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ネパー ル・タライ平原の村から(45)

タライ 平原の乾季

 マンシール月(11月中旬〜12月中旬)頃までに稲の刈入れ、保存までの作業が終了すると、すぐに水田は耕運機もしくは、2頭だての牛によって耕作 されます。そして水田裏作として、さまざまな作物の種が蒔かれます。その際の施肥ですが、水牛を主とした家畜の所有量に応じて、撒かれる堆肥量が決ま ります。そのため、主食となる水稲の作付け時と比べ、十分な堆肥を確保できていない大半の農家では、堆肥を一切撒かれないまま、乾季作が作付けされる ことも多々あります。もしくは、化学肥料である程度代用される農家も見られます。 


裏作のあれこれ


 水田 裏作として作付け量が最も多いのは、小麦と菜の花です。次に乾燥や肥料不足でも十分育つダール豆や搾油用の豆類の作付け。その他、そばや大麦、水利条 件の良いところや管井戸ポンプのモーターで、地下水汲み上げが可能なところでは、トウモロコシや米の二期作も見られます。水牛/牛の飼料として、牧草 類も多く作付けされます。これらは出穂どころか、わずか20〜30cm程度に生長する度、何度か刈られ、ワラに混ぜてエサとして、利用されます。恐ら く、土の養分・水分不足のためか?どこもこうした方法がとられていると思われます。
 種の蒔き方は、いずれも種子を“ばらまき”します。小麦と菜の花の混作も一部見られます。聞くところによると、収穫期が重なるので、小麦と菜の花を 混作する方法は、かつて日本でもあったとのことだそうです。また、田面に厚く種をばらまきされた分、作物が草を抑草するので、畔以外の草取りは、基本 的には行われることがありません。また、排水不良の湿田は、休耕田となります。代わりにヤギが野草を食みながら、糞が落とされます。

いつかきた道


 そば の花や菜の花が咲き、小麦が穂を出すマーグ月(1月中旬〜2月中旬)。色とりどりの水田風景を見ながら、日本農業から「水田裏作」「米麦二毛作」とい う言葉が消えて、「麦作廃止」「水田単作」となったのは、なぜか?小麦を海外へ依存したという歴史について考えて見たくなります。そう記すと、あたか もここでは、自給を支える昔ながらの多様な作付けが見られるような気がします。
 とこ ろがここ数年、こちらの水田にも、明らかな変化が目に留まるようになって来ました。いくつかの例の1つは、規模の大きな酪農や養豚による多頭飼育で す。水田を埋めた施設(畜舎)で見られるようになったこと。「専作」の始まりです。もう1つは、土地価格の高騰、土地投機の影響で、農地を売り払う人 が増えたこと。ちらほらと水田が埋められ、家が建ち始めたことです。水田の「宅地化」の始まりです。
 「専作化」や水田の「宅地化」もまた、日本農業が歩んで来た道であることにふと気付かされます。僕は自分から、ちょっと道を外れてみたつもりだった のですが、こちらの道もまた、同じ方向へと続く道であったようで、一人溜息をついてしまったところです。・・・家ではもうすぐ、そば、小麦、ダール豆 の収穫に脱穀が始まります。  


 (藤井牧人)

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