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研究会報告:アソシ研・短期集中研究講座

いまマルクスを読み直す意味について

当研究所では、短期集中連続研究講座の第二弾として、大阪経済大学の田畑稔氏を講師に、「現在の世界とマルクス」と題する講座を企画した。世界経済の危機に伴って資本主義そのものにも疑問の目が向けられつつある昨今、資本主義を初めて全面的に批判しようとしたマルクスも、再び注目されつつある。現在に生きる私たちがマルクスから引き継ぐべきものは、越えて行くべきものは何か、今だからこそじっくり考えよう、との主旨である。以下、第一回目の報告の概略と参加者の感想を掲載する。

現在の世界とマルクス@

「現在の世界とマルクス」の第一回目は、全体の概説的な内容として、私たちが今日マルクスを読み直すことの意味について報告いただいた。お話は、@今日のマルクスへの注目の背景、Aマルクスの生涯と著作、Bマルクスにおける政治と国家――の三部構成であった。

今日のマルクスへの注目の背景

1980年代末から90年代初めに生じたベルリンの壁崩壊や東欧・ソ連の体制変革以降つい最近まで、社会主義や共産主義に関わる限り、国家体制はもちろん運動や思想に至るまで、すべて用済みとされる時代が続いた。マルクスも同様に、歴史的な審判が下された対象として扱われてきた。ところが、この間、日本も含め世界的にマルクスへの注目が拡大している。その背景として、昨年9月の「リーマン・ショック」を契機とする金融主導経済の破綻、その原因となった新自由主義の破綻を指摘することもできるだろう。

ただし、田畑さんはそれにとどまらず、少なくとも資本主義にまつわる18世紀以降の歴史的な流れを踏まえ、現在の局面を位置づける必要があるという。すなわち、18世紀のアダム・スミスの時代には、王制や職人経済に対して合理性を有していた自由競争推進論も、19世紀になると資本集中の結果、搾取と貧困を社会に蔓延させる惨状を呈した。これに対抗するものとして、19世紀の中頃から社会主義的な思想や運動が興隆を見せ、いくつかの変革構想が提起されていく。それは大きく分けて、国家権力を握って上から社会改造をする「ジャコバン独裁型」、逆に下から相互扶助的な協同組織を形成し、それを社会全体に浸透させていく「アソシエーション型」、あるいは19世紀の後半に有力になった普通選挙と労働者政党を基礎に議会を主戦場とする「社会民主主義型」――として括ることができる。こうした対抗的実践によって、体制側も徐々に一定の妥協を迫られることになる。つまり、国家の介入で労働基本権を認め、完全雇用や再分配といった福祉国家の制度を定着させる代わりに基幹労働者を穏健化していく方策が採られていく。これは「社会国家的妥協」と言われ、とくに第二次大戦後、先進国において全面開花した。

ただし社会国家的妥協は、大量生産・大量消費に基づく右肩上がりの経済成長を前提としていただけに、経済成長が頭打ちになれば、完全雇用や再分配に伴う負担が国家財政を圧迫し、財政危機を招かざるを得ない。また、経済成長に伴って不可避的に生じる環境負荷を無視し続けた結果、今日の温暖化に象徴されるような地球環境危機を引き起こした。こうして、先進国においては1970年に至って、社会国家的妥協の限界がさまざまな場面で露呈し始めた。

いわゆる新自由主義は、こうした限界を受けて登場したものだが、同時に、社会国家的妥協に対する資本主義の側からの明確な巻き返しの闘い、政治闘争である。デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』(作品社、2007年)によれば、新自由主義の推進者たちは、社会国家的妥協がヘゲモニーを獲得した段階から、対抗ヘゲモニーの形成に向けて着実に作業を進めてきた。社会国家的妥協の限界は、そうした対抗ヘゲモニーが支配的ヘゲモニーへと転換するきっかけとなったに過ぎない。公的部門の民営化や福祉の削減、規制緩和や投資優遇、企業減税、さらに貿易障壁の撤廃を軸とするグローバリゼーションの推進等々。これらが全体として新自由主義的政策を構築し、その結果、金融主導のマネーゲームや労働者の両極化が促され、さまざまな矛盾を生んで破綻を来たし、今日に至っている。

その意味では、新自由主義が登場したのと同じく、新自由主義の限界をきっかけとする形で、新自由主義への対抗ヘゲモニーを支配的ヘゲモニーへと転化していくような思想と実践が必要とされているのが、現在の局面だろう。田畑さんによれば、ここで重要なのは社会国家的妥協に復帰することではない。むしろ、経済成長主義や地球環境問題など21世紀の資本主義が抱える根本問題の解決と併せて、私たちが今度はどんな対抗的実践を形成すべきか、体制の側は今度はどんな妥協を考えているのか。こうした次元で問題が提起され、私たちは回答を迫られているのだという。

田畑さんは、以上のように現在の局面を整理した上で、その過程では「アソシエーション革命」や「陣地戦」をキーワードに、社会運動としての独自展開を基礎として、政治過程の中で体制側の妥協に対応していく構えが求められていると締めくくった。

歴史状況の中でのマルクス

それにしても、今日マルクスを読み直すにあたって、社会や政治の諸状況に対する私たちの構えが問われるのは、何故だろうか。それはまさに、マルクス自身が自らの直面する歴史的状況の中で思考や実践を行う中で、社会や政治、歴史に対する見方を形成してきたからに他ならない。この点は、マルクスの生涯と著作をたどる第二部の中で、改めて鮮明にされた。

田畑さんによれば、マルクスの生涯には三つの大きな転機があったと考えられる。一つは、『ライン新聞』の編集長を辞してフランスに渡り、高揚を見せていた労働者共産主義の運動と触れ合ったこと。そこには、フランス労働者共産主義運動の大立者エチエンヌ・カベーをはじめ、プルードンやバクーニンといった思想的ライバル、さらにはフーリエ主義者、ブランキスト、イギリスの労働貴族など、多様な思想と運動が集まっていた。マルクスもまた、それらの影響の中で、自らの思想を確固たるものとして形成していくことができたと見ることができる。

第二の転機は、フランスから追放され、ベルギーのブリュッセルで『共産党宣言』を仕上げたことである。田畑さんによれば、『共産党宣言』では、共産主義運動が目指すべき将来社会として、当初は「財貨共同体」(コミュノーゼ)という表現が使われていた。ところが、マルクスは最終段階でそれをすべて削除し、「アソシエーション」という表現に置き換えたのである。これは、マルクスが一貫してアソシエーションを極めて重視していたことを証明するものと言える。もちろん、そこにはプルードンやロバート・オーウェンの影響も間違いなくあるとはいえ、それらを消化した上で、自らのオリジナルな概念として再措定したことも確かである。

もっとも、未来社会を一つのアソシエーションと構想しているからといって、過渡期の政治という局面では、別の方策が必要になる場合がある。実際、『共産党宣言』の発表後に全ヨーロッパ規模で勃発した「1848年革命」では、マルクスは「ジャコバン独裁型」の国家集権主義を通じた革命を構想していた。というのも、言論の自由もアソシエーションの自由もない当時のドイツでは、国家権力の直接的な暴力支配に抗して武装自衛し、基本的な人権の獲得をめざす民主主義革命こそが第一の課題とならざるを得ないからである。言い換えれば、将来社会の構想と過渡期における戦術の相違は必ずしも矛盾ではなく、むしろ、直面する歴史状況の中で具体的な政治過程にどう介入していくかという問題に対して、マルクスが非常に敏感であったことを示すものと言えるだろう。

「1848年革命」の敗北後に移住したイギリスで、マルクスは困窮生活の中で経済学の研究に没頭し、64年に『資本論』の第一巻を出版すると同時に、国際労働者アソシエーション(国際労働者協会:第一インターナショナル)の創立に加わっていく。これが第三の転機と言える。田畑さんによれば、国際労働者アソシエーションと『資本論』第一巻との間には、非常に密接な関係があるとのことで、例えば、それ以前には消極的だった協同組合の位置付けについても、『資本論』の信用論では非常に高い評価が与えられるようになっているという。ここには間違いなくイギリスでの経験が反映されているとのことだ。

さらに、最晩年のマルクスでは、パリ・コミューンの敗北後にドイツで生じたビスマルク流の「社会国家的妥協」、つまり議会開設、普通選挙、労働者政党の容認という新たな条件の成立を受け、社会民主主義の中に左派の陣地を形成する方向で、自らの戦術を構想しているという。

こうしてみると、マルクスの中には、ジャコバン独裁型の部分とアソシエーション型の部分、さらに社会民主主義の左派の部分、の三つがあると言えるが、各部分は直面する歴史的状況に応じた過渡期の戦術として煮詰まったものであり、それらを貫く将来社会構想としては、一貫してアソシエーションを置いていた、と言えるだろう。

政治とは、国家とは何か

実は、今回の報告で田畑さんが最も強調されたのが、こうした問題である。つまり、社会運動としてのアソシエーション運動は、確かに将来社会の編成原理を内包するものではあるが、それ自体が政治的な課題と重なるわけではなく、また現実の政治過程に直接関係しているわけでもない。だからこそ、政治的な課題をどう捉え、政治過程にどう対応するか、正面切って考えることが必要となる。現実のシステムを見れば、国家(政治過程)が自立する形で社会を覆っている側面が強い以上、社会運動だけで社会が変わるという考え方は、意図とは逆の結果をもたらす可能性もある。

では、マルクスにとって国家とは、政治とは何だったのか。周知のように、この点は歴史的にソ連型マルクス主義の強いバイアスが存在したため、ほぼ「階級国家」一元論で理解されてきた。しかし、田畑さんによれば、これはいわば概念規定と現状分析を混同し、後者で前者を塗り込めるものでしかなかったという。もちろん、資本主義が支配的となった近代国家が階級国家であることは間違いないとしても、それは概念としての近代国家からすれば一つの現れに過ぎない。それに対して、マルクスは概念としての近代国家を、社会が自らを公的に総括する形態、すなわち「総括国家」として捉え、公的総括の過程(政治過程)をめぐるヘゲモニーと対抗ヘゲモニーの関係によって、公的総括の形態(制度)も変化すると捉える。 田畑さんとしては、こうしたマルクスの国家(政治)観を踏まえることによって、私たちを含め、今日さまざまな形でアソシエーションを形成し、社会運動を行っている人々が、国家・政治の領域を対象化し、両者の関係を慎重に見極めるための視座が確保される、との問題意識から、第一回目にもかかわらず、あえて複雑な領域を最後に置かれたようだ。残念ながら、時間の制約もあって、必ずしも十全に言及し尽くされたとは言えないが、この点は、第四回目の講義で詳しく再説されることになるだろう。(研究所事務局)

マルクスの史的唯物論の真骨頂を感じた ─田畑さんのお話を聞いて─

第一回目の講義は三部構成で、第一部と第二部で社会主義思想やマルクス主義思想をアソシエーション論を軸に展開した後で第三部「政治とは何か:マルクス国家論の端初規定」の話に入りました。三回シリーズのはずなのに、まるで一気にクライマックスを迎えた用で、実に示唆に富んで刺激的で、面白かったです。他の参加者も同様だったようで、質疑応答の時に質問が引きも切らず、わき返りました。ただし、第一回目とあって若い人たちも何人か来ていたのですが、あまりの急展開にとまどっていたようです。僕自身も最初は「今回は三回の講義のオリエンテーションで、今後それぞれ時間をとって話していただけるのですか」と間の抜けた質問をしたほどです。

今回この原稿を書くにあたって、事務局より当日の講義のテープ起こしをもらって読み返していますが、改めて、あの第三部こそがクライマックスだったのだとの思いを強くしています。

田畑さんのアソシエーション論は、ソ連型社会主義の崩壊を受けて、マルクスをもう一度読み直し、改めて社会主義の方向性を指し示しました。しかし、それは、「アソシエーションを軸にしてマルクスを読み直すといっても、別にアナーキストの立場に立てと言っているわけではありません」。そうではなくて、「政治とは何かということをかなり重視しないと、現実の路線としてのアソシエーションというものは、やっぱり説得力を持たないんじゃないか」というのが基本です。だから、今回の講義の第三部に「いったい、政治とは何か。あるいは、なぜわれわれは政治闘争をしないといけないのか」という問題を持ってきた、とのことです。しかも、「こういう問題を軸に、マルクスの新しい読み方というものを、ちらっと見ていただきたい」と言うのですから、刺激的でないわけがありません。

たとえば、いわゆる「土台と上部構造」で知られるマルクスの「上部構造国家」についても、「明らかに建物との比喩の関係にある」として、比喩である限りの限界を指摘されています。というのも、「本来は国家や政治はヘゲモニーと対抗ヘゲモニーが拮抗し合うダイナミックな総括過程」であり、それを「システムとして見れば国家であり、プロセスとして見れば政治になる」にもかかわらず、それを建物のように「静止して、国家と社会が空間的に別れたものとして」比喩的に説明したところ、分かり易いことが災いして、それだけがマルクスの国家論であるかのように理解されてしまう結果を招いた、というわけです。マルクスを多少でも囓った者には、これはガツンときました。他にも「階級国家」や「幻想国家」など。この点については、僕がとやかく言うよりも、ぜひ田畑さんの『マルクスと哲学―方法としてのマルクス再読』(新泉社、2004年)の「第9章:マルクス国家論の端初規定」を読んでいただきたい。

もう一つ。グラムシのヘゲモニー論についてもしっかりと総括されています。とにかくグラムシのヘゲモニー論は「敗者の総括」で、敵の強さばかりが強調され、気が滅入ります。しかし、田畑さんか今回、ヘゲモニー論を踏まえた上で、マルクスの国家論から「社会の公的総括としての国家(総括国家)」という側面を明確に取り出し、われわれも「社会が自己を総括するという公的総括の過程」の中で、ヘゲモニーを巡って相互に働きかけ合い、変化し合っているというイメージを提起されたことは、僕にとって希望と勇気を引き起こしました。ここにこそ、マルクスの史的唯物論の真骨頂があるように思います。(河合左千夫:(株)やさい村)


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