ネパール・タライ平原の村から(64)
子ども・子育て圏
僕には娘がいませんが、僕の家には娘がいます。
4日前、隣家から妻の姪っ子が学校帰り窓越しに、「こっちで住んでいい?」と聞いて来ました。1~2日泊まれば飽きると、みな思っていたら、以来、そのまま家の子となりました。周囲も特に問題にする訳でなく、今は妻と妻の姪っ子と、3人で暮らしています。
ただし、僕も妻も朝は農作業なので、姪っ子の朝食は大抵、隣家の方で。テレビもないので、見たい時は、いつのまにか隣家の方へ。学校から戻って来て空腹でも、おやつの準備はないので、そういう時も隣家の方へ。叱られた時も隣家の方へ。反対に隣家で叱られた時は、こっちの家へ。陽が沈むと隣家は、早々寝静まるので、そういう時もこっちの家へ。一方で炊事の手伝い、田んぼで草取り、弟らと家畜の世話や菜園の水やり、近所に用事の使い走り…労働力として、我が家の中での役割があります。
こうして、隣家の娘が1人減ったところでしたが2年前、母子家庭の親戚の子を、母親がマレーシア出稼ぎの間、隣家の方で預かることとなりました。初めはぎこちなかったのですが、今では隣家の妻の甥っ子らと一生懸命、子ヤギの世話をしていて、すっかり隣家の住人となっております。
ここでは、実の親子でない家族が、一緒に暮らしている話は、どこでも耳にすることがあります。例えば、プン・マガルのサスー(妻より年上女性の呼称)の場合。「家に子どもがいなかったので、弟から男の子を譲り受け、自分の息子として世話をした」とのことです。
さらにサスーの話は続きます。「16年前、プン(マガル)の女性らがジャングルに薪拾いへ行った時、生まれたばかりの捨て子の泣き声を聴いて連れ帰り、騒ぎとなった」。「近隣やプンの人らで話し合い、私の家には娘がいなかったので、引き取ることになりました」。「初め、周囲の人らがこの子を見に来ては、みな涙したものです」。プン・マガルの女性らは、警察に保護からすべてを一任することもできたのですが、誰がこの子の面倒を見るのか?ということを先に考えました。そして一定の手続きをふまえ、サスーは自分の娘として、プンマガルの娘として子育てされたとのことです。
児童労働や地震後に子どもの身売り増加など、ネパールの子どもを取り巻く社会の状況は、非常に厳しいというメディア情報は、あちこちで耳にすることがあります。だけど一方で、それだけでは決してない、と僕は思うのです。
小長谷有紀さんの中国内蒙古自治区エズネーの年老いた女性の聞き書きで、こんな記事を以前、読んだことがあります。「自分の子を養子に出したり、ほかの人から養子をもらったりする場合がたくさんあります。子どもなら、産んだ子ももらった子も同様に扱います。子どもを育てるということは、自分が産んでも、人からもらっても同じですよ」。僕はこの言葉の意味を噛みしめるうちに、ほとんど暗記してしまいました。