議員政党ではない政治組織をどう構想するのか。この問題意識から、今日の日本の政治情勢を変革していく道筋を検討してみたいと思います。私たちが目的としているのは、社会をより善きものへと変革することであって、その目的の実現のためには政治変革が不可避であると考えてきました。かつて1960年代〜70年代のころ、私たちの頭を支配していた「権力奪取」→「過渡的政治独裁」→「社会変革」という単純な図式ではダメだと気づいて、社会変革の基礎は人々の日常生活が日々繰り返されている地域における生産、生活の実体的変革の継続だと確信し、そこから政治変革を展望するという考え方に至ったわけです。
「食べもの」にかかわる事業活動を通じて、農業や畜産の現場をつくり、そうした生産現場とそれらを包む地域での生活に貫かれている価値基準の転換を目指しています。言うまでもなく、地球上を覆っている経済システムの内にある地域ですから、その価値基準の転換は、自然と人間、人間と人間の日常的関係の集積をコツコツとつくり変えていくという、気の遠くなる試みです。行きつ戻りつが繰り返され、終着駅は見えません。可能性への確信を支えているのは、“人間の内なる自然の存在”と、とりあえず答えておくことにしています。
地域での生産、生活を続けていくと、そこに張り巡らされている政治の実態が見えてきます。末端行政組織の意志決定の手順や判断の根拠に、地域の政治勢力がどのように関わっているのかという実態です。地域における私たちの政治活動の出発は、こうした政治実態への批判活動ということになるわけです。そして、その継続の中から、地方自治体の議会に自分たちの主張を届ける一つの手段として、議会議員の選挙に候補者を擁立することが浮上します。しかし、それはあくまで地域で政治活動を具体的に進めていく一つの手段であって、それ以上ではありません。
逆に、できあがってしまった国民国家の国家権力の主導権を握ることで予算の配分に与ろうとする既成政党にとっては、各種議員選挙は主導権を握るための決戦場であり、極端に言えば、日常的な政治活動はすべてそのための手段とならざるを得ません。今日、極めて深刻な機能不全を引き起こしている代議制の現状には、人々が生活している地域における政治活動という下からのエネルギーを、国家予算の配分をめぐる主導権争いとしての議員選挙がまったく受けとめられていない現実があるように考えています。地域や職場での人々の要求をとりまとめ、組織していく運動、組織が解体され、バラバラに孤立した人々には、単純、明快、攻撃的な主張のみが一方的に届けられているのです。
もう一つ、そうした状況が生まれる背景には、「 政 =祭り事」と称されるように、政治活動というものが日常生活領域からの飛躍、断絶を本質的に有しているという事実があるのかもしれません。既成政党の専門集団化、世襲化の傾向が、そのことを示しています。左翼の側にあっても、かつて強く意識されてきた「職業革命家」という志向も同質のものでした。けれども、「プロ」にお任せではダメだというのが、地域から政治を考えることを基本としてきた私たちの結論でした。
私たちが、地域における政治活動の一つの手段として取り組み、その結果として地方議会へと送り出した仲間たちと、やがて地域における政治活動の進め方や方針をめぐって齟齬や対立を生じさせてしまったという経験は、その原因を個人の資質や個別の事情にのみ求めるべきではなく、たとえ地方自治体の議員であっても、議員は行政との関係を通じて職業化してくことが避け難いという事実に起因するように思います。職業化し専門化した議員と地域における政治活動の関係は、組織が議員政党化している場合は別として、どうしても矛盾を抱え込んでしまうのではないでしょうか。やはり、地域を基礎とする社会変革の過程にあって、政治活動をどう位置づけ、どのような政治組織の実体化を目指すのかという点での、私たちの考え方の曖昧さに、その原因を求めるべきだと思うのです。
(津田道夫:当研究所代表)