アソシ研リレーエッセイ
# 巷にはびこる「恋愛至上主義」 他に表現したいことはないのか!
高木くんの「逃げ恥」話から、このコーナーとしては珍しく3回もテーマが“リレー”されてきました(笑)。高木くんの推測どおり、僕も本紙の読者なのでそのドラマを一度も視ていませんが、星野源が歌う主題歌が「恋」(恋ダンス流行りましたね)ということからも判るように、所詮それが全てであって、性別分業と性差別の問題など掘り下げられることなど有り得ないでしょう。このドラマに限らず、昔の“月9”枠を始めほぼ全て「恋愛」がテーマで、洋邦問わず大衆的な音楽も、雑誌の特集等もそれに当てはまります。 何故? そんな疑問もあり、新しく入ったスタッフと配送車に同乗していた時にラジオから流れた曲を聴いて、「この人って恋愛のことしか伝えたい事ないの?って感じだよな。まぁこの人に限らないけど・・・」と思わず口にしたところ、「そうですよね」とおざなりに同調してくれたのですが、後から伝え聞いたところ、彼女はファンクラブに入るほどそのアーティストのファンだそう。とても気まずかった…。
「表現者として、他に表現したいことはないのか!」という気持ちなのですが、ここで考えなければいけない事は、芸術とは元々“請負仕事”であるという事実。ダ・ヴィンチやモーツァルトだって、主体的に何かを表現したかったわけでなく、時の権力者等がその権力を誇示するため依頼した仕事を請け負い、その出来映えがあまりに素晴らしかったため後から“芸術”として意味づけられたもの。現代ではそれがアラブの石油王やIT長者に代わっただけ。そのような破格のアーティスト達でもそうなのだから、溢れ返っているドラマや音楽もきっと何者からか請け負った仕事に違いありません。
ドラマや映画、音楽によって、「恋愛至上主義」は身体化されるほどになっていて、現に僕たちはイベント毎にプレゼントを贈り、好まれそうな服装をし、自慢できそうなアイテムを身に付け、自信を持ってアプローチできるような顔や体を作っていく…。結局その行動は消費につながっているのです。企業はスポンサーとして直接的に露出を高めるだけでなく、「恋愛至上主義」に代表されるように、作品を通して様々な手法によって消費行動を再生産しているのでしょう。