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ネパール・タライ平原の村から(55)

地震から10か月、被災集落を訪問


     大地震から10か月が過ぎましたが、インド/ネパール国境物流閉鎖による、ガス・燃料不足で、復興どころか経済もほとんど止まった状態のようなネパール。寒季となり 行政・NGOより、被災地に毛布や衣類が配布される、緊急支援が続きました。こうした状況の中、今回はバスでカトマンドゥに出て、翌日トレッキング ルートとしても名高い、ランタン方面シャブルベンシへ移動。さらに翌々日、歩いて標高3200mに位置するラスワ郡ガッタラン村、チベット系タマン人 の被災集落を訪問しました。
 被害がなかった平地から、瓦礫が既に撤去されたカトマンドゥまでは、ほとんど地震があったことを実感することはありません。しかし、カトマンドゥか ら北方向へ、山あいの道路を数キロ進めば、そこからは、崩れた壁、半壊した家々、援助資材のトタンや防水シートで組んだ仮住まい、土砂で家・土地を 失った地域の避難キャンプ、所々で地滑りした山並みが見受けられました。バス移動の目的地シャブルベンシに着くまでの約8時間、さらに、ガッタラン村 集落までの徒歩の道のりと、広範囲に渡って被災してあることを認識させられます。
 ガッタランの被災集落の家屋は、割石を積み上げ、1階が家畜小屋で2階が住居という、同じ屋根の下に人と家畜が住んでいるのが特徴です。集落はおよ そ250軒あり、厳しい自然条件下で人が固まって暮らして来たことをうかがい知ることができます。集落内は、崩壊した家屋の割石が散乱し、瓦礫の撤去 作業が全く進んでいない様子でありました。そして被災者から、地震時の様子をタマン語訛りのネパール語で聞かせてもらいました。
 「揺れたのは昼間だったので、ほとんどが集落を離れ、段々畑で農作業をしていたので助かった」。しかし、「集落にいたお年寄り4人が亡くなった」。 遺体を野生動物に喰われないよう、「瓦礫から壊れなかった行李(かぶせ蓋の付いた荷物入れ)の中に入れた」、余震が比較的治まった「3日目、他の遺体 と一緒に火葬した」とのこと。
 地震発生後、「集落の周辺2〜3か所に、自然とできたグループで7日間過ごした」。「食糧は、瓦礫の中から各自で持ち寄ったり(主にジャガイモ・シ コクビエ・トウモロコシ)、お店の貯蔵庫の食糧を村で買い上げることにして、共同生活をした」。地滑りで遮断された道路が開通した7日目、シャブルベ ンシまで片道4〜5時間、「家族の成員数に応じて、食糧配給を受けに歩いて行った」とのことです。
   高低差のある畑で、集落からの堆肥運搬の負担を軽減するため、家畜と共に移動しながら過ごす、ゴート(移動式の簡素な仮住まい)をありあわせの材料 で作る暮らしを元々続けて来たガッタランの人々。彼らは食糧配給後、「それぞれの畑にゴートを設置して過ごすようになった」とのことです。それから雨 季が近づいた1か月後、トラックで「トタンや防水シートの支給があった」とのこと。また、羊・ヤギを引き連れて、植生豊かな雨季を標高の高いところ へ、いつも通り放牧へと出かけた人もいる様子でした。
 今後の再建については、「まず瓦礫を撤去したくとも、割石を10個動かすだけでも大変」。「国は17の復興住宅モデルのデザインを提示しているが、 未だ何の動きもない」。「国の基準を満たしていない住宅は、支援を受けられないらしいが、既に自力で家を再建した人もいる」とのことでした。
 再建に向け、気になったのが「復興住宅モデル」とは、どのような住宅なのだろう?揺れに負けないことが重視されそうだけど、復興住宅である前に、復 興農家であることはどこまで考慮されてあるのか。これまでのように、地元で手に入る資材、自分達で継承できる技術で建てられるのだろうか。自然条件の 制約を受けた民家から、国の画一的なモデル住宅になるのだろうか。そもそも復興の目途がないのを見越して、出稼ぎがさらに加速するのだろうか?とそん なことに思いを巡らせました。
 ・・・集落が崩れてもなお続く、自然と家畜と住居がともにあるようなガッタランの文化、人が僕は好きです

 (藤井牧人)

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