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“こんなに仲間が”実感したキャラバン

行動報告:関西よつ葉連絡会

「川内原発再稼働反対キャラバン」

 
 関西よつ葉連絡会は9月、鹿児島県・川内原発の再稼働に反対すべくキャラバン隊を結成し、西日本各地の原発 立地地域をめぐって「再稼働反対!」を訴え、広く問題提起を行った。以下、キャラバン行動の呼びかけ人である松川泰樹さんをはじめ、キャラバンの 行程に参加した方々から感想をいただいたので、以下に紹介したい。


再稼働阻止の闘いはまだまだ続く



3.11 福島第1原発事故から3年がたった今も故郷や日常の暮らしを奪われた被災地の方々が苦難と忍耐に中にあり、放射能汚染の不安を抱く多くの国民がいるに もか かわらず、安倍政権は原発の再稼働、海外輸出を強引に進めようとしています。その最初の標的にされ、再稼働に向けて手続きが進められているのが鹿児島県の 川内原発です。この再稼働を許してしまえば、国内の原発が次々に再稼働されてしまうのは火を見るより明らかです。他人事にせず、私たちの問題として再 稼働 反対の声をあげなければなりません。事故から3年が経ち、世間の記憶とともに関心が少しずつ薄れつつある中で、これを機に一人でも多くの人に関心を持って もらおうと、今回のキャラバンを思い立ちました。
 具体的には、大きく二つのことに力点を入れて取り組みました。まず一つは、キャラバンを企画するに当たっては、関西よつ葉連絡会や私が議長を務める北摂 反戦民主政治連盟(北民連)だけではなく、反原発、反核に取り組んでいる全国各地の運動団体はもとより、環境問題、子育てサークル、反戦運動、農業生産者 団体など、これまでの活動で培ってきた関係を最大限に活かし、一人でも多くの人に直接声をかけ、キャラバンへの協力と参加を呼びかけました。一人一人がそ れぞれの関係を振り返り、丁寧に声をかけたことで、わずか2週間足らずの短い時間でしたが、多くの方から賛同やカンパなどの申し出をいただくことができま した。また、日ごろの業務とは違う会話ややり取りによって、あらたな関係や連帯感も深まったと思います。
  もう一つは、ただ反対集会に参加して再稼働反対をアピールするだけではなく、西日本の原発立地地域を結び、関心はあっても集会などに足を運ぶまでには 至らない人々、あるいは原発は必要だと考えている人々に対しても「再稼働反対」「反原発」を訴え、「一緒に考えよう」と呼びかけることです。
 こうして、私たちのキャラバン隊は9月19日、「川内原発再稼働反対!!」「すべての原発を廃炉に!!」と書かれた急ごしらえの宣伝カーに乗り込み、関 電本社前から出発。島根原発のある島根県、上関原発建設予定地の山口県、伊方原発のある愛媛県、玄海原発を抱える佐賀県を通過し、川内原発のある鹿児島県 へ到着しました。9月28日、鹿児島市・天文館公園での全国集会には、よつ葉グループで働く17名の仲間のほか、九州を中心に関係のある生産者の方々数百 名も参加。思いを同じくする全国の仲間およそ7,500人とともに、元気に「再稼働反対!!」「反原発!!」を訴えて行進しました。
 各地を回った感想としては、大阪などと違って、地方都市は駅前も閑散としていて人はまばらでしたが、それでも電車やバスを待つ人々や客待ちのタクシー運 転手さん、近隣の家々の人々に耳を傾けてもらっている実感を味わえた、落ち着いたキャラバンだったと思います。数えるほどですが、街宣後に家からわざわざ 出て来てくれ、「ご苦労さん。ありがとう」と労ってくれる人や、お辞儀してくれる人、「僅かですが」とカンパをくれる人もあり、大変勇気づけられました。
 また、車載スピーカーで「川内原発再稼働にNO!を言いましょう。全ての原発にNO!と言いましょう。お金より命。命が大事」と繰り返しながら、地道を ゆっくり走ったことで、単に集会やデモでアピールするのとは違い、原発推進派、反対派に係らず「福島第一原発事故のことを忘れないでほしい」「原発の問題 を人ごとにしないでほしい」というメッセージを届けられたものと思います。
 私たちにとって何よりだったのは、やはり各地の反対運動に取り組んでいる人と直接お会いし、"こんなに仲間がいるのだ"と実感できたことです。
 ただ、一つ悔やまれるのは、宣伝力不足という点です。よつ葉の仲間たちには毎日短信を届けることで連帯感を持ってもらうことはできましたが、それ以外の 人たちに対するアピール不足は否めません。マスコミ対策も含めてもう少し戦略を練るべきでした。この点については、今後の取り組みにつなげていきたいと 思っています。
 最後になりましたが、さまざまな方々のご協力のおかげで、全行程2260.3km、10日間の長丁場にわたるキャラバンを、大きな事故やトラブルもなく 無事終えることができました。もちろん、キャラバンは終わっても再稼働阻止、原発反対の闘いはまだまだ続きます。粘り強く取り組んでいかなければなりませ ん。ご協力いただきありがとうございました。心から感謝申し上げます。
(松川泰樹:北摂・高槻生活協同組合)


事故を繰り返さないよう、原発は廃炉に


 東日 本大震災で東京電力福島第一原発が事故を起こして3年になる。事故当時は原発に関心があった日本社会が、だんだん無関心になっているように思えてき た。今なお汚染水の問題など収束の見通しが立たないどころか、まだ多くの人々が避難したまま故郷に帰るに帰れないでいる。いったん事故がおこれば取り 返しがつかなくなることが証明された。
 その中で、運転を止めていた川内原発の再稼動の話が持ち上がった。原子力規制委員会の審査を受けて「安全基準に合格した」という判断が出され、再稼 動に進み始めている。しかし、安全性が証明されたわけでなく、国の基準をクリアしただけという報道だった。実際は住民の避難などまだいろんな問題が解 決されていないまま、再稼動に向けた動きが加速し始めている。経済優先で、再稼動させないと県の税収が増えないというのが本当のところだと思う。
 今回 のキャラバンで島根原発を初めて見た。原発から少し離れた場所に中国電力島根原子力館があり、原発の安全性を宣伝するためのいろんな設備、機器が見学 できた。その中に福島第一原発事故以後に立てられたモニュメントがあり、事故を起こさないための誓いが彫られてあった。それを見たとき、福島第一原発 事故で非難しているの被災者の気持ちを思うと違和感を感じた。
 島根原発は松江市から近く、唯一県庁所在地に立地する原子力発電所で、プルサーマル計画や国内最大規模の3号機を建設中だが、原発の近くには活断層 が見つかっている。また、1号機は福島第一と同じ炉で欠陥炉と指摘されている。周辺には多くの町、村落があり、福島第一原発事故同様の事態が起きた場 合、多くの住民に影響が出るのは目に見えている。事故後でも3号機を建設しているのは無神経すぎるし、工事を中断させるのが県の役目だと思った。
 JR松江駅前でビラ配りをしたが、通行人の反応はよく、近くに原発が立地している住民の関心は強く感じられた。その後、山陰方面を走ってJR出雲駅 前で街宣をしたが、駅から出てくるのは観光客が多く、通り過ぎて関心は薄かった。
 国は火力発電所の燃料コストや電気代の値上げなどを宣伝して、原発再稼動を推進しようとしている。川内原発の近くには火山もあり、大規模な噴火が起 きた場合原発がどこまで耐えられるのか、研究者でも予想できない。地震の多い日本は原発事故を二度と繰り返さないように原発は廃炉にして、自然を利用 したエネルギー対策を進めていくべきだと思う。使用済みの放射性物質を大量に含んだ廃棄物の処理も大きな問題になっている中で、原発を再稼動させる計 画に反対する。日程の関係で鹿児島の川内原発再稼動反対集会に参加できなかったのが残念だった。                                                          (大里哲久:葛ヲ同自動車)

「国家のあり様」が問われている


 私は、2名の能勢農場の女性スタッフと共に9月22日の朝、長門駅の街宣から参加しました。2日間で長門から下関に入り広島に向かうというスケ ジュールでした。
 この計画を聞かされた時、私は「壮大ですね」と言ってしまった。それに私は、毎週、福島の方に野菜を送っているので「もっと福島に支援を」してほし いと思っている。そんなわけで、この計画から逃げるわけにもいかず、参加することにしました。
 福島の原発事故を「放射能が体に悪い影響を与えるのが恐いから」「子供たちが、放射能を浴びるのが危険だから」ととらえ、原発はいらないと訴える福 島の人々に、私たちは何かできないかと考えました。今、私たちは、放射能の心配のない野菜を送ったり、子供あっちを福島の外に出すための保養キャンプ をしたりしている。
 しかし、これが、「いいことしているのだ」という思いだけになると、逆に福島の人々とのギャップに苦しむことになります。「原発はいらない」「いい ことしている」。それだけでは、私たちは、長い長い「原発ゼロ」の闘いに疲れてしまうのではないかと思う。
 「脱原発とは、当然ながら経済システム全体の問題であり、21世紀の産業構造や経済システムをどう組換えていくのかということの中核的な問題です ね」(西谷修)。こういう視点で福島の原発事故を見ておかないと、私たちは、それをうっとうしい物として忘れようとするのではないでしょうか。 3.11を契機として日本がたどってきた経済繁栄を問い直し、どのように社会を作り直すのか、「国家のあり様」が問われているのです。                         (伊藤行裕:農業、ハッピー農園)

人々を惹きつけ、大きな力にするには?


 川内 原発再稼動阻止キャラバン、私は26日の佐賀県庁での街宣から28日の全国集会とデモまでの3日間の参加でしたが、沢入国際サーカス学校の西田さん、 田中さんは全日程参加して下さりました。
 沢入国際サーカス学校は福島の原発事故による放射能汚染で休校せざるを得なくなってしまい、この現状を伝えながら大道芸の旅をされています。お二人 の参加はキャラバンにとって大きなプラスになりました。サーカス学校の卒業生、田中さんの「高足」は長い竹馬を装着し、2.7mの背丈で器用に歩き回 るパフォーマンスで、街宣やデモで注目の的でした。
 少し話しは変わりますが、私が学生の頃、農学部の自治会の学生がTPP反対を叫んでいました。先輩は、「うるさい連中だな。研究の邪魔だ。」とぼや いていました。私も先輩もTPPはよくないと思っていましたが、応援するどころかうっとうしく感じていました。反対デモや街宣の主張が自分の考えと一 致していても、活動自体にアレルギーみたいなものがあって、なかなか受け入れられない場合があるのではないかと思います。
 私た ちのこれまでの街宣でも、演説とビラ配りだけでは大多数の人々に素通りされてしまいました。今回の田中さんのパフォーマンスは、反対派の人はもちろ ん、賛成派の人、原発に関心のない人々も惹き付け、演説を聞き、ビラを読むきっかけになったと思います。世論では約60%が再稼動反対です。なんとな くでも“再稼動はいやだな〜”と感じている人々に拒否反応を示されることなく声を拾い上げ、再稼動を妨げる大きな力に変えるにはどうしたらいいか?  サーカス学校のお二人を見て、私たちの今後の活動に課題を突きつけられるようでした。
 キャラバンで最も印象的だったのが、福島から避難を余儀なくされたお母さんたちの声。「私は今、ゲート前で抗議しているけど原発事故が起こる前は普 通の主婦だった。鹿児島を福島のようにしてほしくない」。この声を誰かに伝えなくては。私の両親は選挙の時はよく自民党に投票していたし、反原発の話 をしたら気まずくなりそうなのでこれまで話題にしませんでした。でも、先日実家に帰った際、勇気を出し、「今は福島のこと、いつかはあなたの町のこ と」という小冊子を「これ、読んでみて」と母に渡しました。  (山崎聡子:許k摂協同農場)

憎むべきは原発を生み出す構造


 僕が参加した9月26日(金)は、佐賀県庁前で合流し玄海原発まで行くスケジュール。佐賀県庁ではちょうど昼休憩時間にマイクアピールをしました。警備員 などに止められることもない代わりに何の反応もないと思っていましたが、よく見るとカーテンに隠れるように部屋の中から様子を除いている人影がちらほ ら。その人たちがどういう想いで関西から来た僕たちの主張を聞いたのかはわかりませんが、立場的に声を大にして「そうだ、そうだ!」とは言えなくて も、心の底では“命”より経済を優先する論理に怒りや矛盾を感じてくれていることを切に願います。
 佐賀駅前でもビラ配りとマイクアピール。人の通りは少なかったけど、ビラの受け取りは良かったように思います。翌日に鹿児島で行われる全国集会に向 けて九州に入った人も声をかけてきて、川内原発再稼動が反対派、推進派双方にとって一里塚であることがリアルに伝わってきました。
 そして夕方に着いた玄海原発。これまで何箇所か原発を見てきましたが、こんな敷地の数百m(いや数十m?)に民家や商店があるのは初めてで、正直少 し驚きました。「○○km圏内」などという話ではありません。何か起こった時、そこに住む人たちがどうなるかを想像すると背筋が冷たくなります。まし て玄海原発はプルサーマルの問題も抱えているのだから…。
 稼動 停止中にも関わらず敷地内には制服を着た人たちがたくさんいて、原発がその地域の雇用にひと役買っていることを伺わせます。外部からの「反原発」に反 発する人もいるかもしれません。でもそれが、その人たちが選び取ったものでないのは確かです。憎むべきは、そこにその地域、人々を縛り付ける構造。そ して僕たちも縛り付けられている…。
 根本的な問題が横たわっていることを忘れて、日常に埋没し争ったり傷付けあったりしていてはいけない。それは、根本的な問題を解決するために繰り返 す日々の中で起こることなのだから。仕事の合間を縫ってわずかな時間だけ参加したからこそ、余計そのことを再確認させられました。                             (松原竜生:椛蜊緕Y地直送センター)


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