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ネパール・タライ平原の村から(71)

一駅に一つ、ネパールレストラン

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その71回目。



 「駅前にインド・ネパールレストランがあったから、入ってみた」「私の友達がネパール人と結婚した」。そう言えば“偶然”にも……という感じで、一時帰国の時などに、日本の知人らが僕に教えてくれます。

 一方、ネパールでも、これから日本へ行くネパール人、日本から戻って来たネパール人が、“偶然”にも日本人が近くに住んでいる、という感じで、僕の家によく会いに来ます。「息子が留学するが、パートタイムの仕事は本当に見つかるのか」「週に何時間働くことができるのか」と心配な人。「インド・ネパールレストランで、働いていました」と日本語を話す人。

 「『インド・ネパールレストラン』と名付けるのは、『ネパールレストラン』だと人があまり入らないから」と、ほとんど従業員がネパール人なのに、出される料理にネパール料理がほとんどないことを教えてくれる人。「ネパール人は、時間を守らない」と、日本に長く滞在し過ぎて、日本人のようなことを言う人。

 ナゴヤ、コウベ、チバ、運送会社のピッキング、外食チェーン、コンビニレジと、様々な場所、仕事に出稼ぎ者や留学生が日本にいることを知りました。

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 プン・マガルの故地、ミャグディ郡カファルダンダ村を訪問した時も、「息子が日本へ“仕事”で行っている」と親戚が言いました。1年後に再会すると、「息子が日本に“留学”している」と言っています。つまり、仕事なのか留学なのか大きなこだわりがないようです。実際のところ、借金を抱えたりしながら、留学ビザで入国するのですが、アルバイトで稼ぐ方を重視していることがわかります。あるいは、そういう構造があることがわかります。

看板
 ■家のすぐ近くに日本留学斡旋業者の看板
 「フクオカにいました」。同じ村で、日本語を話す人にもついに出会いました。留学ビザの更新手続きがうまくいかず、1年で帰国したとのこと。スーパーマーケットでアルバイトをした経験を懐かしく語ります。僕の家からバスと徒歩で2日かかる山村での、日本語による会話です。

 また以前、何十年も前からネパールの調査・研究をされている南真木人さんから、同じくミャグディ郡のある山村での見聞を聞きました。朝、共同の水汲み場で、「おはよー、ゴミもう出したか?」という日本語が流行っているとの話です。道路のない、ゴミ収集車が来るはずもない山村で、日本語のジョークが流行るくらい、集団で多くの人が日本へ出稼ぎに行っているという一例です。

 カトマンドゥ在住の日本人の間では、「一駅に一つ、ネパールレストラン」という言葉を聞きました。日本へ一時帰国すると駅前近辺に、(インド)ネパールレストランの看板を多々見かけるからです。僕自身、4月の一時帰国では、駅からずっと離れた実家の近辺に、インド・ネパールレストランを2軒見かけました。

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 冒頭、日本の知人らが僕に“偶然”にも……という感じで教えてくれた話。実は“偶然”でもなかったのです。法務省によると、昨年の在留外国人数は過去最高の230万人を越えた、という記事を読みました。中国29.4%、韓国19.8%、フィリピン10.3%、ブラジル7.5%、ベトナム7.6%に次いで、6番目にネパール2.6%、約5万5000人とありました。

 ヒマラヤの開発されていない秘境の地。あのイメージはもう僕の中にはありません。今、こういう時代を迎えていると思うのです。
                                                      (藤井牧人)




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