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市民環境研究所から:物事のウラを観る視点の必要性

大型連休の上に、勤務先の京都学園大学は4月30日と5月1日も特別休日となるため、8日間の長期休暇となった。例年なら、この機会を利用してカザフスタンに出かけているが、今春は諸々の理由で出かけないことにし、8日間も自宅にいることとなった。もちろん、畑仕事や原稿書きなど、いくらでもやることはあるから、時間を持てあますことはない。とはいえ、やる気が失せていくのも黄金週間の習いである。休みだからと言って朝はゆっくり眠るわけでもなく、いつもと同じように6時には確実に目が覚める。上手にさえずり始めたウグイスの鳴き声を聞きながら1時間ほど畑仕事をし、その後はコーヒーを楽しみながら、いつもはチラッとしか見ないテレビをゆっくりと見る。それから夕方まで、いつもより、はるかに多くの時間をテレビと過ごす。

なんとまあ、今頃のテレビ番組の低俗さ、幼稚さは呆れるばかりである。なにを今さらとお叱りを受けそうだが、見れば見るほどその低俗さに怒りがこみ上げてくる。とくに、朝の6時〜7時台の6、8、10チャンネル。よくぞこんな番組のために朝から働いているな、と感心する。2や4チャンネルも褒めるほどではないが、前者の低俗さに比べれば、まだ、ましかと思う。この時間帯から始まって、プロ野球中継とニュース以外の番組はこの世になくても構わない存在でしかない。芸人と詐称する男や女が、面白くもない幼稚な、芸らしきものと本人が思っている痴態を繰り広げ、テレビを観ている人を楽しますのではなく、自分たちが騒ぎ楽しんでいる様を電波で流しているだけである。

現代風俗時評をするつもりはない。問題は、このような番組を提供しているスポンサーがいることだ。現代の若者に、「こんなつまらん番組を放送してけしからんね」と言うと、「観なければいいじゃないですか」と返事が返ってくる。時間の節約からすれば、それはその通りである。そんなことを言っているのではなく、こんなくだらん番組製作と放送の資金をスポンサーである会社が広告費として支出しており、その膨大な広告費は商品の値段に転嫁されているである。

ところが、今の若者には、そのように観る視点がない。黄金週間の高速道路は大渋滞の多発である。どこまで乗っても1000円にする政策で、遠出が増え、全国一斉大渋滞だという。総額2兆円の定額給付金も同じである。どちらも多額の国債を発行し、借金を増やしているだけなのに、1000円で安いから、1万2000円貰えるから、良いではないか、とくる。芸のない芸人、政策のない政治家がテレビの中ではしゃいでいると思っているうちに、テレビを観る人も観ない人も大きな借金だけを背負わされるのである。久しぶりの自宅での黄金週間は、さわやかな季節とはちぐはぐに終わった。(石田紀郎)


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