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ラテンアメリカ連帯経済の研究に学ぶ(上)

─「もう一つの経済」を模索する“連帯経 済”─

   昨年から今年にかけて、偶然のきっかけからラテンアメリカの「連帯経済」につ いて研究する先生方と面識を得て、さまざまなお話を伺った。「連帯経済」について関心を持ちつつも、どう取り組んでいいのか見当をつけかねていた こともあり、希有な機会となった。以下、先生方から伺ったお話の概要を2回に分けて紹介したい。なお、当初はインタビュー形式で、お話を採録する 形で考えていたが、専門的な用語も多いため、当研究所で再構成する形にさせていただいた。文責は当研究所にある。


はじめに



 昨年 暮れ、立命館大学経済学部の小池洋一氏から関西よつ葉連絡会事務局あてに、以下のような要請が届いた。
 「この度研究活動の一環で、フランス国立工芸学院教授のジャン=ルイ・ラヴィル(Jean-Louis Laville)氏を招聘……することになりました。ラヴィル氏は、『連帯経済』の提唱者で、欧州など世界各国の連帯経済を比較研究し、国家、市場と並ぶ開発の制度として の非営利・協同組織など連帯経済の可能性を追求しています。……来日に合わせて、日本において優れた活動をしている協同組織を訪問し、意見交換したい との希望をお持ちです。つきましては、……貴連絡会をお訪ねすることをお許しくだされば幸いです。」
 かくして、昨年12月7日に小池氏を含む「ラテンアメリカ連帯経済研究会」(代表:幡谷則子・上智大学教授、http://ecosol-al- japon.com/)のメンバー3名が、ラヴィル氏とともに関西よつ葉連絡会を訪問された。当日は、関西よつ葉連絡会事務局の田中事務局長から、関 西よつ葉グループの形成過程や活動内容について簡単に紹介し、それをもとに若干の意見交換を行った。また、別院物流センター、よつば農産などいくつか の現場を案内した。
 その後、今年3月15日には、こちらからお願いし、幡谷氏と小池氏にお話を伺う機会を持った。
 「連帯経済」という言葉は、日本では未だ一般的に流通しているとは言えない。しかし、視線を世界に転じれば、今日の社会・経済のあり方を批判的に捉 えようとする人々の間で広く用いられつつあるようだ。とりわけ、ヨーロッパや中南米のラテン系諸国では、実践的にも理論的にも幅広い活動が展開されて いるという。そもそも、新自由主義のグローバル化に対抗すべく社会運動に取り組む諸個人・諸団体が2001年、世界各地からブラジルのポルトアレグレ に集まって開かれた「世界社会フォーラム」で提唱されたのが発端らしい。
 名称 からも類推できるように、差し当たって連帯経済は社会における連帯や協同といった互酬の原理を基軸においた経済活動を意味し、市場における交換 を原理とする経済、国家による再分配を原理とする経済とも異なる。むしろ、それらに対するオルタナティブ(別の選択肢)と位置づけられる可能性を孕ん でいるという。具体的な実践領域は環境保護、地域おこし、福祉・医療サービス、地産地消、雇用創出、市民金融、地域通貨など多岐に及び、協同組合、 NPO(非営利組織)、NGO(非政府組織)、アソシエーションなどが主体となる場合が多い。目的は利潤の追求ではなく、社会の福利や持続可能性、地 域の自立、社会・経済・政治面における民主主義の確立など多義的である。

地域研究から連帯経済研究へ


 幡谷 氏が代表を務める「ラテンアメリカ連帯経済研究会」は、名称にもあるとおり、もともとラテンアメリカの地域研究を行ってきた研究者が、そこでの 事例を念頭に置いて連帯経済について研究することを目的に作られたものである。とはいえ、現状では連帯経済という概念枠組み自体も形成過程にあり、そ れによってラテンアメリカ諸国における諸実践を捉え切れるかどうかも明らかではない中で、概念枠組みそのものについても論議しつつ実態に迫り、理論化 していく必要があったからだという。
 幡谷氏によれば、ここで言うラテンアメリカ諸国での事例とは、各種の組合運動や互助組織など、いわば政府による社会サービスが行き渡らない領域で、 とりわけ貧困層の間で半ば自主的に、ただし個人や家族単位ではない形で形成されていた集合的(collective)な互助(self help)組織の実践である。
 ラテンアメリカの大都市では、農村から流出してきた農民によって周辺部に大型スラムが形成される場合が多く、幡谷氏が研究対象とされているコロンビ アでも首都の周辺に、農村における生活の困窮や、長期にわたる内戦の戦火から逃れようとする農民たちが集まって大型スラムを形成していた。もちろん、 国家からは公認されない「不法占拠」である。インフラを含め公的な行政サービスから排除されるだけでなく、常に退去強制の圧力にさらされている。そう した中、住民たちは長年にわたって抵抗を持続し、当局との駆け引きを通じて居住の権利を黙認させ、ライフラインの設置を勝ち取っていった。幡谷氏は、 そうした住民および住民組織の活動、とりわけその生存戦略(survival)活動に注目してきたという。
 ところが、時代状況が変化し、グローバル化が進んでいくと、問題は従来のような政府による社会サービスの不在だけではなくなってきた。とくに農村部 では、市場主義的な政策の浸透によって外部から大規模な資源開発計画などが押し寄せ、それに伴って居住地や農地を奪われる事例が拡大した。当然、農民 たちはそれに対抗して、土地を放棄せず、自分たちがこれまで営んできた伝統的な生活様式や文化を維持しながら、経済的な自立を目指してさまざまな生存 戦略活動を展開する。だが、それは必要に迫られた当面の対応策であるが故に持続可能性に乏しく、ともすれば外部のNGOや国際的な支援への依存につな がりがちだったという。
 研究の過程でこうした疑問を抱いていたころ、幡谷氏はラテンアメリカで徐々に「連帯経済」という概念を耳にするようになり、ヨーロッパにおける議論 や実践を知るに及んで、関心を持つことになった。それは漠然とではあれ、連帯経済が国家や市場といった従来の経済モデルとは異なる、オルタナティブな 経済モデルたり得る可能性を感じたからだという。ただし、その点を判断するためにも研究を深める必要があるということで、研究会を開くに至ったとのこ とだ。
 小池 氏の場合は、2007年ごろ、ある大学でラテンアメリカの開発のオルタナティブを模索する研究企画に参加する機会があり、もともとブラジルを研 究対象としていたので、ブラジルの現地調査に訪れたという。その際のオルタナティブとは、国家と市場による社会の支配に対抗するもの、それに代わる別 のものという意味であり、社会がいかにして国家を統治するか、あるいは、いかに市場に影響力を行使し変えていくかという点に注目していたとのことだ。
 そのうち国家については、従来から市の予算決定に当たって住民参加の実践を行っていたポルトアレグレ市などの事例を調査し、市場については企業の調 査を通じて、ブラジルでは日本よりもはるかにCSR(企業の社会的責任)に関する取り組みが進展していることが分かったという。
 この際、連帯経済の取り組みついても視察する機会を持った。しかし小池氏によれば、すでに連帯経済という名称が使われていたものの、当時の実態は未 だ萌芽的なものでしかなかったという。実際、連帯経済の名称を冠する工場で作られた品物を見ても、一般には通用せず、あくまで支援者のみが購入するよ うなレベルの品物だったらしい。そのため、当時の小池氏としては、とうてい将来展望があるように思えず、研究課題としての関心も持てなかった。ところ が、その後ブラジルでは急速に連帯経済の取り組みが進展し、政府の中にも連帯経済を扱う部門が設置されるようになるなど、状況が大きく変化していった という。そうした状況を知るに至って、改めて正面から取り組むことになったとのことだ。

生存戦略と連帯経済


 ラテンアメリカ諸国は一般に、貧富の格差が大きいことで知られる。その結果、先に幡谷氏が言及したように、都市部でも農村部でも政府の諸施策の範囲 外に置かれ、周辺化された貧困層が存在する。たとえば露店商や廃品回収など、こうした人々が営む経済活動の多くは、公式の統計で捉えられるような経済 の外にある非公式部門(Informal Sector)とされる。とすれば連帯経済とは、周辺化された貧困層が非公式部門で生き抜き、自立していくために展開する、多種多様な活動を括る一つの概念として捉えられ るのだろうか。
 し かし、幡谷氏によれば、実態としては重なる部分はあっても、たとえば非公式部門での経済活動は必ずしも集合的(collective)ではなく、 一般の自営業のように家族単位で行われる経済活動も含まれる。これに対して、連帯経済の理念から捉える場合には、一つには、そこに血縁などの自生的関 係とは異なる参加に基づいた集合性があるか否かが鍵になる。したがって、事例としては重なっても、考え方としては分けて考える必要があるとのことであ る。 
 また、小池氏によれば、大まかな経過として、現在では連帯経済として捉えられる取り組みも、当初は職がない、生活が立ち行かない人々が生き抜いてい くための模索の一つとして、すなわち生存戦略として始まったことは確かである。その中で、たとえばアルゼンチンの「カルトネーロ」や「交換クラブ」と いった動きが自然発生的に現れてきた。
 カルトネーロ(cartonero)とはスペイン語で「ダンボール屋」を意味し、行政の清掃局とも清掃会社とも異なり、“勝手に”廃品回収をして生 計を立てる人々を指す。交換クラブ(Clubes de trueque)は1990年代半ば、経済危機下にあったアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで始まった交換システムであり。物々交換および独自の通貨を用いて、会員が必 要な物品を交換・融通し合うものである。後にアルゼンチン全国に拡大し、周辺諸国にも波及している。
 こうした多様な試みが先行し、その後、ヨーロッパにおける運動や思想からの影響もあって、これらを市場経済のオルタナティブに位置づけようとする思 想や運動が徐々に生まれてきたという。それが明確になってきたのは2000年代後半からで、小池氏によれば、「もう一つの世界は可能だ!」をスローガ ンとする「世界社会フォーラム」が開催された背景にある動きとも重なるとのことである。
 ともあれ現在、いくつかの国々では、とくに主導的な立場にある人々の方向性として、単なる生存戦略ではなく、「もう一つの経済」に向けた取り組みと して位置づけ、さらなる進展を促している。また、エクアドルの「民衆連帯経済法」(2011年)、メキシコの「社会的連帯経済法」(2012年)など のように、社会運動の側だけではなく当局そのものがそうした観点から制度的な対応を行っている事例もある。ブラジルでも同様の法案の制定に向け、議員 と運動家たちが取り組んでいる状況だという。
 となると、いわゆる生存戦略と連帯経済とは、どこで区別されるのだろうか。この点について、幡谷氏によれは、おおむね生存戦略とは状況に迫られてと る一時的な対応であり、今日の社会で主流の経済とは別の経済として独自の領域を確保できているわけではない。また、資本主義の利潤とは異なるとはいえ 経済的に持続可能な一定の利潤が確保できているか否か、あるいは、さらに進んで今日の社会で存在感を示し、国家・行政の公共政策や既存の市場経済に対 して何らかの影響を及ぼしうるか否か等々の点で、一定の分岐が生じるという。
 とくに後者の点に関しては、生存戦略が国家・行政による公共政策の範囲外で民衆によって自律的に営まれていることは、社会運動としては積極的な側面 を持つ一方、裏を返せば国家・行政が自らの役割を放棄している事態を逆説的に追認することにもなりかねない。これに対して、連帯経済は既存の国家や市 場との関係を維持しつつ、それらに飲み込まれず影響力を行使していくことが基本的な方向性だとされる。
 小池氏によれば、生存戦略は生きるためにやむを得ず行われるものであるが故に、経済状況が好転すれば活動は縮小する、言わば主流派経済の従属変数の 位置にある。したがって、意識的に連帯経済を追求する人々からすれば、そうした位置をいかにして脱し、市場主導の経済、国家主導の経済に並ぶもの、あ るいは取って代わるものとなり得るかが課題である。

「国家の失敗」と「市場の失敗」を超えて


 とこ ろで、世界を見渡すと、連帯経済に関する議論や実践が盛んなのはラテンアメリカ諸国であり、ヨーロッパでもフランスやスペインといったラテン系 諸国である。そこには、どのような理由が考えられるのだろうか。
 幡谷氏によれば、一つには民主化プロセスとの関連が考えられるという。よく知られるように、ラテンアメリカでは60年代から80年代、多くの国が軍 政など権威主義体制の下にあり、そうした強権政治を通じて経済発展を追求し、その成果を国民に分配することで支配の正当性を担保とする開発主義的な経 済政策がとられていた。こうした権威主義体制の時代、政治的な抵抗は困難であり、抵抗は開発主義による成長から疎外された人々の生存戦略という狭い領 域に限定されざるを得なかった。また、実際に一定の経済成長を達成していた頃は、民衆の経済的な不満は抑えられていた。
 しかし、80年代に見舞われた債務危機を大きな要因として、こうした構造は破綻し、権威主義体制の民主化が行われていく。しかし、それは同時に世界 銀行やIMF(世界通貨基金)による構造調整政策の強制など、社会・経済が市場原理一辺倒に塗り替えられていく時代の幕開けでもあった。その後およそ 20年、ラテンアメリカ諸国では経済危機によって民衆生活が危機に瀕し、失業や貧困、経済的格差が蔓延した。新自由主義の先駆けとも言える経済政策の 下、人々が自ら生き抜くために、これまで以上に生存戦略を拡大させ進化させたことは、すでに触れたとおりである。(*)
 と同時に、制度上の手続き的民主化が達成された段階において、それは単なる生存戦略にとどまらず実質的民主化を求めるものとして、つまり新自由主義 に突き進む政府のあり方に対する抵抗、また市場そのものへの抵抗という形で展開されていったと見ることができる。その意味で、小池氏によれば、ラテン アメリカにおける連帯経済は「国家の失敗」と「市場の失敗」とを踏まえて現れてきた動きだという。
 幡谷氏によれば、ラテンアメリカにおける連帯経済に関する議論の中で、基本的な理念として共有されているのはcooperativism(**)だ という。すなわち、民主主義や参加、互助の精神といったcooperativismの元来の価値観が社会・経済の中で廃れてきたことを踏まえ、もう一 度それを回復しなければならないという動機が基本にあるとのことだ。ヨーロッパでの議論も、遡ればそこに行き着くという。
 とはいえ、連帯経済はcooperativismの単なる再生ではなく、むしろ、それを批判的に乗り越えるものと考えられているようだ。
 小池氏によれば、ブラジルでは20世紀初頭あたりから、南部のドイツ系、イタリア系移民コミュニティの間で協同組合が盛んだったという。しかし、現 在の連帯経済をめぐる議論では、そうした歴史的な経緯と連帯経済の取り組みとは区別されている。というのも、そうした協同組合が巨大化して商業主義化 し、元来の価値観を失ってしまった結果、破綻した事例が存在するからである。あるいは、協同組合についてよく挙げられる、共益(組合員利益)の追求と 公益(社会全体の利益)との関係など、考え方をめぐる問題もある。いずれにせよ、伝統的な既存の協同組合では今日の社会に生じるさまざまな問題を解決 できないだけでなく、場合によっては解決を妨げる役割を果たしてもいるという認識が基盤にある。それ故、連帯経済は、たとえば労働者自主管理企業や地 域通貨など、従来の協同組合とは異なる多様な取り組みを含めて考えていく形になっているという。   (つづく)
                  (山口協:鰍謔ツば農産)


(*)ちなみに、日本語で『連帯経済の可能性』(法政大学出版局、2008年)と題されたアルバート・ハーシュマンの著作は、権威主義体制の時代から 取り組まれていた生存戦略について紹介したものである。原著の刊行は1984年、したがって原題には「連帯経済」の文言は含まれていない。ラテンアメ リカ専門ではないが連帯経済の枠組みについて研究していた日本の研究者たちが訳したことで、この邦題がついたとのことである。
(**)直訳すれば「協同組合主義」だが、この言葉は日本では歴史的に特定の意味を持っている。すなわち。1930年代、世界恐慌の影響などを受けた 不況の深刻化の中で、直接的には疲弊した農村の救済を目的に、また背景としては、不況すなわち資本主義の矛盾を、階級対立ではなく産業組合(協同組 合)の発展を通じて解決すべきだとの考え方の下、政府主導で産業組合(協同組合)を通じた農村経済更生運動が展開された。こうした動きを指して「協同 組合主義」と呼ばれたので、単純にcooperativismの訳語とはし難い。







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