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地域 ・ アソシエーション研究所 シンポジウム報告
中いま、社会をどう変えられるのか?
−くらし・地域・政治−(下)

 
さる5月19日、社会学者の大澤真幸さん、前衆議院議員の服部良一さん、社会活動家の湯浅誠さんをパネラーに招いて実施したシンポジウム。前号に続き、今回は会場を含めた論議の模様を紹介する。

AIBOの経験から 

【問】湯浅さんは昨年、大阪の釜ヶ崎で、「AIBO(Action Incubation Box Osaka)」という実験的な取り組みをされたと聞いている。無縁社会におけるコミュニケーションの可能性を追求するものだと思う。そこでの経験について伺いたい。

  【湯浅】AIBOは、貧困や地域再生など社会問題について活動したいが、やり方が分からないという人々に、アイデアやノウハウを提供する取り組みだ。それを通じて、人々が「ヒーロー」を頼みにするのではなく、自ら運動や政治に参加していくようになればと考えている。昨年、大阪で初めて行い、今年は被災地と東京で試みている。
  やはり問題意識は、「6000万人目の人」とコミュニケーションを成立させるにはどうすべきか、ということ。そう簡単にコミュニケーションが成り立つわけではないだろう。しかし、その中で決裂もせず、意見の違いは踏まえながら、関係をつくることができるか、それが課題だと思っている。
  というのも、社会とは、もともと赤の他人の集まり、「無縁社会」だからだ。地縁も血縁も社縁もない人たちが集まっているのが「社会」なので、当然のように違いや対立が生まれるが、それでも決裂せずにまとまりを維持している。むしろ、私たち自身が関わる組織や運動の中にも、こうした社会の基本的な部分を組み込んでいく必要があるだろう。そうした意味で、多様な意見や価値観の存在を含みながら共存できるのかどうか、試行錯誤しているということ。
  AIBOは、釜ヶ崎を拠点にしたわけではないが、地域再生という点で言えば、釜ヶ崎も、先ほど大澤さんが紹介された大畑町も、いったん「底をついた」状態にある地域と言えるだろう。
  これまでの伝統的な地方開発の手法は、公共事業にしても企業誘致にしても、いずれも「外頼み」だった。いかに外からうまく引っ張ってくるか、それが地元政治家の力量でもあった。しかし、そうした時代はすでに過ぎ去った。とくに東京から遠いところほど、その実感は強い。
  たとえば北海道の釧路。もともと石炭で栄えた町で、石炭が衰退した後はパルプと水産加工が柱になった。しかし、それも廃れた末に「シャッター通り」になってしまった。こうした中で、地元の人々は、どこかの時点で「外頼み」に見切りをつけ、現にある「ヒト・モノ・自然」という地元の資源をどう引き出していくか、そこにしか展望がないと考え方を転換する。
  その時に出てくる柱は、おおむね農林漁業の六次産業化、観光、さらに自然エネルギーの3点。いずれも内発的な発展を志向しており重要だが、私はもう一つ付け加えたい。というのも、この3点は「モノ」と「自然」に限られており、「ヒト」がないからだ。地元の「ヒト」が持つ強みを引き出しながら街を活性化していくことが、実は一番難しいし、後回しになっている。
  地元に生きている「ヒト」には、たとえばシングルマザーや障害者、高齢者などもいる。こうした人々を含めて四つめの柱を立てようとした場合、往々にして「財源はどうするのか」といった「負担」の感覚が先に立ってしまう。負担と感じる人を含めて合意形成をしていく必要があるが、これまで地縁・血縁・社縁に依拠してこられたが故に、合意形成の仕方について私たちの社会に十分な蓄積がないように思う。だから、これから改めて蓄積していかなくてはならない。
  とはいえ、自分にも特別なノウハウがあるわけではないので、愛媛県の愛南町、広島県安芸高田市川根地区といった各地の実践例に学んだり、昨年に大阪で試みたように、いろいろと試行錯誤をしている途中だ。
  こうした実践例となる地域は、比較的早くに「底をついた」地域、つまり「外頼み」ではどうしようもなくなった地域と言える。たとえば、広島の川根地区は1972年の「江の川水害」で町全体が存亡の危機に立たされた。その際、村の若者たちが延々と夜通し論議し、これからは提案型でまちづくりをするしかないという結論になった。
  私が暮らす東京は、恐らく最も「外頼み」が深刻で「底つき」は遅いだろう。だが、その時期は必ずくるはず。その際に学ぶべきは、早くに「底つき」を経験した地域の取り組みだ。9割方は失敗しても、1割残ったものがあれば、その1割こそが財産になる。そういう問題意識がある。

 

「6000万人目の人」をめぐって

【問】大澤さんの言われた「コスモス」についてお訊きしたい。自分なりに、内面的な誇り、立脚点のようなものと受け取とったが。
  湯浅さんは、お話の中でコミュニケーションの問題を言われた。この点で、発達障害の子どもを持つ親の交流会に関わってきた経験を思い出す。私は元教員として、多くの子どもを見てきた経験の蓄積からモノを言う。しかし、親にとってはまさに経験の渦中であり、後で振り返ってみれば同意できることも、渦中ではすれ違うことがあった。湯浅さんと「6000万人目の人」との関係は、そうしたものかもしれないと思った。
  服部さんのお話について言えば、私は昔から総評・社会党を支持してやってきた。現在の政治状況は本当に暗い気持ちでいっぱい。しかし、そうした中で服部さんが「民主党は持ちませんよ」というのは、筋が違うのではないか。他党のことを云々する前に、服部さんがすべきは、社民党をどうするかという話ではないか。
 
【大澤】「コスモス」は高村光太郎の宮沢賢治論にある言葉だが、基本的にはこういうことだと思う。つまり、人間は生きていく上で、自分の生きている世界がどういうものかという感覚が必要で、それがないと不安になる。しかも、その世界の中で自分が有意味で必要とされているという感覚も重要だ。それがないと、人間は卑屈になる。
  たとえば、原発問題で、立地候補地の人々が補助金などに釣られる状況を見ると、卑屈に感じる。それは、世界の中で自分が自尊心を持てているという感覚がないからだ。大畑町の例で言えば、かつてあった鉄道も廃線になったように、世間一般の基準からすれば“見捨てられた”感が強い地域だ。でも、別の観点から見れば、世界の中で重要な位置を占めていると思うことができる。そして、そう思うことができれば、自由や自立性も確保できる。それが「コスモス」だと思う。
  湯浅さんのお話に関して、僕も「6000万人目の人」について、同じような感覚を抱いている。今日くらいの人数なら、自分の言葉が伝わる実感もあり、反論されても面と向かって議論できる。しかし、その向こうの6000万人を想定すると、気が遠くなる。しかも、日本だけでなく世界という範囲で考えれば、想定すら困難だ。
  しかし、ある研究で、およそ3億人の人口を擁するアメリカで任意の2人を取り出し、何人が介在すれば共通の知人が見つかるか実験した結果、「平均6人」だった。日本ならさらに少なくなるかもしれない。人間はまず身近な人と仲良くなるが、身近な人だけでなく、遠く離れた知人もいる。そうした知人が何人か介在すれば、世界全体でも恐らく平均9次くらいでつながるのではないか。
  そう考えれば、9人とつながることで世界のどこの人々ともつながれるという見通しを持つことも可能になる。とくに最近はインターネットの発達で、偶然につながりを得る機会が増えてきた。6000万人を恐れるなかれ、という気もする。
 

湯浅誠
●湯浅誠さん

【湯浅】「6000万人目の人」というのは、思考的な距離感という点で想定して、比喩的に表現したものだ。順番に6000万人目というのではなく、実は目の前にいるかもしれない。こうした表現を使ったのは、自分に対するチャレンジという意味がある。自分の発想や語り方をもっと鍛えよう、という問題意識を提供してくれる想像上の相手だろうか。その意味では、私は「6000万人目の人」に励まされているとも言える。
  コミュニケーションに絡むご意見だが、物事を初めて体験する立場から見るのと経験の蓄積を踏まえて見るのとでは、まったく違うと思う。そもそも私たちの意見というものは、他人と議論する前にすでにあるのか、という問題がある。誰かと議論することによって、初めて自分の意見を自覚することは間々ある。むしろ、問われなければ意見をつくりようもない。問われるというのは、ある程度受け入れられている、尊重されているという関係があってこそ可能なのではないか。
  これは、たとえば生活保護の受給者、あるいは在特会の若者などにも関わるかもしれない。つまり、自分の考えを話したときに「よく言った」と、まずは受け入れることが必要だ。自分自身の反省でもあるが、いわゆる左派は他者の意見を論評したがる傾向が強い。しばしば「それは間違っている」などと言ってしまう。しかし、まずは「よく言った」と受け入れることではないか。それなしには、つながりもできようがない。たとえば昔の暴走族などは、居場所のない若者を受け入れ、存在を認める場所だったという。いまの在特会も、そうした機能を果たしているのかもしれない。
  たとえ意見の内容に同意できなくても、意見を言うあなたの存在は受けとめる。そんな反応が感じられなければ、誰もモノを言おうとはしないだろう。生活保護の受給者たちと付き合う中で、彼ら彼女らが内輪はともかく不特定多数に対して自らのことを話そうとしないのは、自分の意見が受けとめられず、安心できないと見ているからだ。
  この社会が社会である限り、異なる多様な意見を含みながらも、かつ安心できるものでなければならない。人々が頭から否定されずに安心して自分の意見を言える、誰もがそうした能力を獲得し発揮できる、これが社会の財産であり、私たちはそうした財産をいかに増やしていけるのか。この点が、私がコミュニケーションに注目し、「6000万人目の人」と対話する理由である。

 

「正しいこと」と伝わること

【服部】先ほど釜ヶ崎の話が出たが、私は西成に住んで43年になる。1969年に大学に入り、70年安保闘争に関わる中で、普通に卒業して就職するのでなく、地域で労働者として生きるべきだと考えた。そこで、大学を中退して西成に行き、中小企業で工場労働者として働きながら、労働運動や地域運動を始めていった。釜ヶ崎については“隣人”として、労働争議を支援したり、地域で始めた学童保育の子どもたちを越冬闘争に連れて行ったりしていた。
  住居の近くに「西成公園」という大きな公園があり、かつては100人以上、いま30人くらいがテント小屋で暮らしている。自殺の名所でもあり、朝の散歩で公園の木に人がぶら下がっているのを見たこともある。そうした地域に住みながら、40年で何が変わったのか、自分が何をやってきたのか、何とも言いようのない思いがずっとある。
  他党の心配するよりも自分のところを心配しろというご指摘を受けた。先ほどから「6000万人目の人」の話が出ているが、私はこの間考えてきたのは500万人〜1000万人の範囲だ。社民党は昨年の衆院選で、比例の票が142万票しかとれなかった。それを基準にすれば、この夏の参院選は比例代表で1人しか通らない計算だ。
  これまで議員秘書や議員として約5年半、国会で仕事をしてきたが、その経験から見て、社民党の主張はとても正しいと思う。しかし、票は増えない。それどころか減る一方。なぜなのか。アピール力も含めて全体的なマネジメントの力が不足しているという気がする。
  昨年、滋賀県の嘉田知事を中心に「未来」ができたとき、著名人を集めて「脱原発」のイメージで大きく打ち出した。巷では「あれは小沢(一郎)さんの政治だ」との声も聞かれたが、私は大したものだと思った。というのも、あのようなことは本来は社民党がすべきことだからだ。政治家だけでなく広く市民に呼びかけ、政治に関わる新しい枠組みを呼びかけていく。そうしたことができずに、正しいことを言って「頑張ります」だけでは広がっていかない。
  ともあれ、社民党の比例票と未来の比例票を合わせると約500万票、ちなみに公明党の比例票は700万〜800万。そこからすれば、平和への思い、共生社会への思い、人権に対する思いを持っている人々の中で、少なくとも500万人〜1000万人が投票できるような受け皿をつくらなければどうしようもない。それが、現在最大の問題意識。その意味で、社民党としても次の一手があっていいのではないかと考え、党の中でも主張している。 今回の参院選でも、社民党として比例代表を闘うだけでなく、「平和」と「緑」をキーワードに大きな統一会派をつくり、安倍政権の暴走に対して歯止めを利かせるような、そうした政治的な枠組みをつくるために力を発揮することが、いま最も求められていると思う。
  【問】大学で服部さんの一年先輩で、一緒に運動していた。私は西成に行かずに医者になった。地域で医療に携わりながら痛感したのは、大学時代に考えていたのに比べ、世の中を変えるのは遙かに難しいということだ。
  4年前に民主党が政権を取ったとき、左派の側から「何をしているのか、全然変わっていない」と批判の声が上がった。同じ批判は、辻元清美さんや湯浅さんにも投げかけられたと思う。しかし、人間の社会はそんなに簡単に変わるものではない。私の周囲で言えば、所属する医師会の小さな組織ですら変えるのは難しい。なのに、どうしてすぐ変えられるかのように批判するのか。
  私は、これまで左派勢力が、簡単には動かし難い現実を知った上で、それを少しでも動かしていくというような発想の転換を持てなかったことが、現在の安倍政権の惨状を許していると思う。
  たしかに民主党は大きな失敗をした。しかし、それまでの自民党政権に比べれば成果も少なくないと思う。比較的近い間で足の引っ張り合いばかりしていては、敵を利するだけだ。
  私は日和って医者になったが、服部さんは偉いと思う。それだけに服部さんに考えてほしいのは、正しい主張が現実的な力になっていない、言い換えれば言葉が生きていないということ。その点を考えてほしいと言いたくて、そのためだけにここに来た。

 ここで、質問者と服部さんの個人的な関係もあり、服部さんへの質問の集中を避けようと判断し、服部さんに回答を求めず、次の質問に移ることにしたが、湯浅さんから意見が出された。

 【湯浅】いま、とてもドキドキしている。先ほど服部さんの先輩の方が、ご自分の深い思いを話されたが、それに対して応答を求めず、スッと流してしまう。これでいいのだろうか。ご自分の経験の中から、かなり思い切って言われたことに対して、全体で受けとめたという感じが伝わらないと、自分は何のために話したのか、ということになってしまうと思う。このあたりが、人間として尊重され、その場に参加しているという感覚を持てるかどうか、重要なところだ。それがない中で話が進んでいくことに対してドキドキしてしまった。先の質問は重要な問題提起であり、私たちが真摯に考えていくべき内容だと確認したい。
 

大澤真幸
●大澤真幸さん

【大澤】私も、社民党は正しいことを言っていると思う。しかし、それが力になっていないのも事実。そこで気をつけなければいけないのは、正しいことを言っているのに納得しないのは、相手に問題があると考えてしまうことだ。もちろん、相手にまったく問題がないわけではないだろう。しかし、そのスタンスでは、うまくいかない。
  以前、「琉球独立論」を掲げる龍谷大学の松島泰勝さんと話したとき、沖縄の米軍基地に反対するヤマトの左翼の人たちが沖縄に来るが、胡散臭く感じるという話がでた。なぜなら、その人たちは沖縄に強いられる重圧に憤りながらも、ではヤマトに基地を持ち帰ることには反対するからだという。基地の存在そのものを許さない立場なら、まずはヤマトの中で人々に日米安保の破棄を説得させなければならないのに、そうした意見はヤマトでは圧倒的少数にとどまる。その結果、ヤマトが沖縄に基地を押しつけている現状を補完しながら、そうした構造に無自覚になっているという。
  そうした意味で、どこまで本気なのか、問われているのではないか。あるいは、反対派としての立場に安住し、肯定的に何かをつくり出そうとしていない、と見られているのではないか。
  民主党への政権交代から現在の安倍政権へという流れの中で思うのは、確かに失望したものの、それでも民主党が政権を握ったことはムダではなかったということだ。なぜなら、私たちが失望を感じたのは、裏を返せば希望が叶えられなかったことを意味し、その希望は未だに存在しているからだ。この点を改めて示しただけでも、政権交代は意味があったと思う。
  この間の国政選挙で投票率が上昇したのは、小泉元首相時代の郵政選挙であり、民主党への政権交代を決めた選挙だ。昨年の衆院選は、「3・11」後に初めての選挙でありながら、まったく盛り上がらなかった。世論の動向として、それほど重要ではない課題については変化を求めるが、生活に直結する課題については変化をひるむ傾向にある。その点では、“変化してもわれわれの暮らしは大丈夫、やっていける”という展望を左派の陣営が示せるかどうかも重要なポイントだろう。


 

服部良一
●服部良一さん

【服部】私は長く市民運動をやってきたが、市民運動はシングルイシューで飽くなき正義を追求するようなところがある。そこから突然「政治」の世界に入ったので、「政治」というものが何なのか、よく分かっていなかった。その後の経験を踏まえて、いま思うのは、「政治」とは政策の実現だ、ということ。だから、「正しいこと」と「実現すること」とは重ならない場合も多い。
  議員になって以降、「最近、歯切れが悪くなった」と言われるが、それは、言ったことは実現しないといけない、責任を持たなければならないという重たさを痛感しているから。だからといって何も言わないというわけではないが、実際に法律を変え、予算をつけていこうとすれば、そこにはとてつもなく多くの関門が待ちかまえている。
  つまり、「正しいこと」を言ったり、どれだけ正しいかを競うこと以上に、それをいかに実現するのか、そのための戦略や戦術が重要だ。自分も含めて左派陣営には、そうした想像力が欠けていたのではないか。このことが、いま切実に問われているし、私はこの点で危機感を持っている。

 

最後にひとこと

【服部】戦後民主主義の中で育った人間として、憲法改悪だけは絶対に許せないし、許さない。憲法改悪阻止のために皆さんと一緒に頑張っていきたい。最後に、その決意を述べておきたい。
  【湯浅】最初に「社会をどう変えられるか」はとても難しくて分からない、と言ったが、最も身近で最も難しいのは自分を変えることだと思う。変えた結果“根無し草”になってはいけないが、そのままの状態に安住いるわけにもいかない。何が変えるべきでなく、何が変えるべきなのか、問題は自分の外にはないのではないかと思う。
  【大澤】シンポジウムというと、これまでの経験から、100%話が通じる人と話すか、まったく対立した人と話すか、どちらかになりがちだ。しかし、相違点がありながらも意見を言いあい、対話が成り立ったという意味で、今日はよかった。
  何であれ物事を成し遂げるというのは、大変なことだ。しかし、どんなに大変でも、当事者が何らかの楽しみを感じなければ、うまくいかない。もちろん、楽しむようなことではない場合もあるが、それをすることで自分が何かを感じたり、変わったり、それが喜びにつながるのではないか。
  私も、本や論文で取り上げる内容は悲惨なことでも、それを書くこと自体は、何ごとかを明らかにするという楽しみを感じるものだ。おそらく、そういうところがなければ、他人に響かないし、何かを変えることにもならないと思う。(終わり)

(構成および文責は研究所事務局)

 


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