▲サイによる被害を防ぐ見張り台
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ネパール・タライ平原の村から(61)

自然と向き合う その2 
      -森に依存して暮らして来た-

「昔、2日間歩いて、トゥリヴェニへ向かう道中、ジャングルで巨木の下に仲間と焚火で暖を取った」「寝ている時、仲間の一人がトラにさらわれ、みなで大騒ぎになったが、それに驚いたかトラは、数メートル先で仲間を放した」「良く乾いた頑丈な動物の毛皮(羊と思われる)を覆っていたので、無傷で済んだ」少数民族マガルの古老から聞いた話しです。

ジャングルだった平地が開拓される50年以上前。交易の中継地、インド国境沿いのトゥリヴェニまで出掛けたとのこと。マハヴァ―ラト山脈で採れた蜂蜜、ショウガ、ターメリック、山イモを、平地で生産される米、小魚、タバコと交換するため、カゴを背負える歳の子ども含め、歩ける者は、(12年に一度)みなで旅に行っていたとのことです。

「トウモロコシの収穫前、サルに喰われないよう、声を張上げ、物音を響かせたりしながら、朝から日暮れまで、見張りをしていた」ミャグティ郡の山岳部で暮らしていた、妻の母親が平地へ移住する前(同じく50年以上前)の話しです。「トラが出没した時は、数人で岩場へ追い込み、銃でトラを仕留めていた」そして「トラの肉を食べ、剥いだ皮にもう一度、物を詰めて外から縫い、担いで近隣の村々を回って、各戸から食糧や金銭を貰っていた」当時の村人にとって、ほんもののヒーローであったようです。

「イノシシは出産前、茂みに巣作りをするから、どこに居るか(生むか)がわかる」「子が生まれたら、イノシシを追い払い、イノ子を捕まえそれを育てる」ジャングルにヤギを放牧に出掛ける人から聞いた話しです。

今でも、山岳部では森に野鶏を獲りに行く話しや、野鳥、イノシシ、鹿と様々な野生動物の習性や肉を食べた話しを心弾ませながら、語られたり聞いたりすることがあります。今も狩猟生活がどこか残ってあるのです。

「さっき、鹿を2頭、仕留めて来たところだ」マハヴァーラト山脈の集落で出会った人が銃を磨きながら語ったこともありました。一部部品は、市場で購入した以外、全て手作り。一度マオイスト(共産党毛沢東主義派)に徴収されたけど、また新しいのを作ったとのことでした。ただし、1990年代後半から2006年まで続いた内戦中、マオイストに銃が徴収され、ネパール全体で猟をする人がすっかり減ったとのことです。また、「ACAP(アンナプルナ自然保護地域プロジェクト)ができて、かえってサルによる作物被害が増えた」カスキ郡で暮らす知人。自然保護区制定により、野生動物の狩りが禁止され、森が住民によって管理されなくなったことで、かえって作物被害が拡大したという話しです。

  野生の動物と向き合うこと、恐れること、そのこと自体が生活であった時代から、人口増加、絶滅危惧種保護、ユネスコ世界遺産登録。現在は国家(自然保護法)や国際機関(開発援助)の科学的で、正当な論理で野生動物を管理する方向へと進んでいます。野生動物が棲息する森を利用して来た住民も、監視・指導される対象とされる中、プロジェクトの受益者は誰かを問い直す方向へと見直しも進められています。誰のための自然保護なのかが問われていると思うのです。

                           (藤井牧人)


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