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リレーエッセイ:僕が寝不足になる日

いつだったか忘れたが、「南米の番長がやって来た!」という見出しのスポーツ新聞の記事を朝のテレビ番組で取り上げていた。野球かサッカーの選手が来日したのかと思ったら、ベネズエラのチャベス大統領のことだった。「ベネズエラの暴君」という言葉も踊っていたと思う。そもそもラテンアメリカについてテレビでよく見かけるのは、オリンピック招致と「世界の果てまでイッテQ!」の珍獣くらいだろうか。「政権選択の夏」というコピーの総選挙は前回のエッセイに登場した女性の寝不足の原因になったようだが、ラテンアメリカ各国における「反米政権の拡がり」が寝不足の原因となる可能性はあまりなさそうだ。

あまり知られていないが、中央アメリカにホンジュラスという小さな国がある。人口は約710万人、面積は日本の約3分の1、拡大重債務貧困国(HIPC)の一つで、主要な産業は農林牧畜業(コーヒー、バナナ、養殖エビ)、最近は繊維産業に力を入れているとか。大規模な駐留軍を保持しているソトカノ米軍基地があり、米国にとっては中央アメリカだけでなくカリブ海諸国や南米各国にも睨みをきかせている重要な戦略拠点らしい。そのホンジュラスで、今年の6月28日、軍部によってセラヤ大統領が国外へ追放され、保守派のミチェレッティ国会議長が暫定大統領に据わった。セラヤ大統領は2005年11月の大統領選挙に自由党の候補として立候補、当選後は貧困層や労働者のための政策を推進、社会運動団体とも協力し、また、ベネズエラやボリビアなどの左派政権とも連携を強めていた。クーデター当日は、民主的な新憲法制定のための国民投票が予定されていたが、米国寄りの財界、保守派や最高裁判所、軍部は国民投票実施に強く抵抗し、協力を拒否していたそうだ。国連総会は6月30日、国外追放されたホンジュラスのセラヤ大統領を招き、クーデターを非難する決議を全会一致で採択。セラヤ氏は総会後に記者会見し、ホンジュラスに帰国する意向を表明、現在はホンジュラス国内のブラジル大使館に匿われているらしいが、クーデター派はセラヤ氏の引渡しを要求、逮捕すると息巻いているそうだ。

1980年代、ラテンアメリカ各国はIMF(国際通貨基金)・世界銀行によって「構造改革・規制緩和」を押し付けられ、「社会保障の切捨て、所得格差、雇用不安」が拡大したと言われている。この10年間で続々と反米左派政権が誕生する先駆けとなったベネズエラのチャベス政権は、今やラテンアメリカ各国に大きな影響を及ぼすようになっているが、10年前の大統領選挙における有権者の「政権選択」は正しかったのかもしれない。こんな話、日本の新聞でもテレビでも大きく取り上げられることはないので、知らない人のほうが多いと思うが、「政権選択」をしたばかりの日本の有権者にとって他人事ではない問題でもある。マスコミに大きく取り上げられ、劇場型政治と呼ばれた「小泉構造改革」がもたらしたものは、かつてラテンアメリカ各国が経験したことでもある。

米国が「アメリカの裏庭」と名付けた中南米において、米国資本・多国籍企業の利権に反する政権に対しては裏から手を回して親米の軍事政権樹立やクーデターを画策してきたと言われている米政府・議会の高官たち。数年前のベネズエラの軍事クーデター未遂事件に、そして今回のホンジュラスのクーデターにも関与しているらしい。このクーデターの非難決議を他の中米各国と共に提案したのは黒人初のオバマ大統領。そのうち暗殺でもされたら、日本のマスコミ(スポーツ新聞)は何と報道するのだろう。いつか僕も寝不足になる日が来るのかもしれない。(田中昭彦:関西よつ葉連絡会事務局)


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