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ネパール・タライ平原の村から(69)

   「水汲みに行きなさい」がなくなって

  ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井牧人君の定期報告。その69回目。


 モンスーンが到来する前。今年もブルドーザーがやって来て、道路脇に植えてある家畜用の飼料木をなぎ倒しました。6年前は道路拡張工事、去年は舗装工事、今年は飲料水用の水道管設置工事のためです。そのたびに農家が道路脇に植えた、さまざまな高木並木の姿が消えて行きました。

 各戸に水道が設置されたのが17年前。朝晩のみ蛇口を捻れば水が流れていたのが、今年から日中もほぼ使え、しかも飲める清潔な水です。これで衛生的な水が地域に供給されるようになったとのことです。

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 これまで飲み水には湧水を利用していました。湧水が出る共同の水汲み場で、水入れやペットボトルに水を汲み、運ぶことがどこの家でも日課でした。しかし、乾季後半にもなると水源が枯れてしまいます。その分、どんどん遠くへ水を運びに行かなければなりません。逆に雨季になると水は溢れ、田んぼの草取りの帰り、そのまま水に浸かって泥を落とし、水浴びするのが僕らの楽しみでもあります。水汲み場は、飲み水を確保したい人に限らず、水浴びしたい人、洗濯モノがたくさんの人、水牛に水浴びさせることを日課としている人が集まる場所でもあります。

■水が涸れる乾季後半は遠方まで汲みに行く
 子どもの頃から水汲みを日課としていた妻の場合、水入れを何度も落とした思い出があるとのことです。当時の鍛冶師が作った、子どもが担ぐにはちょっと大き過ぎる青銅の水入れには、へこんだ跡がいくつも残っています。冷蔵庫がないので、清涼な水を保存できる陶器の水入れを担いだこともあったけれど、道中落として割れてしまい、泣きながら家へ帰ったことが懐かしいとのこと。週末、家に泊まりに来た同級生の友達は水入れを持参していて、翌朝、水を汲んで家へ運びながら帰っていたそうです。

 水道管が通っていなかった二十数年前の水汲み場は、今より人で賑わっていて、いろんな人と会う場所だったとのことです。以前はみな、牛を連れて放牧した帰り、貯水池から少し離れたところで、水をやり、水浴びをさせて帰るのが日課でした。それが地域の暮らしの変容とともに、今では牛を水汲み場に連れて行く人をほとんど見かけなくなりました。

 一方、雨季前の高温多湿で食べ物や生水が傷みやすいこの季節。水不足から、人や家畜の屎尿が浸透した地表水や浅い地下水を通じて、コレラ・赤痢・腸チフスといった感染症のリスクが高くなります。(反対に雨季に入ると汚染水は希釈され、感染症は大幅に減少します。)

 こうした理由もあり、安全な水の確保、女性や子どもの家事労働からの解放が目標とされています。

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 開拓移住地だった70年代。その頃は、洗濯も水浴びもでき、飲水を汲み、近くで牛も水浴びできる水源地が暮らしの中心で、地価が一番高かったとのことです。「幹線道路沿いの、あんな乾いたところ(水がない場所)に、誰が住めるのか!」と語られていたとのことです。それが今では、水源地から離れ、都市化され、便利な幹線道路沿いの方が地価が高くなりました。そして朝夕、子どもらに「水汲みに行きなさい」と、手伝わすこともなくなりました。子どもらが近所の友達を誘ったりしながら水汲みに行かなくても、家庭が廻るようになったのです。だけど、僕は思うのです。自然に合わせた労働(暮らし)が、今また一つ、見ることができなくなってしまった、と。

                                                             (藤井牧人)




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