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参加報告:グローバリゼーシヨンと中国「新左派』
現代中固と文化大革命ぬ遺制

 
 去る4月 27 日、京都府立大学において、京都民科歴史部会と中国現代史研究会の主催で行われた 「グローバリゼーションと中国『新左派』」と題する研究会に参加した。 次頁に別掲するとおり、気鋭の研究者4人による報告と討論を合わせ、非常に内容の濃い催しとなった。 紙幅の都合もあるので、この中から、「中国現代政治思想の再検討―新左派とリベラル派の論争を中心に」 と題する石井知章氏(明治大学)の報告を選び、かいつまんで以下に紹介したい。

「重慶事件」が示したもの 

昨年の中国は、重慶事件、反日デモ(暴動)、その背後で展開された党内権力闘争の末に習近平新体制が確立された共産党第18回大会など、歴史的に見ても大きな転機の年として記憶されるだろう――。そう指摘する石井氏は、とりわけ重慶事件に注目する。
  当時、日本メディアでも大きく取り上げられたように、重慶事件とは、2012年3月の王立軍・重慶市副市長によるアメリカ領事館亡命未遂事件を契機として、中国共産党の次期有力者と目された薄熙来・中央政治局委員(重慶市共産党委員会書記)の失脚へと至った一連の出来事である。
  薄熙来は内陸の直轄市である重慶市のトップとして、マフィア撲滅運動(「打黒」)に辣腕を揮いつつ、一方で毛沢東時代を懐かしむ革命歌の唱和運動(「唱紅」)を進めることで注目を浴びていた。来る党第18回大会では、党の最高指導部である中央政治局常務委員会への選出が取り沙汰されていたほどだ。
  しかし、腹心による亡命未遂事件を発端に、妻による英国人実業家殺害、一家の不正蓄財、マフィア撲滅運動における冤罪・拷問問題など、数々のスキャンダルが露呈した。こうして、薄熙来は最終的に党籍を剥奪され、刑事訴追の対象ともなったのである。
  こう記せば、中国にありがちな幹部の腐敗・汚職事件の一つと見ることもできる。しかし、決して一筋縄でいく問題ではない。周知のように、薄熙来の「打黒唱紅」運動、とりわけ毛沢東時代へのノスタルジーを背景に大衆動員の手法で行われた「唱紅」は、当時の胡錦濤指導部への挑戦でもあり、隠然と影響力を保持する江沢民の支援下にあったからだ。
 薄熙来の失脚を受け、温家宝首相が「文化大革命の過ちと封建的な影響は完全には払拭できていない。政治改革を成功させないと歴史的悲劇を繰り返す恐れもある」と異例のコメントを発表した。それは、中国社会に蔓延する不公平と不正義に対する民衆の不満に対して、かつての平等主義の幻想を受け皿として、文化大革命と同様の大衆動員によって権力闘争を仕掛けようとする保守派を牽制したものに他ならない。
  石井氏によれば、こうした党内の権力闘争は、国家による経済への介入強化を求める「旧左派(保守派)」と、ケ小平の改革開放政策を進めようとする「新自由主義派」との路線対立であると同時に、思想的・学問的に見れば、「リベラル派」と「新左派」の対立構図と重なる部分があるという。

 

中国における「リベラル派」と「新左派」

この30年間、中国では高度経済成長が達成される一方、貧富の格差をはじめ社会の諸矛盾も急激に拡大した。中国が本格的にグローバリゼーションへ合流した90年代後半以降、こうした社会矛盾の原因とその是正策をめぐって対立してきたのが、まさに「リベラル派」と「新左派」だ。
  石井氏によれば、対立は主に、次の四点にまとめられる。すなわち、@「リベラル派」が「効率性」を重視するのに対して「新左派」は「公平さ」を重視、A公平性の基準として「リベラル派」が「機会の平等」を、「新左派」が「結果の平等」を指摘、B不公平な社会を生み出す原因として、「リベラル派」が市場経済化の不徹底と政府の市場への不適切な介入を指摘し、私有財産制の確立と市場原理に基く所得分配の必要性を主張するのに対して、「新左派」は私有財産と市場経済化そのものを問題視し、公有制の維持を主張、Cグローバリゼーションについては「リベラル派」が基本的に肯定するのに対して「新左派」は反対の立場。
  この四つを主な争点として、両派は多くの論争を繰り広げてきたという。
  中国の指導部は現在、国家運営の基本的な方向性として「中国の特色ある社会主義」を掲げ、経済制度としては「社会主義市場経済」を標榜している。だが、私的所有が経済の主要な部分を占め、大多数の財やサービスが市場で調整されていることからも明らかなように、経済の根幹部分は多くの資本主義諸国と変わらない実態にある。「中国の特色」として指摘できるのは、そうした経済活動が国家(政府・党・国有企業)の強力な権限の下に、市場を巧みに利用して行われていることだ。その意味で、世界全体では、中国を「国家資本主義」と捉える見解が多勢を占めている。
  同時に、国家の強力な介入という「中国の特色」が、さまざまな矛盾も引き起こしている。国家介入によって、特定分野における新規参入の機会が妨げられたり、既得権層に対する利益誘導が行われ、腐敗・汚職の温床となる場合も多い。また、各地で頻発する民衆暴動の多くは土地の恣意的な売却に起因するが、それは土地の所有権が農村では「集団(村や鎮など)」、都市では国家に属するが故に、党や行政幹部の一存で売買可能となっていることが背景である。さらに言えば、法治を超えた「人治」の横行、人権問題や政治体制改革などについて、国際的な批判を拒絶し、独自基準を固執することなども、問題として挙げられる。
  以上のように見た場合、現在の政権主流に対しては、「リベラル派」も「新左派」も各々の立場から批判的であることが分かる。「リベラル派」は問題の根源を市場経済化の不徹底による市場経済化と政治権力の癒着と捉え、「新左派」は市場経済化そのものが問題の根源だと捉える。こう見れば、構図は日本でも欧米でもありがちな政治的・思想的対立と理解されるかもしれない。しかし、石井氏によれば、中国と日本や欧米では、こうした構図が成立する基盤が著しく異なっている。
  先に見たように、中国共産党が国家を通じて資本主義化を進めている中国では、国内外の資本とつながって労働者・農民を搾取する国家権力に対して、財産権や自由権を軸とする「普遍的人権」を盾に対抗する立場は、実は「リベラル派」が担うことになる。逆に「新左派」からすれば、資本の攻勢が強化されたのは中国のグローバル経済への統合が深まったからであり、「普遍的人権」はそれを助長しこそすれ、対抗軸とはなり得ない。むしろ国家権力によって資本を統制し、労働者・農民からの収奪によって蓄積された富を、指導部が再分配すべきだとする。
  実際、思想家・民主活動家の劉暁波がノーベル平和賞を受賞する契機となった2008年の「08憲章」に賛同署名を寄せたのも、あるいはさまざまな権利侵害に対して闘う「維権(権利擁護)人士」の多くも、新左派ではなくリベラル派である。逆に新左派は、「普遍的人権」については西洋資本主義諸国のイデオロギーとして懐疑的に捉え、普遍的人権や言論の自由を盾に政権を批判するリベラル派についても、西洋資本主義諸国の尻馬に乗った勢力として否定的である。
  石井氏によれば、日本では、中国における新左派は日本の新左翼、欧米のニューレフトと同一視されがちだが、それは基本的な前提が異なる点を無視した議論である。むしろ、新左派は現在の体制を部分的にせよ擁護する補完的な勢力であり、内容的には「新保守主義」と捉えるべきだという。旧来の保守派と異なるのは、そうした補完を西洋の新左翼・ニューレフトの理論を用いて行っている点である。

 

特別例会:グローバリゼーションと中国「新左派」

[報告]
  緒形 康(神戸大学) 「グローバル中国のイデオロギー装置」
  石井知章(明治大学) 「中国現代政治思想の再検討:新左派とリベラル派の論争を中心に」 
  梶谷 懐(神戸大学) 「グローバリゼーションと『中国モデル』」
  山下範久(立命館大学)「『リオリエント』以後の世界システム論と中国」 

[共催]京都民科歴史部会・中国現代史研究会

 

「新左派」の代表、汪暉への批判

この点について、石井氏は「新左派」の代表的論客と目される汪暉(清華大学教授)の著書『世界史のなかの中国:文革・琉球・チベット』(青土社、2011年)例に検討を加えている。
  ここで汪暉は「脱政治化」をキーワードに、世界史的な文脈における中国の60年代、つまり文革の時代の意味を問題にする。すなわち、全世界で反戦運動、民族解放運動が盛り上がった「1960年代」について、日本を含む西側ではさまざまに議論されてきたが、中国ではもっぱら「沈黙」が保たれているのはいったいなぜか、と。
  汪暉は、この「沈黙」そのものが、中国の「60年代」の象徴である「文化大革命」への拒否だけでなく、辛亥革命(1911年)から文化大革命にいたる20世紀の中国全体に対する拒否でもあるとする。汪暉は、世界史的に見て20世紀の政治は、政党と国家を中心に展開してきたが、政党と国家という二つの政治形態のいすれもが「脱政治化」の危機にあると捉える。それは、「一定の政治的価値やその利害関係に基づく政治組織や政治論争、政治闘争、社会運動、つまり、政治的主体間の相互運動」としての「政治」から、既成の社会構造を維持し強化する静的な「脱政治化の政治」への転換である。こうした状況の中で、「新たな」政治主体をもう一度探るために、汪暉は毛沢東主義への回帰に期待をかける。
  しかし、石井氏によれば、毛沢東時代は、前近代的な手法による法治の蹂躙がまるごと穏蔽されてしまうほどに、高度に人権抑圧的で、きわめて政治化された時代であり、「脱政治化」どころか、「超政治化」の過程だった。したがって、そうした毛沢東思想の歴史的遺産を再度持ち出すことは、新たな政治主体を探るどころか、重慶事件が示すように、20世紀以前の「前近代」への後退をもたらすものにすぎないという。
  また汪暉は、20世紀の政治に特徴的な政党政治について、全世界的に見て、政党は日ごとに国家権力に向かって浸透と変化を遂げ、さらには一定程度「脱政治化」し、機能化した国家権力装置へと変わっていったとして、それは中国共産党も含む「普遍的」現象と見なす。しかし、石井氏によれば、それは一党独裁の中国共産党と西洋近代の多元的国家における多党制のもとでの政党を同一化することで、党による支配体制(党治)が国家中心の支配体制へと転換したことを合理化する、中国共産党のレトリックそのものだという。汪暉の言う「脱政治化」とは、こうした事実を西洋近代と同等と見なす対称性において価値的に中性化しようとするものであり、いわば「中国近代のロンダリング(洗浄、証拠隠滅)」だという。
  石井氏は、こうした汪暉の姿勢は重慶事件に対する評価にも現れているとする。
  汪暉は「重慶事件―密室政治と新自由主義の再登場」(『世界』2012年7月号)と題する論文で、薄熙来が重慶で行った「社会実験」と、側近や夫人に端を発した一連の政治スキャンダルとは区別して論じるべきだし、重慶での社会実験については、農村の都市化をめぐる一つのモデルであり、やり方に賛否両論あっても、基本的にその成果は広く市民の評価に開かれていたが、「密室政治」のもとに葬り去られつつあるという。
  汪暉が「密室政治」の首謀者と見るのは、温家宝首相であり、そのブレーンの経済学者たちである。天安門事件後のケ小平による「南巡講話」で明確になった新自由主義的な強権政治を徹底させようと目論む彼らにとって、薄熙来による重慶での社会実験は邪魔者と映ったが故に、メディアを使った情報操作を駆使して、スキャンダルとして葬り去られた、とする。
  その上で、こうした「密室政治」の横行は、その権威主義的な政治手法と一体となった、「中国の特色ある新自由主義」の完成を意味すると捉え、それによって中国のグローバル資本主義との一体化が促進される一方、国内の格差を一層拡大させると同時に政治ニヒリズムを蔓延させ、中国社会により悲惨な状況をもたらすものと見る。
  しかし、果たして薄熙来が重慶で行ったことは、汪暉の言うようなものだったのだろうか。先に見たとおり、薄熙来の「打黒唱紅」運動は、中国社会に蔓延する不公平と不正義に対する民衆の不満を、毛沢東時代へのノスタルジーを使ってすくい取りながら、党内保守派と一体となって当時の胡錦濤指導部に闘いを挑むものだった。マフィア撲滅を謳う「打黒」の内実は実際には、自らの方針に沿わない多くの民間実業家を無実の罪で拘束し、必要な法的手続きも経ずに処罰したり、財産を没収したりするものであり。その半面では、身内や仲間への利益供与が横行していた。後に明らかにされた不正蓄財を見ても、「社会実験」として正当化する余地は極めて少ない。
  そもそも、薄熙来は中国共産党の元老の一人、薄一波を父に持つ「太子党」だが、薄一波は文革の際に失脚し、夫人つまり薄熙来の母親も自殺に追い込まれるなど、文革の過程で多くの辛酸を経験している。本心から文革の再演を待望したと考えることは困難だろう。
  むしろ、問題は汪暉の主張とは反対に、文革の経験がきちんと総括されず、権力闘争と相まって、社会的な矛盾の持って行き先として選ばれてしまうような状況にある。
  この点について石井氏は、汪暉ら「新左派」が現代中国になおも強固に存在し続ける、文革をもたらしたような「前近代的」遺制について直視を避けていると批判するが、だからといって、それは胡錦濤指導部の免罪にはならない。重慶事件は、薄熙来が後ろ盾としていた江沢民の権力基盤を危機に追いやるものだったが、一方で、同事件に関する裁判では司法ですら現指導部を支える「政治ショー」を演じているにすぎず、薄熙来による「人の支配」を統制すべき「法の支配」ですら、現指導部によるもう一つの「人の支配」に陥っていた。つまり、それだけ「前近代的」なものがいまだに中国社会の根底に深く横たわっていることが明らかになったのである。

*   *   *   *   *   *

石井氏が批判対象とした汪暉の『世界史のなかの中国』については、かつて当方のグローバリゼーション研究会でもテキストとして取り上げたことがある。その際、琉球やチベットに対する捉え方については違和感を持ったものの、文化大革命の再評価については、むしろ肯定的に受け取っていた。今回の石井氏の報告を聞いて、それが日本と中国の政治・社会的背景に関する差異を欠落させた「中国近代のロンダリング」に絡め取られていたものである可能性に気づかされた。もしかすると、これはかつての「アジア主義」にまつわる日本側の欠落にも関わるものかもしれない。
石井氏は最後に、今回の事件を契機とする「改革派」の巻き返しによっては、胡耀邦や趙紫陽が活躍した時代の政治改革へと復帰していく可能性も否定しきれないと述べた。そうした観測も含め、新たに出発した習近平指導部の動向に注目しつつ、われわれ自身が現代中国を見る視点を、さらに鍛えていかなければならないと痛感した。

(山口協:研究所事務局)

 


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