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第10回文明のたべもの史観の基本的構想
近代文明ヘの反省的思考の必要性

 
昨年1月より、(特)日本有機農業研究会幹事の本野一郎さんを講師とする連続講座「たべもの歴史研究会一“文明のたべもの史観”にむけて」を開催した。前半においては世界各地、そして日本に対する風土論的・歴史論的分析を中心とし、後半においては命を支えるたべものの商品化サイクルからの脱却と「たべもの協同社会」の実現に向けた展望を中心として講義が行われ、同年10月開催の第10回をもって終了した。以下、最終回の概要をかいつまんで紹介する。(文責・編集部)

 


 10回でとりあえず完結するようにという最初からのお約束で第10回目を迎えました。そもそもこの研究会を作ったきっかけというのは、前回の総選挙で脱原発の政治勢力が敗北をする、そしてさらに原発再稼働反対の20万人の首相官邸包囲デモが、夏を越えて収束していったという事実があります。 私たちが考えていた政治というものの内実が、私たち自身の内実が問われました。ではどこからやり直すべきか、どこから立て直すべきか、という問題意識です。

そこで、私たちの歴史観をもう一度きちんと整理をして、共通の歴史観を作り上げないといけないと考え、“文明の食べもの史観”という概念を提案しました。もう少し長い尺度でいうと、近代文明そのものが行き詰っていて、このままでは人類は滅亡する。人類だけじゃなくて、生命系そのものが消滅していくのではないか、という予測が各所で、色んな立場の人が予測し始めています。私の立場からいえば、食料がなくなる、水がなくなるということになるわけですが、これはローマクラブも1992年に指摘しています。その見通しはすでに20年も前に出されているわけです。私たちの次の次の世代くらいに、食べものの争奪戦として、つまり、食べものを巡る殺し合いとして戦争が始まるだろう、という予測を私は否定できません。

さらに、人類は核戦争によって滅びるかもしれない。原発事故が相次いで、それによって、放射性物質によってわれわれは消滅していくかもしれない。あるいは、近代医学の名の下に生まれる毒を持った細菌やウイルスで晴乳類が全滅していく、遺伝子組み換え食品によって次世代に壊滅的な影響が出る、そういう道も予測される。空気や水の汚染を止められないまま人類が衰弱していく可能性もある。21世紀末までには無事に済まんだろうという、そんな近代文明の様相があります。 これらのことはなぜ起きたのか。そしてそうした危機に直面しながらも、その危機を食い止めることがなぜ人類にはできないのか。そもそも、私たちが高度成長のなかで経験をした公害というものが、反省も教訓化も何もされていません。

つい先だって、また安倍首相が、水俣病患者の人々を前にして、水銀による問題をわれわれは克服した、というふうに国際舞台で格好をつけるために言いました。その程度の認識なわけです。当然、それを聞いた水俣病の人々は抗議をし、「何が解決したのか、何が克服されたのか」「私たちがいまこのように苦しんでいる現状があって、政府もまだ充分な救済はしていないにもかかわらず、どこが克服や」と声をあげています。
この認識のずれ、認識のずれというよりは支配階級にいる人々が抱いている間違った歴史観、これが問われるべきだろうと考えています。

農耕から農業ヘ、文化から文明ヘ

蓄積された富のことを、お金と資本主義社会では呼んでいるのですが、歴史的にいえば、富の蓄積は、農業生産物の蓄積から始まっています。農業から生まれた穀物を、蓄積することによって余剰が生まれる。余剰農産物が生まれ、それを富として蓄え、その富を増やすために方法は問わず、何をしても許されるんだという、そういう歴史観があります。そういう生産力主義の歴史観を、私たち人類はこの5000年の問、持ち続けてきました。この最終回では、この5000年を相対化するために、1万1000年前からの話を振り返ってみたいと思います。
ここでいま5000年前と1万1000年前という話をしました。氷河期が終わり、現在の平均気温になったのが1万1000年前です。この時期から四つの地帯で農耕文化が始まります。ホモサピエンスの歴史の大転換です。その後、8000年前まで右肩上がりに気温が上昇し続けます。そして現在よりも2℃高い安定した時代が3000年問、続きます。ここでは高度な農耕文化によって人口は増加し続けたに違いありません。転換期は5000年前から始まります。それが急激な寒冷化の始まりです。これは現在まで続いており、トータルとしてはジグザグをたどりながら寒くなって来ています。


この5000年前の転換点で、五つの地帯で農業文明の発生があったのです。安定した3000年間、農産物が余剰に作られていく。そしてその分、人口が増えていく。ところが寒くなってくると、人口が養えなくなる。人口が養えなくなると、いままで通りの働き方、いままで通りの農業のやり方では食えなくなる。この、「食えなくなる」ということ自体に人類がどう対応したか。「文明を発生させたのだ」という考え方が、私の食べもの史観の基本的な立場です。
そして、ここから国家というものをシステムとして生み出す。国家を生み出すということは、少数の支配階級がいて、たった一人のリーダーが全体を取り仕切る。そのようなシステムを作り上げないと、この食べものがない、人口が養えないという局面は乗り切れなかった。だから文明が生まれ、国家というシステムが生まれた。そして、ここから階級闘争の歴史が始まるのです。マルクスはこの5000年前から現代に至る歴史を、「人類の歴史は階級闘争の歴史である」というふうに表現したわけです。

しかし、私たちはすでに1万1000年前からの、農耕文化の発生ということを知るようになっています。この2、30年の考古学の成果、あるいは植物の遺伝学の成果によって、そのことがわかってきた。私は、中尾佐助を取り上げて農耕文化の発生を説明しました。人類は、いままでは採集生活、狩猟生活をずーっと氷河期のあいだやってきて、温度が上昇し始めて、秋になって実を取りに行く、あるいは鹿を追いかけて森のなかを走り回るよりは、温暖化によって、種を蒔いて秋に収穫したほうが安定した食べものが確保できる、ということがわかってくるわけです。そのことを前提にして定住化、農耕文化を作り上げていくという、人々の営みが始まるわけです。
しかしこの時期、何が起きてるかというと、温度は確かに暖かくなっているんですが、ヤンガードリアス期という極めて谷の深い寒冷期が1000年ほど続いたということがわかっています。つまり、温度上昇が始まっても相当な幅で寒い時期がきているんですね。一直線に暖かくなったわけじゃなくて、ジグザグで暖かくなっていくわけです。それが50年の幅なのか、100年の幅なのか、わからない。温暖化のなかで1000年にも渡る極めて長い寒冷期という時期もあったのです。つまり、農耕が発生するためには、この深い深い谷が人類の前に立ちはだかつて初めて農耕文化を本気でやり始めたわけです。
それまでは、セミ・ドメスティケーションという植物の栽培化、あるいは牧畜化というプロセスが万年単位でありました。もう農耕しか生きる道がないんだ、、というふうには考えずに、縄文時代の人々がやっていたように、採集生活をしながら一部農耕もやっていました。この百の姓をもった複合的な暮らし方のプロセスのなかで、ドンドンと右肩上がりに温度が上がり始めた。農耕はこの過程で比重を高め、人口も生産力に依存して増加していったはずです。ところがガンと寒くなったとき、もはや採集・狩猟にはもどれず農耕によってしっかりと生き抜こう、という発想が出てくる。


だから、私たちが人類の歴史、とりわけホモサピエンスの歴史を総括するときに、この4つの農耕文化センターの発生の歴史と、5つの農業文明発生以降の歴史をトータルとして捉えることが、ホモサピエンスの歴史としては正解なのではないか、という考え方です。これが文明の食べもの史観の骨格、というふうに私は考えています。
つまり、ホモサピエンスがアフリカで発生し、ユーラシア大陸からベーリング海峡を渡って、北アメリカから南アメリカ、そしてオセアニアにこう広がっていく。そして全世界に展開しながらずーっと人口を増やしていくわけです。このホモサピエンスの生存を支えたのは、採集・狩猟だけにとどまらず、植物の栽培化、動物の家畜化という農耕の前段階の食べ物生産方式が10万年の歴史としてあるわけです。それが基礎となって農耕文化が生まれる。そしてこの1万年のあいだ、農耕文化によって人々は基本的に生き抜いてきた、ということなんです。そのことを大前提としながら、この直近5000年間に行われた、この農業文明と農耕文化の重なりのなかで人類は、絶滅の可能性という困難につき当たっているのです。農耕と農業をあえて言い分けているのはなぜかというと、アグリカルチャーとファームということを念頭に置いています。いまはファーミングをやってるんですね。農業をやってるんです。農民はファーマーなんですが、1万1000年前に始まったのは農業ではなくて農耕です。カルチャーです。つまり、文化なんです。農耕文化というも のがここで始まります。

 

たべもの史観からみた国家の成立

 
国家とは何かというと、支配階級と支配される階級が分裂をするという制度であり、軍事力という装置です。少数の支配階級がいて、ひとりのリーダーがいて、その号令の下に民衆がせっせと農業生産に従事するという仕組みです。これが農業文明のなかの大きな柱として国家を生み出していくわけです。だから、人類の歴史は階級闘争の歴史であり、それは同時に5000年間の農業文明の歴史なのです。そのことを、l万1000年の農耕文化を射程に入れた食べもの史観として考えるなら、「人類の歴史は食べもの確保の戦いであった。そして、階級闘争もその一部に含んでいた」という言い方が正確ではないかと思います。階級闘争を含むトータルの歴史は、食べものをいかにして確保するか、という人類の歴史的テーマがあったということです。
文明とは何でしょうか、そのひとつの柱は制度です。制度というのは宗教に基づく統治、ということがあります。この支配階級に都合のいい宗教一神教を人々は信仰するようになります。そして、神が打倒されてルネッサンスを迎え、法体系が制度化される。文明は宗教支配から法支配にいたる制度です。もうひとつの柱は、装置の世界であると整理をすれば、文明というのは非常にわかりやすい、と考えました。制度があって装置がある。装置というのは機械文明ですよね。道具が発達していく。武器を含む道具がどんどん発達して生産力を上げ支配を強化していくという、このような制度と装置が組み合わされたシステムとして文明があるのです。
それに対して文化は、制度や装置が中心にあるわけではなくて、基本的な柱は情報です。情報の体系が、情報伝達のシステムがあるんですね。これがこの文化の中心の概念です。情報の伝達というのは、ホモサピエンスの得意とする分野で、いままでの人類とは違う脳の変化が起きた、というふうにいわれています。
それはどんな脳の変化かというと、一つの概念を置いたときに、この概念とまったく違う概念を結びつけて考える能力が生まれてきます。ホモサピエンスはそういう能力を身につけて、例えば、自の前にある草に「ナズナ」という名前をつけます。そして、名前をつけることと同時に、植物のなかの、アブラナ科のなかの、というふうに、分類することを行うことが可能になりました。また例えば「シメジ」という命名は、キノコという植物ではない菌類という生命を概念として作り出していきます。この獲得された脳によって、縄文時代の人々は、l万種ぐらいの植物が同定できたと云われています。誰でも当たり前のように。この1万種の植物を、これは毒で、これは食べられて、美味しくて、これは体に良くて、ということを全部色分けしながら言葉で伝達しているんですね。
そとでは平均年齢が、当時、40才か30才かわかりませんが、そのあいだに次の世代を生み出して情報を言葉として伝えていく、という情報伝達機能を発達させるわけです。その情報伝達のシステムを、私たちは文化というふうに呼んでいます。
もちろん、いまでも情報伝達、IT情報伝達システムがあるわけですが、ほとんど、それは装置によって情報を伝達する、ということに相成ってしまっています。だから、元々、私たちの持っていた農耕文化、文化の柱である言葉や仕草、表情による情報伝達の仕方が失われていきます。この伝達の仕方が、次第に文明である制度と装置の力によって駆逐されていくプロセスが、この5000年間の階級闘争の歴史であって、支配される側が次第に劣勢になっていくプロセスでもあったわけです。


近代文明の発生と農耕文化の後退

とりわけ、ルネッサンスが起き、その後に産業革命が起き、近代というものがヨーロッパを中心に発生をして以降、この農耕文化は圧倒的に敗北を重ねてきたわけです。その結果として、21世紀中頃には、ほぼ、われわれ人類が消滅するであろう、という予測が出ているわけです。これ以上後退を重ねることができない危機を前にして、いったい私たちは何を取り戻すべきなのかということを、この歴史のなかから学び取らなければなりません。もうここにしか手掛かりはないだろう、と私は思っているわけです。
そのために、日本の農耕文化の歴史を五穀豊穣のエートスを生み出した照葉樹林文化として紹介し、農業文明の歴史を水田形成史としてお話をしました。水回が、弥生時代ゼロから次第に増えていく。室町時代までに100ヘクタール、戦国時代だけで100ヘクタール、江戸時代に100ヘクタール、明治維新以降50ヘクタール、合計350万ヘクタールまで水田を増やしてきて、1億2000万人が飯を食えるようになったわけです。


この水田形成史のなかで大きな転換点となったのが、江戸中期の水不定です。ここで、上流に上って水田を開発した集落と、もともとあった水田集落の争いが始まります。この農村共同体同士の血を流す抗争は、農家を集落という集団に依存する以外にない状況に追い込んでいきます。そしてその集団依存が、戸別農家の利益につながるという仕組みが生まれます。集団主義と「利自」「利戸」主義の発生です。また国家である幕府は、「大岡裁き」などといって仲裁に入り、集落間の抗争を利用して支配を強めました。お上に依存する民衆心理はここから発生しています。お上に逆らわず集団に属して「戸」「家」の利益を得る、という「近代日本」は、こうして生まれました。明治維新から現代に至る近代の受容のプロセスで、近代を受け止め、生活のなかで「近代日本」と格闘した人々がいます。この影響を受けながら私は高度経済成長期に育ちました。高度経済成長はお金さえあれば食べ物は手に入るという幻想を生み出しました。
そしていま、この日本の骨格を作ってきた水田が、この幻想のうえに乗っかった農業政策によって急激に失われています。どれぐらい減ったかというと、100ヘクタール以上減ってるんです。この20 年間に、350万ヘクタールが240ヘクタールに減ってるんです。2000年かけて350万ヘクタールに積み上げたこの水田をどう考えるか。その課題は、水の枯渇によって刻印された「近代日本」とどう向き合うか、あるいは市場セクターが目指す大規模化・株式会社化による決着か、協同セクターが目指す市民参加型集落・農場による再構築か、として問われています。いまこのように、風土を前提として歴史を語るべきだと思います。時代の課題としての風土的歴史です。現在、資本主義システムが機能してるところって、みんな雨のよく降るところで、四つのシーズン、春夏秋冬があるところです。そこに生産力が集中しているんです。農業文明を基礎にして近代文明を発達させたところってそこだけなんですね。アメリカ合衆国、日本、中国の華南、そしてヨーロッパです。雨が夏に降るか、冬に降るかは別にして、そこに生産力が集中した。緑に困らない地域です。それが資本主義というものを可能にしたんです。どこに工業が発展し、金融システムのセンターが生まれていったかというのは、雨の降っているところです。
南半球にいくとオーストラリアの一部、東南沿岸地域とニュージーランドです。ニュージーランドドルとオーストラリアドルって、いま一番安定した通貨です。年利5%という、他の地域で、北半球では考えられないような年利を付けています。それは、この雨量と関係があります。温度と雨量の関係のなかで資本主義が発展します。それ以外の地域はなんぼがんばったってもこの仕組みのなかでは、追いつけるわけがないんです。これは歴史的風土が作り出している構造です。どの通貨が強いか、どこが資本主義を発展させたか、どこが資本主義の下で科学技術を発明し、ノーベル賞を生みだしていますか。それは風土的歴史の結果です。
この構造をベースにしながら日本農業を見たときに、水田はどのような位置を占めているのでしょうか、そしてこれから占めていくのでしょうか。水田が350万ヘクタールできて、いま240万ヘクタールしかないということが日本の現実です。ですから人口が減らなくてはならないのです。少子化対策は必要ありません。たべもの史観からいえば、対策はしてはならないのです。その証拠に、日本の人口減少と水田減少は同時に始まっています。世界中の地域、地域でそのことは辿れるはずです。農地がどれくらい増えて、どれくらい減っているか。そして、人口がそれに比してどれくらい増えて、減っているか、人口密度と農地面積はどう関係しているか、が問題なのです。つまり「協同と自立」という立脚点を持たず、都会でなんぼグチャっと人聞がいたって、力にも何にもならないんです。
21世紀、22世紀は切り開けないのです。その視点から農地面積当たりの人口密度を考える必要がある、というととです。だから、農地があって人口が決まるのです。ここから持続可能な農法の話が導きだされます。

 

近代を超克し、たべもの協同社会を築くために

私たちが生活を営んでいる現在の社会は、どんな仕組みのなかで動いているのか、たべもの史観をもとに考えてみました。それは自給セクター、公共セクター、市場セクター、協同セクターの組み合わせです。人類社会の歴史は自給社会、自給経済が基本です。これは農耕文化の基本です。それを支えるために生まれたのが農村共同体です。 人々は農村共同体というものを作って、集団で食べものを生産するようになりました。国家ができても基本的にその仕組みは変わらなかった。
しかし公共セクターは5000年間、自給にもとづく農村共同体の自治・自立を奪うおうとしてきました。そこで、自給セクターは敗北を重ね現在、人類の過半数を割るところまでになっている。この傾向を急激に強めたのは市場経済が生まれて金融システムが発達したからです。公共セクターと市場セクターが連合して自給セクターを潰し、農村共同体を潰していった。潰された農村共同体から都市に出て労働者となった人々は、そこで市場セクターと対抗するために新たに協同セクターを形成していった。こうして、近代文明の骨格が出来上がっていきました。それは、圧倒する市場セクター、市場セクターを暴力装置で支える公共セクター、それに抵抗する協同セクター、解体を続ける自給セクターといった社会構成体となっています。
そしてこの近代社会で、農業がどのような農法を生み出したのか、という農法の話に移ります。
近代文明は、食べ物の生産方式をこれまでになかった異様な姿に変容させます。近代農業といわれるものがどうやって生まれたか。近代の農法って毒ガスを使って農薬を作った。毒ガス兵器の平和利用が農薬なんですよね。ダイナマイトを生み出す空中窒素の固定システム、それが爆弾ですよ。爆弾を生み出す技術を平和利用したら化学肥料になったんです。だから、私たちが食べ物を確保する方法は、戦争に依存していると言えます.
原子力発電の平和利用なんて、核兵器を開発して、原爆を開発して、人の上に落として、それで戦争が一段落したら、平和利用と称して原子力発電でエネルギーを取り、戦争にそなえてプルトニュウムを蓄えるんです。近代農業と原発は、一体のものなんです。いつでも戦争ができる体制です。
だから、そういうととろに本当の平和はないんです。これは戦争体系で、戦争文明ですね。戦争で緊張感を持って、国家同士が対時する。つまり、国家というのは暴力装置であり、同時に生産力です。富の蓄積力です。一方はそれを暴力で固めないと、絶対に人々を、過半数を占める農村共同体を動かすことができない。だから、富の蓄積力を持った最大の帝国であるアメリカ合衆国は、最強の軍隊を維持し続ける以外に選択肢はありません。これで、石油エネルギーを守ったり、アメリカの農産物を守ったり、世界の農産物市場を支配している。それでドルを守っているんです。
この持続不可能な近代農業に対抗して、持続可能な自然農法、有機農法が生まれます。近代という戦争体制を超えるために、エネルギーも道具も、近代文明に頼らないで食べものを確保する方法っていうのを、近い将来、人類は生み出す必要があるのではないでしょうか。だから、有機農法にとだわり、自然農法にこだわるべきだと思います。近代農業と闘うべきなんです。近代農業と闘うということは、近代文明と闘うということです。
そこで闘わなければ未来はないのです。
そういう努力をしなければ、あとに引き継ぐ文化を見出すととはできない、この近代文明を解体していく道筋は発見できないだろう、というふうに私は思う。だから、このような領域を一つ一つ、多くの人々の力によって復活させながら、研究を深めながら、論点整理というととをやっていとうと思います。農的なものにこだわり、農的なくらしを求め、農的な文明を構想し、たべものを協同して作り出す社会を展望する。たべもの協同社会を目指して、私もその一翼を担いたいと思い、この研究会を続けてきました。これを以て研究会のまとめといたします。(おわり)


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