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アソシ研リレーエッセイ

想像するということについて


 『想像ラジオ』(いとうせいこう著)のDJアークが、打ち上げられた杉の木のてっぺんから発信するのは、心を残した死者たちのか細い思いのようなものかもしれない。無数の死者たちの心残りをつなぐ『想像ラジオ』。死んでも死にきれない死者たちと、残された生者たちの思いの深さだけが、そことこことを結ぶ。聞かない者にはなにも聞こえない。しかし、それは「能力」とか「資格」によるものではない。想像することだけが『想像ラジオ』を聞く(チューニング)方法だ。だが、想像するとは、どういうことか。

 2011年の東日本大震災から6年が通り過ぎた。死者1万5893人、行方不明2553人、震災関連死3523人(2017年3月11日現在)。大阪という、ほとんどさざ波ほどの影響しか感じられなかった地にあって、想像することはほとんど絶望的な試みだ。30メートル近い黒い潮の濁流が轟音とともに押し寄せ、家々や、車や人びとを飲み込んでゆく恐怖。巨大な水の渦に飲まれていった人びと一人ひとりの思い、残された家族の悲しみ。その2万1969人分の堆積と、引き潮のような消失。

 東日本大震災の膨大な死者たちを思うとき、私は、今年82歳になった母が、父の仏壇に毎日手を合わせ、足繁くお墓に通う姿を重ねている。私にとっては、父の姿は遠い思い出やアルバムの中でしかない。しかし母は生活のある種の掟ででもあるかのように、父の手を離そうとはしない。それは何なのだろう。ただの因習なのだろうか。なんの意味もない習慣にすぎないのだろうか。そうではないと、いま私は思う。仏壇やお墓は想像を導くメディアなのだ。生き残った者が、死者と交わす交感のメディア。『想像ラジオ』が死者たちの心残りをつなぐメディアであるように。

 東日本大震災における2万1969人の死者たちと残された遺族の間にも、さまざまな交感のメディアが働いているだろう。それは遺影であったり、位牌であったり、仏壇であったり、お墓であったりするかもしれないし、汚れた日記や、古い写真であったり、記憶の中のちょっとした言葉であったりするかもしれない。しかし、どのような形のものであれ、私たちはそれを切り離したり、なかったことにすることはできない。なぜなら私たちは、想像する者、だからだ。死者を悼むということは、想像すること、表現することの原型に近いことだと思う。

 想像することは、意図でも必然でもない。政治でも社会でも経済でも表すことはできない。人間関係ではなく、個人の人格でもない。想像することは、それら一切であるとともに、そこから漂い出すあるとらえがたい働きのことだ。それは死者が去ったあとの、心の空白に漂う。津波の後のただ広い空き地に漂う。汚染された森林の、木漏れ日の中を漂う。私と彼らとの途絶えた関係や、こことそことの見えない絆を漂う。今ここから、私ではない場所へと漂っていく。

 表現するということは、自分が知っていることを外に表すということではない。知っていることの背後や、向こうにうごめくものを手探るということだ。私たちは、なにも知らない、自分のことも、自分を含むこの社会のことも。だからなけなしの勇気をだして言葉を立てる。その言葉に対するさざ波のような反響に、ただ耳を澄ます。『想像ラジオ』に耳を傾ける死者たちのように。

                                          (下前幸一:研究所事務局)



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