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ネパー ル・タライ平原の村から(53)


イ ンド /ネパール国境封鎖




 引き続き、非公式によるインドネパール国境封鎖が継続中です。この間、メディアから復興という言葉が消えてしまいました。一方で、国境封鎖に対する 人権 活動家の抗議活動や新憲法反対抗議で死傷者が出る事件、医薬品不足、石油供給量が通常時の1/4等の報道がありました。また、闇市場で燃料を販売した 人が捕まる報道も度々。こうした状況ですが、ちょっと緊張しながらバスを乗り継ぎ、国境地帯を2ヶ所、実際に行って見ました。
 最初に家から約80km、ルパンデヒ郡スノウリを訪問。ここは、両国民以外の第3国者が通行可能(ビザは必要)な国境ゲートの1つです。国境検問所 があり、その通り沿いのあちこちでポリタンクが売られてあります。また、タンクローリーの周囲に人がたかり、ガソリンの売買も。屋台のおじさんによる と、両国民の国境の行き来は、従来通りであるが、「インド側から燃料を買付けて、国境ゲートを渡ることは不可能」と言っていました。ただし、「夜通し (24時間)密かに、インド側から各燃料が運ばれて来る」とのこと。
 国境ゲート脇の狭い路地に入ると、ガスシリンダーが大量にあったり、ポリタンクからガソリンが大型タンクに注がれたり、逆にポリタンクへ小分けされ たりと、忙しく取引きが展開されておりました。さらに路地を進むと、田んぼが広がっています。この田んぼを隔ててインド側から、いくつかある畦道をガ スシリンダーを担いだ人、空のポリタンクを下げて、自転車でインド側へ戻る人らが行き交っていました。また、水牛を連れてネパール側からインド側へ行 く人、サリーで着飾ったインド側からネパール側へ出かける女性もいます。闇市場の仕組みもさる事ながら、地図に引かれた国境線とは無関係に、国境地域 をまたがって、そこを生活圏とする人がいる事が非常に良くわかります。
 その後、家から50kmの国境地帯、僕が暮らすナワルパラシ郡・郡庁パラシに行きました。が、町の1km手前でジープが停車。そこから徒歩で移動と なりました。住人の話しでは、「新憲法成立の1か月前(8月下旬)から、既に道路が封鎖され、車が通行禁止となっていた」。「夜は車両通行が解除され るので、深夜中、燃料を密かに搬送する車が行き交う」とのことです。同じ郡内でありながら、初めて異なる状況を知りました。さらに町から12kmの国 境ゲートまでは、乗り継ぐ車が無いので訪問は諦めました。町では、ミネラルウォーターのペットボトルに、ガソリン1g200ルピー(228円/g)が 商店前に堂々、並べて売られてありました。
 “国境封鎖”と言っても、鎖国状態という訳では全くなく、また、人海戦術で大方、闇市場に支えられています。ガスが尽きたという話題も聞かれる一方 で、工面しながらどうにか暮らしている、慣れた印象も受けます。都市部を含め、元々電気・ガス・バイクが少なかった時代を経験しているネパールの人達 を見ていると、単に危機意識が低いだけと言う声もありますが、3か月経過しても、簡単にパニックに陥らない、そういうたくましさもあると思うので す。                 

 (藤井牧人)

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