アソシ研リレーエッセイ:「監視カメラ国家」を見据えよ
わが従兄たちが「30代以上を信用するな」と叫んでいるのを憧れをもって眺めて育ったためか、ボクは「説教ジジイ」と疎まれる年齢になったにも関わらず、未だに人の言うことに素直に(?)反発してしまう傾向がある。
ということもあってか、先日、たまたまある会合で現役検察官のご高説を拝聴する機会があった際には、その素直さを大いに発揮してしまった。ご当人は、それほどエリートというわけでもなく、定年間近の田舎の検察官という感じだったけど、検事は検事だからね。
曰く、“放火事件で近くで野宿していた『浮浪者』(もちろんママ)を逮捕したけど、供述通りの方法で着火実験しても燃えなかったから、釈放した”(要するに誤認逮捕だろ!)、“難波のビデオ喫茶の放火事件ね、あの犯人は死刑ですね。死刑以外にはあり得ませんね”(コイツには被疑者とか被告人とかの概念はないのかい? だいたいキミは裁判官か!?)、“痴漢事件は冤罪というか、多いんですよ。私も自称被害者の女と自称目撃者の男にコロッと騙されたことがあります”(アンタが誤認逮捕したんだろ。検察としての責任はどうなのよ?)、…とまぁ、本来のお題は「検察官のお仕事の概要」みたいなものだったのだけれど、実際には検事サマご当人の主観的な見解の言いたい放題の放談会。そしてこうした与太話で聞き手の下卑た笑いを誘いながら、ご当人は会場を時々ギロリと睨む。あ、様子を見てるんだぁ。
その検察が仕掛けた今回の民主党・小沢に対する攻撃について、政治的意図がないと信じるお目出度い人はいないだろう。むしろ、辻元清美の際にもそうだったが、政治情勢をギロリと睨んでイザッという時にしゃしゃり出てくるのが権力の守護神たる検察の役割なのだ。
だから、今回の事態について、「小沢なんてまさに角栄的な体質の体現者だからね」とか「結局、民主党も自民党と同じじゃない」等のごもっともな反応は、それこそまさに彼らが意図した反応だということだけは自覚しておいた方がよい。ここを越えなければ、権力の亡者としてヌエのように立ち回り続ける自民党に引導を渡すことはできない。(言っとくけどボクは、民主党政権になればバラ色だ、なんてこれっぽっちも思っていませんよ。念のため。)
古典的自由主義の時代には国家は「夜警国家」とされたのだそうだ。ならば、新自由主義時代の国家は「監視カメラ国家」だ。人々の一挙手一投足は逐一監視される一方、「かんぽの宿」や大分県でのキャノン工場の一件のように、人々の財産に対する白昼公然の略奪行為が横行するのが、この時代の国家の基本性格だと見ておいた方が良い。(福井浩:(株)ひこばえ)