという気もしますけれども、サラリーマンであるという選択が唯一ではなくて、たまにサラリーマン的な時間を過ごすという感覚で、もうちょっとみんなが生き合えれば、面白いのではないか。そのためには、あまり金を使わないでもいい生き方を一方でしながら、そのへんの模索は、できるとまでは強いことは言えないけれども、やっていくのも面白そうだと思います。そんな気のある方はぜひ胡麻の方へ来てください。

 【本田】皆さんの前で大上段に構えて話しているけれども、自分の依って立つ基盤に対する絶対の自信が大事です。自分の依って立つ基盤が自分の中で揺らいでいると、人にはきっと言えないだろうと思います。みんなも自分が依って立つ基盤が何なのかということを、考えた方がいいのではないかなという気がしました。

 橋本さんはあまりお金のことは気にならないようですが、僕はお金は使えばいいと思います。なくなったら、つくればいい。銀行から金を借りても、返さなければいいんです。返さなくても、銀行の人は絶対殺さない。ただ、周りからは後ろ指を指されますよ。でも、それで堂々とやっていれば大丈夫です。

 【津田】どうもありがとうございました。





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