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アソシ研リレーエッセイ:「説教」する年齢になって

文化という言葉には「人の知恵」「生活の豊かさ」「今も力強く息づいている」といったイメージがある。そういう意味で、今は文化の滅びた時代ということになろう。なんでもあるけど何もない、あるのは骨董品と化した遺物に対する郷愁の念のみ。ここまでつまらない世の中になった原因はなんなのか?といういうのが私たちのささやかな「農」研究会の強い動機ともなっている。つまらなくなった根本を追求すれば、希望への道筋が見えてくるのではないか、という期待である。

仕事の関係もあり、農・食から社会を考えるという視点が一番落ち着きのよさを感じる。無論、実践につなげたい、もっと楽しく仕事ができるようになりたい、という目先の関心事もあって、ああでもない、こうでもない、と会を重ねている。

例会はその都度一応テキストを決めてはいるものの、議論はいつも脱線する。話題は多岐にわたる。再びマルクスに出会う時もある。日本の社会運動においてマルクスは一面的にとらえられ過ぎた、そのおかげで実際の運動に於いても多くの過ちが生れたのではないか、など新たな認識と視点を得ることも多々である。とくに農民を社会変革の仲間にすることができなかった理由を考えるのも「農研」のテーマになってくる。議論を重ねるたびにテーマが増え、分らないことがどんどん増えてくる。だが、今までつながらなかった別々のことがひとつのものになった時など、ちょっと開けて楽しい気分にもなる。

若いときに比べれば本を読むのも苦にならなくなった。本を読むのは情報を得るのが目的ではない。ネットが発達すれば本などなくなるなどと一部にトンチンカンなことを言う人もいるが、本を読まなくなることとネットの発達とは何の関係もない。次元の異なる話である。鍛える必要のあるのは考える力であって、それは情報・知識の多寡とは関係しない。考える力さえ身に付けば情報とか知識など苦労することなく寄って来る。

事あるごとに若い人たちに本をもっと読め、とかつて私自身に言われた同じことを「説教」するような年になった。残念ながら年を重ねないと見えてこないことも多い。一寸見えてきたと思った頃には「いい年」になっている自身を見出す。次にどう伝えるかが大きな課題ともなってくる。一方では、問題意識を深めることは年とは関係がない、終わりのない世界である。(鈴木伸明:関西よつ葉連絡会事務局)


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