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連載 ネパール・タライ平原の村から (22)
   マガルとプンマガル、少数民族について

 

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。今回は、その22回目である。

 

ある日、郵便局員が農業の統計調査にやってきました。「飼っている水牛は何頭ですか? ヤギは? ニワトリは? 豚は?」。相方は言いました。「それに答えて、どういう利益があるの?」。僕は「ウサギが4匹」と言いましたが、それは特に記録する必要はないとのこと。こうした調査結果がどうなるのか、わかりません。農業をしている当事者の手元に具体的な数値や施策が戻ってきたことがないというのが、ここでの認識です。



対照的に、昨年実施された10年に一度の国勢調査では、相方は熱心に返答をしました。「家族の民族名は? 

●全国集会のもよう。男性の多くが退役軍人

使用言語は? 母語は? 宗教は?」と調査員が質問します。それに対して相方は「民族名はプンマガル、単にマガルと書かないで」「使用言語はネパール語」「母語はカム語」「宗教は自然宗教」と答えました。これらの回答、実はあらかじめ、プンマガル民族協会幹部が打ち合わせを行い、各地域での集会で伝えられていました。つまり、準備された答え方なのです。

 

 

現在、国は59の言語と102の民族を公認しています。プンマガルは、全人口の約7%を占める少数民族マガルの中で、タパマガル、アレマガル、ブラトキマガル、ラナマガル……とあるサブグループ(内婚集団)の一つです。プンマガルの人々は国勢調査を通じて、自分たちはマガルであるが、文化や言語の全てがマガルの多数者と同じではない、一つの固有の社会集団だと主張しているわけです。

●プンマガル全国集会行進中
ポカラにて

彼らは、一昨年はネパール第二の都市ポカラで、また昨年は首都カトマンドゥで、全国集会を開きました。そして「私達の言語を! 私達の文化を!」と主張する行進を展開しました。都市部でこうした集会ができる背景には、第一次・二次世界大戦を通じてグルカ兵としてイギリス軍に優先的に雇用された、マガル族の資金力があります。とくに、イギリスや香港に永住した退役軍人による資金協力が大きいようです。

言語について言えば、マガル族の言語集団は、マガル語、カイケ語、カム語、さらに母語を失った各集団があります。プンマガルは、歴史的にネパール語を話す支配階層に従属する中で、母語であるカム語を失ったとされています。現在、ネパール語を使用言語とする彼らは、比較的早くにネパール化が進んだとも言われています。また、プンマガルと他のマガルとの大きな違いの一つに、山岳部の故地では聖なるものとされる牛の肉を食べていること、信仰や儀礼(冠婚葬祭)の仕方が異なることがあげられます。

こうしたことが、自分たちはマガルとは違うと主張する要因になっているようです。ただし、一口にプンマガルと言っても、故地から移住後に平地で生まれた人の中には、見たこともない山岳部の故地の習慣や歴史に特別な思いを見出さない人も当然います。実際、彼らは多数派の生活様式(ヒンドゥー化)に順応して暮らしています。
また、同じく移住してきた異なる少数民族間の婚姻も増えています。あるいは、マガルという大きな括りの中で、ことさら違いを言い立てて対立するのでなく、同じマガルとして主張すべきという意見もあります。プンマガルの人々を特徴づける認識、習慣、宗教などは、プンマガルを名乗る人全員が同じように共有しているとは限らないようです。時代や世代によっても、流動的に変化しているようです。

※    ※    ※

いずれにしても、社会集団の実態を把握するための統計調査には、国の民族政策と何らかの結びつきがあることは確かなようです。 (藤井牧人)

 


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