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アソシ研リレーエッセイ

「さわれないもの」と祈り



 8月初旬に韓国の知り合いが旅行がてらに来るというので久し振りに一杯やった。会うなり「いやぁ、日本は異常ですね~」と流暢な日本語でキム君は話しだした。「今年は暑いとは聞いてましたが、これ程とは思いませんでした。全く異常ですね。」(同感、若しくは同感以上)

 互いの近況や知人のあれこれなど、ひと通り話し終わってから、やはり最近の朝鮮半島(韓国では韓半島というが)情勢が話題になる。なお、この原稿を書いてるのは8月18日、8月初旬時点では若干だが、状況が違っていた。グアムへの威嚇攻撃計画の発表以前である。

 私の関心は、もちろん本当に戦争になるのかどうかであり、現在の深刻な状況を韓国の人々はどう捉え、どう感じているか、であった。彼はその逆で、日本人はどう思っているかなのだが、情報量と理解度の差からか、ほとんど私が質問し彼が答えていた。

 彼いわく「韓国人は日本人ほど騒いではいない。正確にいえば韓国の報道は日本の報道ほど騒いでいないし、戦争への不安を煽ってはいない。ただ韓国人が深刻に感じてないかといえばそれは全く逆である。同じ東アジアの隣国であるが、韓国と日本では緊迫感が全く違います。当たり前といえば当たり前の話なんですが」という。

 韓国では男性は兵役義務(18才~29才の間に約2年間、女性は志願制、キム君の頃はもっと兵役期間が長かったらしい)があるので、一部免除された人以外は、ほとんどの男性が軍隊経験者であり、自分が退役していたとしても子供や孫 または親戚や知人が必ず軍隊に入っているのである。

 軍隊はいつも身近にあり、その先の戦争も同様に身近である。朝鮮戦争(韓国では南北戦争または6.25戦争というそうだ)は、休戦協定が締結されてるだけで戦争は終わってない。いつでも一方的に破棄して戦争再開できる、という客観的状況としてだけでなく、一般市民の生活実感として常に戦争の不安は在りつづけてきた。

 「それに運の悪いことに…」と彼は続けた。ソウル市とその周りの京畿道だけで全韓国の総人口5100万人の40%にあたる2100万人が住んでいる。38度線と言われる軍事分界線からソウルまでは、「運の悪いことに」ほんのすぐなのだ。アメリカが騒いでいる弾道ミサイルや核爆弾などなくても、通常兵器のロケット砲などで充分届く距離なのだ。それに備えてすでに陸軍の中枢部はソウルからテジョンに移されているらしい。海軍の本拠地はプサン西部のチネにあるのだという。もちろん遷都案もあるらしいが、なかなかのようだ。

 「このような緊張状態を半世紀以上に渡って強いられてるのが我が韓半島の人々なのです。この不幸の雨は北にも南にも均しく降っています」と、そろそろ酔いがまわってきたのか、いつものキム君らしい熱弁が続く。饒舌な私が聞き役になることなど普段ではあり得ないが、私はこの男が大好きだし、私達日本人が知り得ない生の情報も興味深い。

 韓国のマスコミなどが報じない軍隊関係の情報や政治の裏話なども、いろいろなネットワークの中から、かなり正確に流れてくるのだそうだ。「政府やマスコミの発表を信じるだけでは生きていけない。民には民の知恵がありますから」。いつもキム君のうそぶきは、心地良く頼もしい。

 では、今回の緊張状態から戦争になると思うか?と質問してみた。キム君少し、沈思黙考。「それは愚問です。私は、戦争にならないことを、ただ祈るだけです」。朴槿恵大統領を退陣に追い込んだデモに積極的に参加していた正義感あふれる彼の発言とは思えなかった。

 「手でさわれないもの」と彼は言った。興奮すると母国語と日本語がいりまじる。

 「手でさわれるヒョンシル(現実)とさわれないものがあります。朴槿恵大統領弾劾はさわれるものです。しかし戦争というのは、一韓国人として、さわれるものではありません。さわれない以上壊すことも作ることもできません。ただ戦争がおきないことをキド(祈る)するだけです。」

 「さわれないもの」、「想像の外側にある悲惨」には、願いや祈りしかないということなのか。

 思いだけでは駄目で具体的行動をしなければ現実は変革できないなどと、青臭いことをいまさら言うつもりもさらさらない(恥ずかしながら、そんな考え方をしたことはあったような気はするけど)。祈りが弱者に残された唯一の積極的行動であることも、少しは理解しているつもりである。お互い歴史の教訓を単純化して議論し合う年齢でもないのに、現在の彼の心中がよく理解できなかった。只々、世の中を憂い合いたかっただけなのかも知れない。

 二人でしこたま呑んだ翌朝、彼は帰国した。あれからキム君の言った「さわれないもの」と「想像の外側にある悲惨」をずーっと考えている。圧倒的な現実ほど手でさわれないものなのかも知れない。そうならば、そのような「悲惨」にならないように祈るしかない。キム君! 次の再会は、爽やかな季節のソウルで酌み交わそう。

                                                  (W.S生:研究所運営委員)



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