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市民環境研究所から

休むことなく歩いていこう

9月も10月も真夏かと思わせるような気候が続き、野菜の高騰はおさまらず、「食卓にみどりが並べられない」という嘆きが聞こえてくる。もっと苦労しているのが農家の人たちで、友人の有機農業者は、害虫の異常発生で、葉もの野菜は2度植え替えてもままならずに中止したという。

それでも11月半ばになると、やはり季節は移ってきた。イチョウは色づき、紅葉は紅くなり、秋は本番を迎えた。そんな季節の変化の中で、体調が悪いという訳ではないが、夏の疲れが動作を鈍くしている。また、11月8日には市民環境研究所(市民研と略す)にとって思い切った取り組みを行ったこともあり、その疲れが重なっている。そのイベントのことを書く前に、昨年から始まった「左京フォーラム」のことを紹介する。

脱原発や戦争法反対の市民運動仲間から、「よくも続くね」と賞賛なのか呆れ顔なのか分からないことばを度々かけられる。それもそのはずで、2015年7月に結成した〈戦争をさせない左京1000人委員会〉が続けている二つの行動がある。ひとつは毎月19日に京都市左京区の百万遍交差点から京都市役所広場までの〈戦争法反対〉を掲げてのデモである。もうひとつは「左京フォーラム」の開催で、2015年の9月から2016年11月までの14ヶ月で12回の講演会を主催した。休んだのは今年の7月と8月だけである。参考までに講演してくださった方々の名前を列挙すると、藤原辰史、冨山一郎、池田浩士、岡野八代、秋山豊寛、吉竹幸則、エマニュエル・パストリッチ、白井聰、竹本修三、エイミー・ツジモト、梶田真章、千葉宣義、池尾靖志、池内了(敬称略す)のそうそうたる顔ぶれである。

このフォーラムを軸にして、市民研に出入りする人々が増え、その人たちがこの月一回のイベントをこなしてくれている。これだけのことが出来たのは、いくつもの大学があるという左京区の土地柄によるところが大きく、この特色を生かして京都の戦争法反対運動に貢献できたらと考えてきた。それにしても、苛酷な日程であった。

そして、もうひとつの大きな課題である「脱原発」。原発ゼロを実現するために運動をどのように展開するべきか、多くの人々が苦慮している中で、市民研としての大きな決断が、「小泉純一郎元総理の講演会」の開催であった。経緯は割愛するが、筆者は「保守支持者の中の良識派」に「脱原発運動」を浸透させない限り、原発ゼロは実現できないのではないか、と思っていた。フクシマ以降の小泉の脱原発への想いを、そのような京都の人々に語ってもらおうと、11月8日に講演会を開催し、350人という定員越えの参加者が彼の主張を受け止めてくれた。

筆者が苛酷なスケジュール以上に疲れた理由は、外にある。1990年から現在まで26年間に亘ってカザフスタンのアラル海問題を調査し、ソ連邦崩壊/カザフ独立以前からカザフと日本との交流に取り組んで来た者として、2008年8月の本欄に「小泉がカザフスタンを訪問したのは任期切れの1ヶ月前であった。日本の現職総理としての初めてのカザフ訪問ではあったが、格調高い外交ではなく、単なるウランの買い付けでしかなかった。日米の親密外交を演出してきたブッシュと小泉の最後の仕事が、揃って原発利権であるとは、情けないの一語に尽きる」と記した。アラル海問題をナザルバーエフ大統領との共同声明に入れるので資料提供をと外務省から要請され、資料を送付したというのに、アラル海は入れられず、東芝の原発売り込みと、丸紅のウラン買い付けのための訪問としか見えなかった。その小泉を自分が招くということはなかなか踏み切れなかったが、彼の「日本の歩むべき道~一日本人としての思い」「総理、原発ゼロと言え」を信用し、我々にはない言葉で語ってもらいたいと決断した。そして、満席の参加者に脱原発は伝わったと感じた。

苛酷な日程はこれからも続きそうであるが、休むことなく歩いていこうと思っている。

(市民環境研究所代表 石田紀郎)

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