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アソシ 研リレーエッセイ

重 要なものはそれほど多くない

新断捨離

 2010年の後半頃から「断捨離」という言葉を目にしたり耳にしたりすることが多くなった。「断捨離」とは、モノへの執着を捨てて、身の周り をキレイにするだけでなく、心もストレスから解放されてスッキリする―これが断捨離の目的とされている。
 私も部屋の掃除や片づけが苦手だったので、「断捨離」は、大いに役立った。自分が今必要としているものは何か?を明確にすることで、捨てるもの が明確になるからである。
 押し入れや衣装ケースの中を点検してみたら、「これって、20才代に着ていたモンじゃないのか?」と思われるセーター、前回いつ着たか覚えてい ないジャケットが、次から次へと出てきた。これらを引っ張り出し、大型ゴミ袋に詰めたら3袋。衣装ケースは、ガラガラになった。
 捨てるという行為によって、余計なものを溜め込んでいた自分の姿を見せつけられたし、捨てずに残った物を見て、自分の好みもはっきりしてきたよ うに思う。
 「もったいない」精神は、物を溜め込む要因とされるが、残した物を最後まで使い切るようにすれば、この精神も生きてくる。
 要するに、自分の好みや必要な物がはっきりすれば、要らない物を買うこともなくなるので、物が増えることもない。
 部屋は、軽く掃除する程度で比較的居心地のいい状態を維持することができるようになった。

低成長時代


 断捨離は、確かに私の生活環境改善には役だったのだが、この思想が流行る背景を考えてみると、社会構造の変化がある。1960年代の高度経済成 長期を通して日本は、大量生産大量消費社会へと変化した。幼年期に物のない貧しい時代を過ごした私は、高校生時代せっせとバイトをして、欲しい物 を買っていたような気がする。
 バブルを経た日本は、それまでの物がなくて貧しかった時代から、一気に物が溢れる時代になった。そこで、家の中に入ってくる物を「断」ったり 「捨」てたりするテクニックが必要とされるようになった。
 したがって、昨今の「捨てる」は、大量消費時代の「古い物は捨てて、新しい物に買い換える」というものとは違い、買うことそのものを抑制するこ とを含んでいる。低成長時代に見合った生活スタイルだ。

捨ててもいい不安や欲望


 と、ここまで書いて、何かケツの据わりの悪い思いがしてきた。本当にそうなのか? 断捨離ができるのは、所詮、十分すぎる物を買うことができる (た)中産階級の特権でしかないのではないか。
 母子家庭の平均年収は全世帯の平均所得の37.8%。母子世帯の貧困率は、66%。さらにOECD(経済協力開発機構)の貧困率のデータ (2008年)によると、日本の子どもの貧困率は13.7%。7人に1人が貧困状況にある。また、単身女性の貧困率は30%を越えており、高齢単 身女性のそれは、50%を越えている。
 こうした事実を知る私が、「断捨離で生活環境が良くなりました」なんて悦に入っていていいのか?
 所有する物は減らすことができたが、次に来たのは、生きる上で余計なものを溜め込んでいないか?という問いだった。
 「重要なものはそれほど多くない」と思って生きてきたつもりだが、知らぬ間に余計なものを溜め込み、何が大事なのか?ぼやけてきているように思 えた。
 私は、あと3年で60才を迎える。人生の最終ステージだ。どうするか? まずは、捨てていい不安や欲望を確定していこうと思う。
           

(人民新聞社 山田洋一)


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