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アソシ研リレーエッセイ:笑うしかない話と笑うに笑えない話

「米作っちゃ飯が食えねえ」という笑うに笑えない話が日本の農山村で繰り返されている。この十数年で米価は暴落し生産費すら賄えない状況だ。爺さまに先立たれ農作業を委託する近所の婆さまの通帳は、年々赤字が積み上がる一方。それでも先祖から受け継いだ土地なので、せめて草刈りだけはと鎌一本で畦に出向く。米だけは買った方が安いと言い続けてきた爺さまの面色も変化が見え始めた。これまでは安い米価も笑い飛ばしてきたが、体力の衰えとともに笑う余裕もなくなり、田畑に出てくる回数も減ってきた。

近所で草刈機の音が聞こえてくると、焦って外に出る。特に夏場の草刈りは朝が早い。5時頃から刈りはじめる爺さまもいる。草刈といっても機械作業だが、老体に鞭打ち刈っている爺さまの横でやるとなぜか頑張れてしまうから面白い。特に高齢の爺さまが刈っていると、せめて向こうが終わるまでは、と私も作業を続ける。畦の草刈りは夏場の大切な作業だ。草を伸びていると、やれカメムシや虫の隠れ場になるとうるさく言われる。特にこの季節は刈っても刈ってもすぐに伸びるので一日中草刈りで終わることもある。

一方、農作業事故の3割がこの草刈機が原因で起こっているという。農民の作業中の事故はここ30年位どの製造業よりも高く推移してきた。死亡事故も毎年400件近く生まれている。貴重な農民が一日一人は亡くなっていることになる。死亡事故の原因で多いのが、乗用トラクターだ。若い時の感覚で運転し、転落や横転事故につながっている。近所の集落では、働き盛りの60代が草刈機の刃が足に当たって出血多量で亡くなる事故も起きてしまった。噂では、ヘリコプターで都市部の病院に搬送されたが、間に合わなかったと聞く。

高齢化とは緊急時に、近くにいる人が少ないことも意味する。農山村ではそもそも病院や診療所自体削減されているので、事故時の対応も遅れてしまう。それでも爺婆さまらは、農作業や米作りを続けてきた。ただしそんな意地とも怨念ともつかぬ伝統でもって田畑を耕すのも60代後半当たりまでのような気がしている。そもそも田舎で暮らしていても50代になると、金にならない上にきつい労働である農作業自体しない人々が増えている。爺婆さまが草刈りや農作業をしているのに、子や孫の世代は犬の散歩やウォーキングで忙しい。それならいっそ都会に引っ越せばいいのにと思うのだが。

言いたいのは、田舎には笑うに笑えない話は盛りだくさんだが、笑うしかない話もまた多いということだ。ただ笑えない話ばかりしてられないので勢い笑い話になってしまう。しかしそうした現状を嘲笑うかのような話が、今世間でも話題の減反の議論である。将来像を描かぬまま、米価のさらなる暴落にもつながる政策が農家の事情を汲むことなく話され始めている。メディアの報道ぶりも大きな問題だ。朝日新聞などは、減反をやめて株式会社に任せる、それが農業問題の答えだみたいなことを平気で社説で言ってしまう。少なくとも私はこの無知蒙昧ぶりを笑い飛ばすことができない。笑うに笑えない話でもなんでもなく、怒るしかない話である。ただ怒っているだけでは話が始まらないし、そもそも身が持たない。怒りを内に秘めた笑い語りでもって食や農業を考えていく必要があるのかもしれない。(松平尚也:研究所事務局)


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