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研究会報告:「農」研究会

はじめに

この間、フランクリン・ハイラム・キング『東アジア四千年の永続農業−中国、朝鮮、日本』(上下二冊、農山漁村文化協会、2009年)を題材に、感想を語り合う機会を持った。本書の内容は視察・見学の記録なので、是非とも直接目を通していただきたい。そのためのガイドとして、参加者からの感想を紹介する。

資本主義は人々の生活を土から切り離す

100年前に書かれたアメリカの農学者の本である。最近、農文協から復刻出版された。アメリカ人が書いたものである。あのアメリカにもこんな学者がいたのかということと、アメリカのその後を考えれば、なぜこのような思想家は歴史の表舞台から葬られたのか! 本書に挿入された数々の写真は、100年前の私たちの社会に思いを致すことに役立つ。100年の間になにが大きく変わってしまったのか? その時間の中で、私たちは何を得、何を失ったのか! 現在的な諸課題を克服し、今後を考えていく上で、失ってきたことの意味を検証することは大いに役立つ、等々。結構刺激的な本です。

「われわれは豊かな処女地をわずか三世代で疲弊させてしまうような農法の地アメリカから、30世紀にわたる作物栽培の後にもなお肥沃な土を維持し続けている別の農法をとる土地に来た。」

100年前、アメリカの農学者が日本、中国、朝鮮の農業をみて、持続的な農業の現場を具に観察した上での著者の感慨である。

著者は農務省の土壌管理部長として、アメリカ政府の農業政策にも関与した経歴の持ち主だが、当時の局長と意見が合わず2年で辞めている。その後、自らの研究を深めることに専念する。アジアの農業視察もその一環で、その報告をまとめたのがこの本である。アメリカでは「土壌物理学の父」として歴史的評価を受けているが、その後のアメリカ農業をみれば、その農業思想全体については、主流として受け入れられることはなかったことになる。今でも、一部にはその思想を尊ぶ人たちもいるようではあるが。

資本主義は人々の生活を土から限りなく切り離すことで進展した、という言い方ができる。土とつながった生産物を「商品」とするためには、「商品」の受け手を増やしていく必要があるわけで、そのためには大半の人々の生活を土から切り離していく必要がある。そのことが「資本」の利益となる。その観点から考えると、循環・持続的な生産思想が広まらなかった理由は明白というべきか。資本主義システムそのものが循環・持続とは相反するものだ。

社会の仕組みの根幹を問わない「環境論」「何とか論」など、インチキで、人を欺くだけのものになるのは当然のことである。根本的な変化を望まない支配層の力が強く働いているからだ。インチキ環境論に便乗して「エコ、エコ、環境、環境」と一儲けを画策する有り様をみていると、これじゃ何も変わらないばかりか、ますます末期的な症状を深めていくだけであろう。マスコミ・インチキ学者等を総動員して社会的な常識が作られていくわけで、その常識はいつの時代も本質から人々の目を逸らさせる圧力となる。

キングのような学者がアメリカ社会の主流とならず、正反対の略奪的な生産思想が主流となり、全世界的に蔓延してきた100年の歴史を私たちは目の当たりにしているのである。

100年単位で、私たちの社会をもう一度きちんと省みる必要がある、そのことに気付かせてくれる本である。(鈴木伸明:関西よつ葉連絡会事務局)


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