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地域・アソシエーション研究所 シンポジウム報告
     いま、社会をどう変えられるのか?
     −くらし・地域・政治−(上)

 
 本誌前号でお伝えしたとおり、当研究所では5月19日、「いま、社会をどう変えられるのか?−くらし・地域・政治−」と題して、今日の状況下で社会運動と政治との関係を問い、社会変革・政治変革の展望を考えるシンポジウムを実施した。社会学者の大澤真幸さん、前衆議院議員の服部良一さん、社会活動家の湯浅誠さんをパネラーにお招きしたシンポジウムは、50名ほど参加者を得て、ホットな議論の場になったと思われる。今号と次号、2回に分けて当日の模様を紹介する。

 

 まずはパネラーの皆さんの発言について、湯浅さん、服部さん、大澤さんの発言順に、かいつまんで概要を紹介したい。いずれも、整理と文責は研究所事務局である。

「6000万人目の人」に届けるには?
湯浅誠さん

シンポジウムのテーマは「社会をどう変えられるのか」だが、解答があれば苦労はない。すでに実行しているだろう。私自身も解答を持っているわけではなく、いま携わっている取り組みをお話しするしかない。それが解答たり得るかどうか、分からないのが実情だ。
  その上で、中心となる問題意識を紹介したい。それは、いま携わっている取り組みの中で、ある種の限界を感じていることだ。
  これまでホームレス問題や貧困問題に取り組み、それなりに事態が進展した。たとえば、日本に貧困問題は存在しないと言われていたのが、公式に「存在する」と認められたことなど。しかし、これまでの活動を通じて、自分たちの主張を届けるべき相手には、すでに届いてしまったという気もしている。
  言い換えれば、これまであれこれ働きかけてきたにもかかわらず、自分たちの主張に共感や関心を示してくれなかった人たちに、どうすれば主張を届けることができるか、ということだ。何をどうすれば主張が届くのか、はっきり言って分からない。これが、この間感じている限界だ。
  自分であれこれ考えても分からないので、いまはさまざまな人に相談している。その中で、ある人から「他人に変わってほしいなら、まず自分から変わるべきだ」と言われた。それを聞いて「それもそうだ、とにかくやってみるか」と思いたち、とりあえず服装、メガネ、髪型を変えてみた。すると、実際これまでとは違う反応が返ってくる。もちろん、それが解答かどうかは分からない。むしろ、分からないからやっている。
  日本の人口1億2700万人いる中で、自分がふだんの活動の中で関わっているのは身の回りの100人、せいぜい1000人。その中でできること、やるべきことはもちろんある。しかし、社会を変えようと思うなら、さらに多くの人々と関わらなければならない。そう思って、たとえば、「6000万人目の人」をイメージしてみる。必ずしも、自分に近い順から6000万人目というわけではない。すぐ近くにいるかもしれない。いずれにせよ、これまで自分が出会ったこともなく、自分の主張に共感も持たない、というような人だ。
  どうすれば、自分の主張がその人に届くだろうかと想定した場合、「なぜ自分の理屈が分からないのか」という態度では、およそ無理がある。むしろ、その人の生活のリアリティ、その人にとって社会がどう見えているのか、そのあたりを、もちろん想像ではあるけれども、踏まえなければならないと思う。その意味で、これまでとは違う、さまざまな分野の人々と対話するということを重視している。
  最近では、小泉進次郎とも小沢一郎とも会った。政治家だけでなくデザイナーやスタイリストなど、これまで接触がなかったような人たちとも積極的に会うようにしている。その中で、さらに多くの人に届く考え方や言い方を探しているということだ。
  こうした問題意識を、これまで活動してきた「貧困」「ホームレス」「生活保護」といった個別テーマに当てはめて、さまざま試行錯誤をしている。その事例を一つ紹介したい。たとえば、「生活保護」については最近、国が生活保護法の改定案を閣議決定した。内容としては、受給条件を厳しくしたり、支給額を切り下げたりするものだ。
  2000年代後半には、こうした問題について運動側が攻勢に出ていた。その大きな力となったのは、貧困問題をめぐる状況の切実さ、深刻さだった。深刻な現状にもかかわらず政治の世界では軽視されていることに対して「実態はこんなに大変なんだ」と示したことで、世論も共感を示してくれた。だが、2010年あたりから潮目が変わった。生活保護受給者が200万人を超えたこと、いわゆる不正受給の問題がクローズアップされたことなどをきっかけに、ここ2〜3年で深刻な実態が一気に「上書き」されてしまった。
  こうした動きの中で、「6000万人目の人」がどのように受けとめているか推測してみる。「生活保護」という言葉を聞いたとき、頭に思い浮かぶイメージは、たとえば大阪の釜ヶ崎で福祉事務所のまえにオッちゃんたちが並んでいる風景だ。オッちゃんたちの顔にはボカシが入っている。業務開始と同時に窓口に一斉になだれ込み、支給された封筒を手にしている。その後、場面はパチンコ屋の資料映像や路上での酒盛りのシーンなどに切り替わる。
  生活保護についてこうしたイメージを持っている人に、「今回の改定案はおかしい」と言ったところで、なかなか届かない。こちらの主張の届けるには、こうしたイメージを少しでも変えないといけない。どうやったら変わるだろうか、と考えたときに、やはり「顔」が必要ではないか、と思った。つまり、ボカシの入った「受給者一般」ではなく、生身の人間だ。215万の受給者には当然一人一人に名前と顔がある。そのうち30万人は子どもでもある。その人たちは、バッシングを恐れて顔や実名を出せない。
  しかし、そのことによって、生身の人間としての「顔」が思い浮かばなくなり、先のようなイメージが通用し続けていることも事実だ。何とか「顔」を出せないか。そう考えていた中で、実名と顔を公開してもいい、という人が現れた。そこで、受給者が自らの経験を公開する形で生活保護の真実を伝える『はるまち』という雑誌をつくることになった。創刊準備号の表紙に出ているのは、2歳から生活保護を受けて現在21歳の女性。彼女が実名と顔を公開してもいいと言ってくれたので、この企画が始動した。生活保護の問題に関心の薄い人々、関心のない人々に手にとってもらうため、デザイナーの協力も仰いだり、誌面も広告代理店の出身者に助言をもらうなどして工夫した。
  「6000万人目の人」が持っているであろう生活保護に対するイメージを揺さぶる中で、少しでもこちらの声に耳を傾けてもらえるような環境作りをしようとている。これは、他の分野でも同じだ。
  これまでの活動で達成できたこと、そうであるが故に現れてきた限界の中で、これまでであれば二の足を踏んだようなことに新たに挑戦する、それが現在の自分の課題だと思っている。

どこから政治を立て直していくか?
服部良一さん

シンポジウムのテーマの「社会をどう変えられるか」は、自分の持ち場で言えば「日本の政治をどう変えられるか」ということ。これはもちろん、政治家の離合集散で実現されるような問題ではない。社会全体が今後どのような共通の価値観をつくっていくのか、あるいは既存の支配システムがつくり出す社会のありようとどう対決していくのか、そうした問題だと思う。
  いま一番問題だと思っているのは、3年ほど続いた民主党政権が終わってみると、3年前以上にひどい政治・社会状況になっていること。これはいったいどういうことなのか。
  09年の政権交代の2年前、参院選で与野党逆転があり、私はそのころから山内徳信さんの秘書として国政に関わるようになった。当時は、今後の状況に期待を持っていた。
  湯浅さんが村長を務めた日比谷の年越し派遣村(08年末)も、それまで長らく問題にされてこなかった格差や貧困という問題を明るみに出し、こうした世の中を変えないといけないという機運を高めた点で、09年の政権交代の原動力の一つとなったと思う。
  私自身が長く取り組んできた沖縄の基地問題でも、いつまで負担を押しつけるのか、何とかこの状況を変えなければならないという機運が、沖縄で急速に高まってきた。実際、09年の衆院選では自民党候補は全滅し、普天間基地の辺野古移設を否定する民意が示された。
  こうした流れもあって、09年の政権交代は多くの期待を集めたのだと思う。にもかかわらず、鳩山政権が一年も経たずに潰れてしまったことは、前後の日本の政治史の中でもきちんと検証していくべき問題だと思う。その後、菅政権、野田政権と移り変わり、最終的には安倍政権の復活を許すことになってしまった。日本維新の会の動きも含め、政治状況全体が「右傾化」し、私たちが立ち上がりづらい状況になっている感さえする。そうした中で、私たちがどう立ち上がっていくのかが問われている。
  社会をどう変えるかという意味では、3・11のインパクトは非常に大きい。単に政治の課題だけでなく、われわれの暮らしのあり方、価値観総体が問われ、社会のあり方を一から見直していくきっかけを与えたはずだと思う。とすれば、それだけ、昨年の衆院選挙は何だったのかという問題に突き当たらざるを得ない。
  昨年のいまごろは「消費税国会」ということで、消費税の問題がクローズアップされ、世論調査では税率引き上げ反対が7割、原発についても7割が反対となっていた。ところが、選挙で生まれた政権は、原発推進、消費税率引き上げ、沖縄基地の県内移設推進、TPP(環太平洋連携協定)推進だ。つまり、個別の課題では反対にもかかわらず、政権としてはそれを推進する勢力を選ばざるを得ない状況になっている。その結果、3・11のインパクトがもたらした課題すら風化しかねない状況になっている。
  では、どうすればいいのか。湯浅さんと同じく、自分も解答は見つけがたい。自分がやろうとしているのは、一つは、いわゆる政治の領域で「政界再編」をすること。どう考えても、現状では民主党は持たない。他方、自民党支持者の3割は憲法改悪に反対、いわば安倍政権に景気回復は期待しても憲法を変えることは望んでいない、という調査結果もある。
  安倍政権や維新の会が進めるような政治のあり方が、このままうまくいくとは思えない。むしろ、今回と同じような揺り戻しがくるだろう。その際に有権者の選択の受け皿となるような政治勢力が必要なのだが、残念ながら存在しない。これが、いま一番大きな問題だと思う。社民党もそうした受け皿とはなり得ていない。
  むしろ、既存の政党の枠を超えて、環境や平和、民主主義や平等といった価値観を軸にするような政治の枠組みをどう作れるのか、ということだろう。しかも、それは何時までも待てるような話ではない。7月の参院選は難しいが、その次の機会には選択肢となるような受け皿が必要だ。
  もちろん、これは政党政治だけではなく、労働組合や地域の諸運動にとっても問われている問題ではないかと思う。
  もう一つ。大澤さんのナショナリズム研究と関連しているかも知れないが、本当の意味での歴史認識、日本の将来を担う若い活動家や政治家が東アジアの平和構築ということについて確固とした展望を持ってほしい。そのために東アジアの青年交流のプロジェクトをつくっていきたいと考えている。
  この間、安倍政権の下で村山・河野談話の見直しに向けた動きが進行し、それをアメリカからさえ批判されるような状況になっている。
  私の場合は、戦後直後に生まれ、親の背中などを通じて戦争の実情について知る機会があった。世代を経るに連れて、そうしたリアリティが薄れることは避けられない。そこをどう引き継いでいくのか。その観点から政治を立て直していく必要があると考えている。

「未来の他者」を繰り込む想像力を!
大澤真幸さん

3・11が私たちに突きつけたものは何だったのか、その本質について話したい。この点で、『ソフィーの選択』(1982年)という映画を紹介したい。この映画は、人間にとって最も難しい選択とは何か、という問題を示している。
  主人公のソフィーはポーランド人。ナチス・ドイツがポーランドを占領したとき、彼女は2人の子どもと一緒にアウシュヴィッツの収容所に送られてしまう。アウシュヴィッツの駅に着いたとき、ナチスの将校がやって来て、「2人の子どものうち1人を選べ、選んだ方は助けてやる」と迫った。彼女が「できない」と言うと、将校は「それなら2人ともガス室行きだ」と言う。苦悩の末に、彼女は下の子どもを残すことを決める。このことで彼女は心に深い傷を負い、ナチスから解放されて以降、精神のバランスを失っていく。
  このように、人間にとって不可能な選択、最も難しい倫理的な選択について文学的に表現した映画だ。これを踏まえて、私は「偽ソフィーの選択」というものを考えた。「ソフィーの選択」は二人の子どものうち一人を選択しないといけない。これに対して「偽ソフィーの選択」は、「おまえの子どもか、あるいは老後の貯金1000万円か、どちらかを選べ」と迫られるもの。この場合、結論は明らかだ。1000万円も惜しいが、子どもには代えられない。ここで偽ソフィーが逡巡でもすれば、皆さんは「許せない」と思うはずだ。
  翻ってみれば、原発問題はどう考えても「偽ソフィーの選択」である。というのも、原発のメリットをいくら並べても、それは経済的な利得に過ぎない。それに比べて、3・11で明らかになったように、デメリットは計り知れない。一つの共同体が失われてしまうほどのものだ。その意味で、原発問題に関わる「偽ソフィーの選択」は倫理学的に見て、極めて簡単な問題だと言える。
  にもかかわらず、3・11から二年が経ちながら、日本人は未だに結論を出しあぐねている。最近ではむしろ、原発の存続の方向へ傾きかけている。不思議と言わざるを得ない。何故こんな簡単な選択に結論が出せないのか。「偽ソフィーの選択」を「ソフィーの選択」と同じように見せかけている「何か」があるに違いない。
  それは「偽ソフィー」の子どもがいまここにいる子どもではなく、未来の子どもだということだ。たとえば、1万年後に生まれてくる子どもと目の前にある1000万円、この二つが条件だとすれば、「どちらを選ぶのか」と言われて逡巡することもあり得るだろう。
  われわれが現時点で選択したことは、明らかに未来の他者に影響を及ぼす。とすれば、われわれの意志決定の中に未来の他者をどう組み込んだらよいのか、という問題が生じてくる。いま生きている人ならば、共同で意志決定することはできるが、未来の他者は訴えない。このように、3・11が突きつけた本質的な問題の一つは、われわれは未だ生まれていない未来の他者とどのように連帯できるのか、という問題だったように思う。
  もう一つ。青森県の下北半島にある旧大畑町(現在はむつ市に合併)の事例を紹介したい。かつてはイカ漁など漁業と林業で賑わったらしいが、現在は寂れている。この大畑町に興味を持ったのは、原発関連施設が集中立地する下北半島にあって、大畑町だけ原発関連施設がなかったから。もちろん、電力会社から設置の誘いはあったが、それを受け入れなかった。大畑町の南に核燃サイクル施設で知られた六ヶ所村がある。六ヶ所村の人々も当初は大半が原発関連施設の誘致に反対だったが、3・11以前には唯一人、菊川さんを除いて反対する人はいなくなっていた。しかし、大畑町はそうはならなかった。なぜか。
  2000年と2001年に経済学者の金子勝氏とともに大畑町を訪れた。そこで独特なNPO「サステイナブルコミュニティ総合研究所(SCR)」に出会った。SCRがあったことが、大畑町に原発関連施設ができなかった最大の要因だと思う。SCRはもともと「イカの文化フォーラムin大畑」という団体だった。94年、大畑町でイカに関する国際的な文化フォーラムが開催された際、舞台を取り仕切ったボランティアたちが、その後も集まりを続けたのがきっかけだ。
  SCRは「大畑原則」というコミュニティの基本方針を出している。それを具体化したものとして「まちづくりマスタープランOHATA未来22」がある。その基本はある種の環境倫理だが、表現の仕方が巧みだと思う。生命の多様性を支える自然環境を「ストック資源」と捉え、それを維持していくことを基礎に置く。そして、その原点は「狩猟採集民」にあるという。狩猟採集民は自然からさまざまなものを奪うが、自然が持続できないような奪い方はしない。そうした狩猟採集民と自然との関係をどう取り戻すか。この点でSCRの人々は「昭和30年代のような暮らし方であれば、狩猟採集民の精神からそれほど外れていない」と言っていた。それを具体化したのが「近自然工法」による河川や海岸の護岸工事だ。専門家と協力してプランを示し、町の行政にも影響を与えている。
  他の町にも同様の取り組みはあったらしい。だが、その中で大畑町だけが、貧しいながらも原発関連施設の誘致を拒否し、一定の成果をあげている。その背景には、他の町にはない、ある種の想像力の存在を指摘できる。とくにリーダーの角本さんが持つ、溢れるような文学的想像力。
  たとえば、SCRの人々は「下北半島は日本じゃない。そもそも15世紀に南部藩との闘いに敗れ、併合されるまでは日本ではなかった」と言う。つまり、日本国という枠組みを前提にした場合、大畑町は辺境に位置づけられてしまうが、その前提を取っ払い、むしろ大畑町を中心として世界を見ていいではないか、という想像力だ。
  想像力は空間だけではなく、歴史についても発揮される。「まちづくりマスタープランOHATA未来22」の「22」とは、22世紀を意味している。大畑に群生している檜葉の木は、200年単位で更新を繰り返すというが、それにならって、いまから200年単位で考えようとすれば、22世紀を見越したプランが求められる。狩猟採集民という軸から見て「昭和30年代」が一つの転換点という発想も、それに関連しているだろう。つまり数万年の歴史の折り返し地点としての「昭和30年代」という捉え方である。
  あるいは「大畑というのはミッション(使命)共同体だ」という。ミッションは自らが勝手に決めるものではなく、外から呼びかけられるものであり、200年後、1万年後に生まれてくる子どもから呼びかけられたものと位置づけている。
  かつて角本さんが書いた評論の中に、高村光太郎の宮沢賢治論が引用されていた。そこにはこうある。「内にコスモスを持つものは世界のどこの辺境にいても常に一地方的の存在から脱する。内にコスモスを持たないものはどんな文化の中心にいても常に一地方的の存在として存在する」。大畑町が原発関連施設を拒否できたのは、まさに反対運動に携わる人が「内にコスモスを持つもの」だったからだろう。

 

新鮮で刺激的なものを感じた

今回のシンポは、大変楽しみにしていた。湯浅さん、大澤さん、服部さんと異色の取り合わせがいい。当日は川西産直の「ふれあい祭り」で炊き込みごはんを炊いて振るまっていたが、昼で切りあげて会場にかけつけた。結論から言うと、実に新鮮で刺激的なシンポだった。
湯浅さんで一番印象的だったのは「私は常に6000万人目の人に声を届かせようと意識している」という発言だった。つまり、日本社会のせめて半分の人を意識して活動する。それが大言壮語でもスローガンでもなくて、姿勢として感じられた。しかも「6000万人目の人は順々に並んでいてはるか遠くにいるわけではなく、目の前にいるかも知れない」という考え方にも感心した。
湯浅さんは多数派になろうとしているわけではないだろう。一方、こちらはずっと少数派でやって来ているうちに、いじけて心も頭も少数派になっていたのではないか。これは大澤さんが提起した「内なるコスモス」の問題にもつながる。
また「左翼の人はヒト(他人)の話を聞きませんね。すぐ説教を始める」とか「『いつも正しい』とか『ずっと正しい』ということ自体がおかしいですよ」など厳しいが的を射た発言にはっとさせられた(ぼくが左翼かどうかは別にして)。
大澤さんの「偽ソフィーの選択」にしても、「内にコスモスを持つもの」にしても、いずれも世の中の見方、考え方としてすごく面白かった。これまでなじんできたマルクス主義のそれとは違い、新鮮だった(ぼくがマルクス主義者かどうかは別にして)。
大澤さんに関しては、『ふしぎなキリスト教』は読んでいたが、シンポまでに1冊読んでおこうと『生権力の思想』を手にした。管理型社会、コンピュータ社会を洞察したもので期待したのだが、しょっぱなからフーコーやドゥルーズで、とにかくむずかしかった。シンポに参加したTさんが「大澤の本ってすごくむずかしいけど、今日の話はわかり易くて面白かったよね」と言っていたが、同感だ。
もうひとつ、ふたりともいい意味で「賢い人」だなあとつくづく思った。服部さんはつき合いも古くて、身近な人だから、やっぱり「お友だち」って印象だが(向こうはどう思っているか知らないが)、ふたりはだいぶ印象が違う。

(河合左千夫:鰍竄ウい村)

 

未来のいのちを尊重する政治へ

目の前に居る自分の子どものいのちは限りなく愛おしく、しかし遥か遠い将来の子孫のことには思いを馳せることが出来ない。大澤真幸さんは、3.11以降、その恐ろしさが明々白々になったにも関わらず原発を止める動きが進展しない事実に、「ソフィーの選択」「偽ソフィーの選択」の話を用いながら、「政治的な意思決定のなかに、どのようにしたら未来の他者を組み込むことが出来るのか、その方法を知らない」「いかにして未来の他者からの呼びかけに応じるのか、そのやり方がわからない」とスバリ指摘された。
原発問題は未来への想像力の欠如の問題だ。そして、未来の子どもへ思いを寄せられない我々の政治は、また同時に世界への想像力の欠如も併せ持つ。今を生きるアジアの子ども、世界の子どものいのちへの共感が微塵もないのが、国会を跋扈する憲法改悪と戦争肯定の思想である。
私は、いのちよりも金儲けを優先する政治は絶対に許せない。自分の子どものいのちが尊いように、未来の子どもも、世界の子どもも、子どものいのちは等しく尊い。だから、憲法改悪にも原発推進にも断固反対する。全てのいのちを肯定すること、お互いがお互いのいのちを支えることこそが政治だ。「いのちの尊さ」の普遍性の自覚は、大澤さんの言う「内なるコスモス」につながるのか。よく分からないが、微かにつながるような感じもする…?
「いま、社会をどう変えられるのか」、私は特効薬や万能薬もないと思っている。ぶれたり怯んだりする自分に言い聞かせるのは、「暮らしの現場、労働の現場、闘いの現場にしっかりと軸足を置け」ということ。そして「全ての子どものいのちは等しく尊い」という真実は、誰もが理解し得ると確信すること。
当面の課題の一つは、原発問題。まるで福島原発事故がなかったかのように振る舞う政府に、民主主義の力で抗うこと。関西的な課題は、大飯原発再稼働の撤回ともんじゅ廃炉を求める闘い。二つ目は憲法。9条、96条の改悪阻止はもちろん大切だ。生活保護切り下げなど生存権に関わる問題や脱原発運動への弾圧など思想信条・表現の自由に関わる問題などでは「憲法実現」「憲法を真に活かす」という姿勢で精いっぱい活動したい。具体的な取り組みで、一つ一つ信頼と共感を積み重ねていくことしか自分には出来ない。 
政党政治の枠組みについては、社民党、みどりの党、新社会党、未来の党&みどりの風等は共闘して、平和と脱原発を願う市民の期待に応えていかなくてはならないと思う。社民党自治体議員である私も、自分の役割は何なのか考え行動していきたい。次の段階では民主党立憲フォーラムメンバーとの大同団結、共産党との協力等も視野に入れていかなくてはならないであろう。
斜に構えて評論するより、まずは「一歩前へ」と自分を励ます今日この頃。

        (北上哲仁:兵庫県川西市会議員)

 

他者の意見に向き合う責任

シンポジウムの会場で一人の質問者の意見について議論がされないまま、次の質問者に移ったあと湯浅さんが「だれかが一所懸命訴えたことがちゃんと意見として扱われないことにドキドキしてしまう」と発言した。民主主義とはどういうものか、湯浅さんの考え方というか、覚悟のようなものを感じた。
他者の意見を引き受け、こちらの考えも相手に伝え、話し合い、合意点を見出していく。これは大変なことだ。本来の民主主義を目指そうとするならそれを引き受ける責任がある。湯浅さんはその責任を果たそうとしているからこそ、ドキドキしたのだろう。その責任は特定の人に課されるものではなく、私たち一人ひとりに求められる。
非正規で働いていた友人が「自分は社会から必要とされていない」と言い、それきり音信不通になった。そのとき彼の言葉にちゃんと向き合い、自分に何かできなかったかと今でも思う。友人ひとりに何もできないのに、それより大きな社会を変えることはできない。社会が変われば友人は救われた。というのではなく、友人を救おうとする直接的な行動が社会を変えることだと思うようになった。
大澤さんは「内にコスモスを持つ者」の大切さを説明していた。コスモスとは疎外される対象ではなく、自らが社会の中心だという意識を指すのだそうだ。自分らしさと読み取る。ある地域ではまちづくり活動をとおして、地域という共同体に内なるコスモスが生まれ、原発誘致を拒否するまでに至ったという。私たちは国や大都市に振り回される地方にはならないと決意させたのだ。そういった地域の運動をつなげていけば大きな社会を動かすことになるのではないか。
国会で政治勢力の構図が変わっても、それだけで社会は変わらない。何とかしてくれそうな人に投票するだけではいけない。多くのひとがそれに気づいた。しかしそれは多くの無党派層を生み、投票率が低下し続けるという現状に留まっている。そこから踏み出して自分も参加できる、していると思える政治運動が生まれる余地はある。それをどのように作りだしていくか。答えは見えないけれども、常にアイデアを出し合い、外に向けて実践していきたい。
楽しくないといけないと大澤さんは言っていた。楽しめるかどうか、これが結構大事だ。

        (高木隆太:大阪府高槻市会議員)


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