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活動報告:アソシ研懇話会「耕作放棄地」問題から「田畑(自然)と社会(人間)」について考える(上)

はじめに

去る6月17日、農地の効率的な利用を促し耕作放棄地を減らすとの名目の下、国会で農地法の改正案が可決、成立した。その柱は、大まかに@これまでの「所有」重視から「利用」促進への転換、A農業生産法人以外の一般企業にも貸借可能、などである。こうした動向の背景、そこからもたらされる結果についてはもちろん、その前提として、そもそも私たちと土地・農地との関係がいかなるものであり、今後必要とされる関係はどのようなものか、改めて考える必要があるだろう。そんな問題意識から、7月14日、有機農業運動などで中心的な役割を果たしておられる茨城大学の中島紀一氏(農業経済学)をお招きし、お話をうかがった。なお、文責はすべて研究所事務局にある。

インターネットで農地の売買が出来る現在

今回の課題である農地の問題ですが、少し前、全国農業会議所が農水省の補助事業で、インターネットで農地の売買、賃借の情報を開示し、斡旋するサイトを作るというニュースがありました。インターネット上で遊休農地等を登録し、その売買や貸し借りの斡旋をネット上で行うわけです。農地はもともと在地的な市場で動いているのに、そのことの意味を無視してネット上で動かすなんてとんでもないな、と思っていました。そのときに想像していたのは、例えば東京の誰かが北海道の土地を取得する、といったような話でした。あくまで国内的な問題だと思っていました。ところが、最近では、それは世界的な動きになっている。海外における農地確保を積極的に進めているのは中国、韓国あたりで、主にブラジルなどの農地を相当な規模で押さえていくという話もあります。各国各セクターが農地確保に動いているようであり、このまま進めば事実上の植民地のような状態になりかねない。そこで、国連食糧農業機関(FAO)などでは、国際的な農業投資について一定のルールを作らなければまずい、という話になってきた。この点は、先ごろのサミット(※1)で出された声明文(※2)の中に、ある程度それに関わるような話が出てきています。また、農業情報研究所の北林寿信さんが、『世界』の8月号で相当詳しく書いておられます。

農地の市場化というのは、このように世界的に見れば植民地主義的、帝国主義的な農地把握という話になっている一方で、国内の農家が所有する農地を巡る状況で言えば、耕作放棄地がどんどん広がっている。日本国内でもインターネット上で貸し借りができるのならば、海外のセクターが日本でストレートに農地を取得する方向に動いていくかもしれない。現在の農地法には国籍要件はないと思いますから、おそらく海外の企業も日本の農地を管理する一定の仕組みさえあるとすれば、日本の子会社でなくても海外の会社でも直に取得できる可能性がある。

こうした状況の中で、私たちとして農地問題をどう考えるのかというときに、農業を大事にすべきだとか、農地所有をどうすべきか、といった個別の政策問題はあるけれども、農地あるいは土地というものを私たちがどう把握するのか。つまり、理念的に把握するだけでなく、我々が日常の生活の中で土地とどう向き合うのか、もう少ししっかり考えておかないと、今日の農地問題について議論していく座標軸が作れないのではないかと思うので、今日はそんなお話をさせていただきたいと思います。

私がこんなことを考えるようになったのは、私が勤める大学の周りに耕作放棄地が広がっていたことがきっかけです。地元の知り合いの農家などから相談が寄せられるようになりました。いま私が関わっているのは山林で約30ヘクタール、谷間の湿原ような谷合の田圃約5ヘクタール、全部で35ヘクタールくらいの遊休地です。だいたい30年は人の手が入ってないようなところで、このままでは産廃業者などが入ってくるだろうから、これをなんとかしてほしい、と依頼があったのが6年前でした。その後、学生と一緒にいくつかの試みを行い、それを通じていくつか感じたことがあります。経過等については、農業問題研究学会で出した本(※3)の中にある「耕作放棄の意味と新しい時代における農地論の組み立て理論」という論文に書いてあります。今日は、この論文を下敷きにしながらお話したいと思います。

耕作放棄地は悪の象徴か

本題に入りますが、まずは「『耕作放棄地』をめぐる戸惑い」について考えてみたいと思います。いわゆる農地問題で言えば、2年か3年前ぐらいから、耕作放棄地を入り口として問題を論じるやり方が増えてきました。「耕作放棄地が広がってしまっている。これは由々しき事態である。これをなんとか解消しなければいけない」という形での議論です。経済財政諮問会議などでも、耕作放棄地問題は農地問題を語る最初の切り口になってくる。とにかく、農地問題をめぐる悪の象徴こそ耕作放棄地の拡大であり、これを解消させられるか否かが農地政策の正しさを証明する指標であるかのように主張し、経済財政諮問会議では耕作放棄地ゼロを目指すというような問題を提起しているわけです。これは後で話しますが、相当策略的な論理展開です。本当に耕作放棄地が問題だからというより、耕作放棄地という切り口で議論を進めていけば、彼らの政策が非常に分かり易く展開できるというのが実際でしょう。耕作放棄地の拡大は、いまに始まったことではない。にもかかわらず、この段階で急に政治問題にもなるというのは、そこに焦点を当てて議論すれば自分たちの主張が通りやすくなると考えたからだろうと思います。いずれにせよ、耕作放棄地は悪であり、それをどう解消するかが農地問題の軸である、という設定で問題が語られるようになっています。

しかし、私としては、そうした問題の立て方には異を唱えたい。なぜなら、耕作放棄地が必ずしも悪とはいえない、と考えるからです。逆に言えば、人間が土地と向き合うとき、最高の形態が農地耕作なのかと言えば、土地を農地として耕作することが常に正しい土地利用とは言えない。私の大学のある茨城県の稲敷台地で言えば、火山灰土壌の土地で、かつては平地林がたくさんあったところです。しかし、そこが東京の野菜の産地になっていく中で、平地林は切り拓かれ、野菜の畑に変わっていきました。こうして農地を拡大していった結果、春には土埃の嵐が出現し、化学肥料の使用等で霞ヶ浦の水質が汚濁する非常に大きな原因が形成されてしまった。林地の比率があまりにも減少したことが、問題の中心だったと思われます。湖沼の環境は基本的には森で支えられるもので、農地では支えきれない。少なくとも、1970年代から80年代の稲敷台地に関するかぎり、地域の生態バランスから見れば、農地を拓きすぎてしまった。だから、もし農地が余っているならば、地域の生態バランスという点で林地に戻した方がいいという判断になると思います。

現在の農地耕作を見ると、有機農業をしている農地は別として、まずトラクターの能力が向上し、過度な耕耘が普通になってしまっています。深耕トラクターで40〜50pものところを3oぐらいのメッシュの篩いにかけると、篩いの上には何も残らない。そこに堆肥も入れないまま、化学肥料を20〜30pの深さまで混ぜるとすると、従来の化学肥料の混ぜ方の3倍も4倍も混ぜられる。草が生えれば除草剤をまく。茨城県あたりでいうと、冬作の麦はほとんどなくなってしまって、春秋の野菜が少し入るだけです。冬にはもうもうたる土埃が舞っています。例えば、隣り合わせで裸地の畑と麦畑が二枚あるとすれば、麦畑が一冬で2〜3pも土が増えてしまう。つまり、裸地の畑からものすごい土壌流出が生じている。耕作地だからと言って、そんな農地の使い方でいいのだろうか。実際、いま農業委員会に耕作放棄地の対策を頼むと、トラクターを入れて、除草剤をまいて、というような管理をします。それだったら、草が生えたままの方が、むしろ土地そのものとしてはいいのではないかと思うわけです。

もう一方で、農地が駐車場などに転用される「農外転用」があります。私も農業委員会系の委員をしていて、月に一回は農地転用に関する茨城県の審査会に出ていますが、毎月毎月かなりの数の転用申請が出て、それがほぼ全部許可されていくわけです。耕作放棄地が悪と言われながら、農地転用は通常の農地行政の中で普通に進んでおり、大量に転用されていく。にもかかわらず、これは悪とは語られない。では、耕作放棄地は農地をどう変質させるのか。普通は、一度土地を荒らしてしまえば、もう取り返しがつかない。一度荒れた土地は復元するのが非常に大変だ、と言われます。もちろん、農家としては、先祖代々の土地を草だらけにしては、ご先祖様に顔向けできない、という感情の歴史がある。これらが重なって耕作放棄に関する潜在的な恐怖感が煽られている。いま、そんな状況があるだろうと思います。

自然地と農地との間

先ほど触れたように、私は現在35ヘクタールほどの耕作放棄地に対して、学生たちといろいろ実験しているわけですが、そこで得られた認識の第一は、耕作放棄地は第一義的には農地の自然地への移行過程と考えられるのではないか、ということです。耕作放棄地では、まず一年生の草本が生え、続いて多年生草本が繁り、その中から木本が育ち、次には森林が形成されていきます。茨城県あたりでは、最終的にはシラカシの純林になっていくと考えています。生態学で言うサクセッション、つまり遷移(※4)の理論が働いて、最終的には森になっていく過程です。これは、自然なことです。農地というのは裸地ですから、裸地が放耕地されれば先ほど言ったような形で植生が変わっていく、そうした変化が耕作放棄地で起きているとすれば、それ自体は決して特異なことではない。むしろ、一つの自然過程です。

とはいえ、現実には、耕作放棄地に最初に一年生の草本、その次に多年生の草本が生え始める場合、茨城県あたりでは圧倒的にセイタカアワダチソウ優勢の草原になります。セイタカアワダチソウは独特の生態的力を持っている外来種で、在来植物を駆逐しながら独占的な群落を形成していく。この状態を肯定するのかと言われれば、確かにまずいと思います。セイタカアワダチソウが優勢になることで、いわゆる秋の七草のような草本は次々に絶滅しています。だから、確かに大きくみれば遷移の一過程とは言っても、セイタカアワダチソウ優勢の形ではない遷移のあり方が可能だとすれば、それにこしたことはない。

さらに振り返って、そもそも農地とは何かと考えれば、地球上で普遍的なのは農地ではなく、まずは自然地であり、自然地の中のある部分を人間が預かっているのが農地のあり方ではないかと思うわけです。農地の豊かさは基本的には自然地の豊かさです。自然地は自然地であるかぎり、肥沃化の方向に進みますが、それを農地として使うようになると、地力は劣化の方向に進んでいく。だから、農地利用においては土作りが必要になる。とすれば、土地そのものの肥沃性、地力の肥沃性という点では、自然地に戻した方がよいことになります。土地の豊かさには地力の肥沃性だけではなく、生物的なポテンシャル(潜在性)、つまりその土地の中に潜在する生物の多様性が関わってきます。土の中にはさまざまな雑草の種子が含まれており、これをシードバンク(埋土種子)と言いますが、シードバンクの種類と豊富さによって土地の豊かさが決まってくる。これらの観点からすれば、裸地である農地と耕作放棄地を比較して、耕作放棄地の方がより健全な土地に近づいているとも言えます。

農耕の歴史を考えてみると、かつては焼畑という普遍的な農法がありました。これは、林地を拓き、焼畑という形の農地としておよそ4年〜5年利用し、その後は再び山林地に返すという農法です。林地〜農地〜林地が入れ替わる周期は、関東の茨城あたりでは40年から50年、関西では30年から40年ぐらいでしょう。林地の生産力に依存しながら、立木を伐って焼いて、無肥料、無除草で作物を作り、4年〜5年して作物がうまくできなくなると耕作を止めて山に戻すという過程を繰り返していく。立木を伐る際にも、萌芽更新(※5)で株から芽が出るような伐り方をする。こうした焼き畑のやり方は、日本でもほぼ普遍的にやられており、最も一般的な農業のやり方でもあったわけです。その次の時代の段階には常畑という形態が出てきますが、焼き畑を常畑にしていくためには大変苦労がある。

これは、戦後の開拓農民の方々が辿った苦労でもあります。開拓地では、それまで林地で地力が蓄積されていますから、最初の数年は無肥料でもうまく作物ができます。また、それまで林地だったところは雑草の植生ではなく、むしろ野草の植生だったわけですから、雑草が出てくるのに3年〜4年かかります。だから、1年〜2年は草取りをしなくても大丈夫です。ところが、3年〜4年を過ぎる頃、つまり常畑に向かって熟畑化していく過程に入ると、病気や雑草、成長障害といったさまざまな問題が出てきます。それを乗り越えて毎年使える常畑に仕上げていくためには、相当な苦労が避けられません。この熟畑化の過程は4年〜8年くらいはかかりますが、開拓農民にとっては耐え難い期間であり、ここを乗り越えられずに挫折をしていくのは、戦後の開拓史によく見られた事例でした。

こうした過程の中に耕作放棄地を位置付けた場合、耕作しないほうがいいとまで言う必要はないものの、耕作が困難になった場合に自然地に返していくことは、本来おかしなことではないと言えます。要するに、自然地と農地との間には確固とした越え難い一線があるわけではなく、本来は行ったり来たりするような関係なんですね。ところが、現実の農地制度は、耕作放棄地を挟んで自然地と農地が行ったり来たりするという事態をまったく想定していません。

この点は、農地転用の現状を見るとよく分かります。農地転用というのは、農地から住宅地や工業用地に転用するほかに、林地に転用することもあります。林地に転用する場合は、たとえば杉や檜の苗が何本準備されているかが許可条件になります。つまり、杉や檜を植林するならば、林地として転用を認められるけれども、耕作放棄地から自然地へ進む形で、そのままにしておくことは、林地への転用としては原則的に認められません。言い換えれば、農地法は農地を農地以外の経済的目的を持った土地に転用することは想定しているけれども、自然地に返していくという考え方はないのです。

私は、農地を巡っておかしなことが起きている原因の一端は、ここにあると思います。要するに、耕作放棄地に対して、農地法に象徴される従来の農地認識からすれば、農地か、さもなくば他の経済的目的を持った土地か、という枠組みでしか捉えられないわけですね。土地の基礎には自然地というあり方があるという認識がないのです。ここで従来の認識を大きく転換しない限り、耕作放棄地問題をきちんと捉えることはできないだろうと思います。少なくとも、農地を人為的耕作の場とだけ考えるのか、あるいは自然地からの預かりものであり、農地の生産力の基礎には自然的生産力があると考えるのか。後者の観点が抜け落ちているのが現状だろうと思います。

地域農業の再建こそ課題

ここで次に、耕作放棄地がどのように拡大しているのか、この点を見ていきます。まず確認できることは、耕作放棄地の把握は非常に困難だという点です。基本的には『世界農林業センサス(以下、センサス)』(※6)にある耕作放棄地面積が使われますが、そこでは耕作放棄地について、二通りの数字が出てきます。一つは『センサス』で農家と規定している人に、農地の外側に耕作放棄地がどれだけあるか自己申告してもらい、それを集計したものです。ところが、農家だけが農地の所有者ではありません。『センサス』では「土地持ち非農家」と呼んでいますが、実際には農業をやっていないけれども農地地目の土地を保有している元農家が膨大におり、彼らが持っている耕作放棄地もあるわけです。これは2005年の『センサス』からカウントされるようになりました。これが第二の数値です。しかし、そもそも農家ではない土地持ち非農家を『センサス』で把握できるのか、非常に疑問です。農家でなくなった人がどこにどれだけの土地を持っているか、農業の統計で把握できるわけがない。実際、土地持ち非農家の数は必ず過小評価されて出てきます。少なくとも、正確に把握できていないことは間違いありません。

さらに、現状は農地の地目で、開発のために押さえたけれども開発されてない土地もあります。市町村や都道府県、公社などが保有しながら「塩漬け」になっている土地がかなりある。これは耕作放棄地としてカウントされてはいません。だから、耕作放棄地の面積を把握するのは非常に難しい。

この間、耕作放棄地が大きく社会問題化する中で、農水省は去年、相当な予算を出して、各都道府県や市町村にもう一度耕作放棄地の一筆調査をさせようとしました。ところが、市町村は耕作放棄地の一筆調査をやりきれない。それをやるだけの体制がないわけです。現状では、ともかく統計が上がってきたのが全市町村の7割りぐらいです。

ただし、その内容はと言えば、たとえば、私の住んでいるところの役場も一生懸命報告は上げるけれども、どう考えてもおかしい数字が出てくる。原票を見ると、水田という項目は全で「0」が書いてある。そこで「水田の耕作放棄地はたくさんあるはずだ」と尋ねると、「いや、水田で耕作放棄されているところをそのまま記入すると減反政策と矛盾して、減反の補助金を返さないといけなくなる。だから、水田に関して減反の補助金がついているところは耕作放棄地にカウントしないという規定が入っている」と言うわけです。つまり、初めから、耕作放棄地を耕作放棄地として把握するという枠組みでの調査はやられていないから、こんな数字がいくら増えた、減ったと言ったところで信用できない。これが耕作放棄地の現状です。

ただし、正確な数字の把握はたいへん難しいのですが、耕作放棄地が拡大していることは事実です。では、どこで拡大しているかと言えば、二つの地域です。一つの地域は中山間の過疎地です。これは、村に耕す人がいなくなったから耕作放棄地が拡大している。もう一つの地域は都市近郊です。ここにも膨大な耕作放棄地がある。都市近郊では、都市化が進んで地域の農業は崩壊するけれども、農地が全で宅地になってはいないところがドーナツ状に存在しており、そこに膨大な耕作放棄地があるわけです。この場合、人はいても農家はいない。

この二類型の地域には、それぞれ耕作放棄地が生まれる要因がありますが、共通点は耕す人々が衰退していることです。それらの地域では耕す人々が衰退したのに、農地だけが残っているから耕作放棄地になる。つまり、耕作放棄地という現象は、実は地域農業の空洞化であり、地域農業の崩壊なんですね。農地が消えるまでには至らないけれども農業の実態がなくなる、そうした事態が耕作放棄地として現れている。とすれば、課題は耕作放棄地の解消にあるというより、むしろ地域の農業の再建にある。地域の農業の再建を抜きに耕作放棄地の問題を考えたって、それはただの政策的な誘導に過ぎないと思うわけです。

となると、地域の農業はどのように改善されるのか。一つは、小規模な家族農家が廃業して淘汰され、一部の法人経営が地域の農業を全て把握していくという再建の方向。もう一つは、地域で暮らす人々が、自分たちの問題として地域の農業の在り方を考えて再建する方向。実際は後者以外に現実的な道はないと思います。しかし、この再建方策の道は非常に厳しい。だから、現実的には、耕作放棄地は当面なくならないと考えたほうがいい。地域の農業がうまい具合に再建されて、農地がもう一度きちんと使われるようになればいいけれども、当面そうはならないというときにどう考えるかといえば、これは耕作法放棄地として何らかの管理をしていくしかないと思います。

耕作放棄地の可能性

先ほど触れたように、私自身、実際に学生と一緒に何らかの管理をしていますが、やってみると非常に面白い。次から次へと面白い問題が出てくる。まず、耕作放棄地では、絶滅危惧種も含む実に多くの生きものが生きている。それから、草刈り機でセイタカアワダチソウを刈って、畑にしたり田圃にした後、再び耕作放棄すると、そこには在来種を含む多種多様な草本が芽生えてきます。セイタカアワダチソウが優勢なときに植物の種を数えたら10種類ぐらいしかなかったところが、耕して再び耕作放棄をした後には90種類ぐらいの草が芽生えて、春も秋もさまざまな草花が咲き乱れている。非常にきれいです。

去年、30年ぐらい耕作放棄していた田圃を復元しました。私のところは粗植1本植えで、有機でやっていますが、40日か50日ぐらいの苗で分けつが2本か3本出ているような苗を尺角で1本植えします。そうやって植えた株が45本〜50本ぐらいの分けつになる。わりと手が大きい私でも、手刈りの際には1株を持ちきれないぐらいです。地域のお年寄りに手伝ってもらったら、「こんな株は見たことがない」と言われました。肥料はまったく使わず、耕作放棄の間に蓄積された土の地力だけで、その地力に合うような苗の植え方をすると、そうなります。雑草も出ないので除草の必要はありません。

ただ、先ほど触れたように、そんな条件は3年ぐらいまでです。それ以降は雑草をはじめ、熟畑化の過程で生じるさまざまな困難が押し寄せてきます。そこで再び耕作放棄すると、3年ぐらいで、雑草の中からセイタカアワダチソウが強くなってくる。ここでもう一度田圃に戻すと、30年ぶりとまではいきませんが、そこそこの田圃ができるはずです。つまり、こんな形で耕作放棄地を農地と自然地をつなぐような場所として管理していくと、普通の田圃や畑よりも自然な田舎の空間が現れてきます。それは同時に、地域の市民たちが一緒に参加できるような空間でもあります。そんな使い方もできるのです。

先ほど触れたように、耕作放棄地は幸か不幸か経済的な利益が生まれる見通しがまったくないところで、農家としては、多分に将来的な転用可能性も含めて保持している面があるのでしょう。ということは、将来的な転用可能性の部分に抵触しなければ、とりあえずそこを使って市民たちが耕すことに対して、それほど文句は出てこない。いわゆる所有の概念が希薄になっている土地なんですね。だから、挨拶なしというわけにはいきませんが、地代を払わなくても、地域で多少は信用ある人が使うのなら、農家から特段の反発は出てこない。もちろん、それを使って稼いだりすれば話は別だけれども、そうではなくて地域の人々が楽しめるような空間にすれば、いいわけです。

例えば、私が学生たちと管理している30ヘクタールの山林では、近所の人たちが犬の散歩をする場所になっています。朝になるとあちこちから集まってきて、交流の輪も生まれる。僕はそこで牛を飼っていますが、よく親子連れがやってきて、最初は子供が、子供が飽きたらお母さんが、牛を触りながらほのぼのしている。自然と触れ合うことによって癒される空間みたいなものができているわけです。耕作放棄地というのは、そんな空間にうってつけの場所です。恐らく、今後はさまざまな形で活かせる大切な場所ではないかと思います。その点からすれば、農地問題における「悪の象徴」のように耕作放棄地を捉える意見については、逆に私の方が非常に戸惑いを覚えざるを得ないわけです。=つづく=

【編註】
(1)今年の7月8日から10日まで、イタリアのラクイラで行われた主要国首脳会議。


(2)最終日にアフリカ諸国を加えて行われた拡大会合で採択された「食料安全保障に関する共同声明」。
(3)農業問題研究学会編『土地の所有と利用−地域営農と農地の所有・利用の現時点』現代の農業問題3、筑波書房、2008年。
(4)ある生物群集に別の生物群集が侵入して、生物群集が入れ替わりながら、ほぼ安定な状態(極相)へ変化していくこと。
(5)広葉樹を伐採した後、切り株から現れる新しい芽(「萌芽」ないし「ひこばえ」)を適切な管理によって育て、15〜20年後に再び伐採を繰り返すことで林地を維持する方法。
(6)FAOが提唱し、世界各国で実施されている農業・林業に関する統計調査。日本では1950年から10年おきに実施。中間年には日本独自で農業センサス(2005年から農林業センサス)も実施。http://www.maff.go.jp/j/tokei/census/afc/index.html

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