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参加報告:現在の中国をどう見るか?
 習近平指導部を待ち構える三つの課題…

 
昨年11月10日、大阪哲学学校の主催で行われた連続講座「今、中国の政治と経済、社会は…」の第1回「現在の中国をどう見るか」に参加した。講師は現代中国研究の第一人者で、かつて当研究所でもお話しいただいたことのある愛知大学の加々美光行さん。2012年12月の第18回共産党大会で10年ぶりに胡錦濤から習近平へと指導部が交代した中国。その現状と今後の課題について概括的に知ることができた。以下、かいつまんでポイントを紹介する。

 

「尖閣問題」に見るすれ違い

加々美さんはまず、近年の日中関係の中でも大きな事件となった、尖閣諸島の領有権をめぐる問題を例にとりつつ、現在の中国指導部が抱える諸課題について指摘した。
  尖閣問題に関しては、2012年9月の日本政府による国有化決定、それに絡んで中国各地で吹き荒れた反日運動の様相が記憶に残っているが、そもそも日本政府が国有化を急いだ背景には、石原慎太郎の東京都による尖閣購入策動だけでなく、次の三つの出来事が絡んでいるという。
  すなわち、@ロシアのメドベージェフ首相の国後島上陸と、領有に関する強硬発言(12年7月)、A韓国の李明博大統領の竹島上陸と、植民地支配を含めた領有に関する強硬発言(12年8月)、さらにB香港の民間活動家による尖閣上陸と逮捕・強制送還(12年8月)である。
  いずれも日本の領土に関わる問題だが、@・AとBとの間には大きな違いがある。@・Aはいずれも一国の最高指導者による、従来の立場を一歩踏み越えた行為である。それに比べ、Bはこれまでも何度か行われてきた民間活動家の行為に過ぎない。
  にもかかわらず日本では、3つの出来事が同じ次元で論じられるとともに、その背景として、民主党への政権交代に伴う日米同盟の「動揺」が取り沙汰された。つまり、鳩山政権が従前の日米合意を反故にする形で沖縄の米軍普天間基地の国外・県外移設を主張し、迷走の果てに当初の県内移設案へと回帰したことに象徴されるように、日本と米国の間に相互不信が生じた結果、その間隙を突かれたというわけだ。
  しかし、加々美さんによれば、少なくともBに関する限り、そうした観点から読み解くことはできないという。なぜなら、香港の民間活動家と中国政府・共産党との間には組織的関係はなく、中国側も尖閣上陸以後しばらく公式な反応を示していないからだ。実際、中国の胡錦濤国家主席が尖閣問題に触れたのは、翌9月9日、ロシア・ウラジオストクにおけるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の際である。胡錦濤主席は野田首相との非公式会談で、尖閣諸島に対する中国の公式見解と同時に、日本の国有化に「断固反対する」と述べたという。
  中国最高指導部のおよそ1ヶ月にわたる沈黙の意味を何ら分析せず、国後、竹島、尖閣を同一視することで中国の国家意志を捉え損ない、専ら「弱腰外交」批判、日米同盟の再建という方向に流れたことで、日本は結果として、尖閣問題の解決を困難にした側面が強いと言わざるを得ない。

 

軍事強硬派の台頭

加々美さんが香港誌の情報などをもとに分析したところでは、事態はまったく逆だったという。つまり、中国側は日米同盟の「動揺」を踏まえ、日本に付け入る隙があると見ていたわけではなく、むしろ自らの「弱腰」を問題にしていたのである。
  8月15日に香港の活動家が尖閣に上陸するという情報を受け、中国共産党中央軍事委員会は前日14日の夜、「釣魚島の事態の悪化について」と題する緊急会議を開催した。会議を召集したのは、郭伯雄(党中央軍事委員会副主席)と陳炳徳(人民解放軍総参謀長)。いずれも軍内のタカ派と目されている。ここで提出された議案の要旨は以下の5点だという。
  @政府は尖閣が中国の領土であり、周囲12カイリは中国の領海であることを明確に声明すべきこと。
  A即日、海軍・空軍部隊に正規の手続きをもって尖閣及び周辺の領海の防衛の使命を実施するよう命令を出すべきこと。
  B政策的に尖閣について対日政策として「和平策」「妥協策」「譲歩策」を採り続けたために、今回も事態収拾のイニシアチブを失い、受け身の対応となったことを批判的に総括すべきこと。
  C我が国の政府、軍隊、人民は和平を心から願うが、しかし断固として国家主権を防衛し、いかなる挑発にも屈しないことを全世界に示すべきこと。
  D今回の活動家たちの愛国主義的行動は全面的に支持し、支援を与えるべきこと。
  ここでBに明らかなように、中国側は尖閣問題に関わる対日政策について、自らの「弱腰」を認めている。これまで「和平策」「妥協策」「譲歩策」を採り続けたために、今回も受け身の対応となった。尖閣諸島と周辺海域は日本に支配され、問題提起に関しても香港の活動家に出し抜かれた。だから、この点を批判的に総括した上で、Aにあるように、海軍・空軍の部隊に尖閣問題で対応をとるよう、国家として正式に命令を出すべきだ、というわけだ。
  この議案は表決に付された結果、党中央軍事委員会の委員12人のうち、10名が賛成、2名が棄権した。棄権票を投じたのは同委員会主席の胡錦濤と副主席の習近平である。共産党が国家を指導する中国では、党中央軍事委員会は軍事に関する最高決定機関であり、明文規定はないものの、これまですべて全員一致の議決が原則だった。その意味で、棄権は事実上の反対となり、議案が可決されることはなかったという。加々美さんによれば、党中央軍事委員会はおおよそ、タカ派5名とハト派5名の拮抗関係にあった。ところが、軍内のハト派である党中央軍事委員会副主席の徐才厚副、国防部長の梁光烈までもが上記の強硬な議案に賛成した。この点が重要だという。
  ちなみに、胡錦濤、習近平は、いずれも日本と対立する強硬論には組みしなかったものの、尖閣問題に関するケ小平の「棚上げ論」、つまり、尖閣諸島の帰属についてはしばらく棚上げし、次世代に解決を任せるという方針が、すでに時代遅れになったことを認めたらしい。ただ、党・軍・国家の最高権力の地位にある自らの立場を重視して、中立性を維持するため棄権したと釈明した模様である。

 

米国の戦略転換と中国

加々美さんによれば、こうした対日強硬論が勢いを増す背景として、人民解放軍の内部における力関係の変化が挙げられるという。すなわち、それまでは結抗していたタカ派とハト派の関係が、一昨年の秋以後、タカ派の優勢へと変化したらしい。この変化をもたらしたものこそ、米国の世界戦略の重点を東方、つまりアジア太平洋に移すという、オバマ政権の「戦略東移」である。
  2011年11月、オバマ大統領はオーストラリアを訪問し、同国議会で「アジア太平洋地域はアメリカの軍事戦略上、最優先」であるとの演説を行うと同時に、米海兵隊2500名のオーストラリア常駐を発表した。実際、北部ダーウィンの空軍基地に足を伸ばし、まず同地に米兵250名を駐留させると宣言した。
  さらに今年6月には、パネッタ米国防長官がシンガポールで行われたアジア安保会議で演説し、2020年までにアジア太平洋地域の米軍艦船の配備比率を1割増やし、保有する艦船全体の6割をアジア太平洋地域に振り向ける方針を明らかにしている。
  こうした「戦略東移」を促したのは、一つは対中東戦略の破綻である。米国は中東地域に新秩序を樹立すると勢い込んだものの、イラク戦争が泥沼化し、アフガニスタンは依然として不安定なまま。これにリーマン・ショックに象徴される米国経済の停滞が加わったことで、オバマ政権は米軍をイラクから早期撤退させてアフガンへ集中化させ、アフガンからも可及的速やかに撤退し、アジア太平洋地域に重点を絞り込んだわけである。
  いずれにせよ、これは米国の唯一の主要な戦略的対象として、中国の存在が明確になったことを意味する。それゆえ中国としても、アジア太平洋地域における米国との対抗を意識して、海洋戦略を強化していく必要に迫られている。
  とは言え、現状を見る限り、アジア太平洋地域とくに北太平洋の制海権では、中国と米国の比率は1対9、厳しく見れば米国の支配権は95%、中国の支配権は5%と圧倒的な格差が存在する。実際、米国海軍第七艦隊はミサイル艦、駆逐艦も含めて、あらゆる艦船が中国の近海を航行できる。北京、上海はもちろん、内陸の南京、武漢、重慶も、すべて射程に入れることが可能だ。近海から撃ち込まれるミサイルを防ぐのは、極めて困難である。
  一方、中国の艦船がアメリカ近海を自由に航行できるかといえば、できない。中間に基地がなく、燃料をはじめさまざまな補給できないからである。たしかに、中国には大陸間弾道ミサイルがあるので、本土から核ミサイルを米国に撃ち込むことは可能である。だが、米国は日本との間で1996年に日米安保の再定義を行い、ミサイル防衛網の一翼として日本を活用できるのに対し、中国はそうしたミサイル防衛網を持っていない。
  加々美さんによれば、そうであればこそ、中国にとって海洋権益の確保は死活的な問題になってくる。尖閣をめぐって日本に強い警戒感を持つのも、また、尖閣だけでなく南シナ海の南沙諸島、西沙諸島を巡ってベトナム、あるいはフィリピンと対立しているのも、その故である。それを示すように、昨年4月以降、南沙諸島、西沙諸島に関してフィリピン、ベトナムとの摩擦が激化し、軍部の一部に軍事的手段に訴える強硬論が台頭していたという。
  日本列島、琉球列島、そして尖閣諸島、台湾と続く海域は、もともと冷戦時代から中国を封じ込める「第一列島線」と言われてきた。中国は、この第一列島線の中で、わずかな公海を通り抜けなければ、北太平洋に展開することはできない。いま中国が目指しているのは、伊豆諸島を起点に、小笠原諸島、グアム・サイパン、パプアニューギニアに至る「第二列島線」と言われるラインまで、海軍や空軍の軍事展開を可能にすることである。仮に、台湾問題などで米中が衝突した場合、中国は沿岸領海でしか戦えず、圧倒的に不利だからだ。実際、このところ第二列島線付近では、かつてはなかった中国の海洋調査が確認されている。
  加々美さんは、尖閣問題に関する中国の強硬姿勢は、こうした文脈で見るべきであり、日中関係の枠内だけで捉えてはならないと語る。しかし残念ながら、日本での議論は海洋戦略の重要性に触れるよりも、領土主権の問題や尖閣海域に埋蔵されているエネルギー資源の問題が強調される傾向にある。これが中国側の意図を捉え損ない、事態を深刻化させた一つの理由と考えられるだろう。

 

自己増殖する軍事利権構造

加々美さんによれば、中国人民解放軍におけるタカ派優勢への変化には、江沢民前国家主席の意向も影響しているという。すなわち、江沢民は昨年5月上旬、オバマ政権の「戦略東移」を受ける形で、党中央軍事委員会の郭伯雄と徐才厚、梁光烈に書簡を送り、「全軍は突発的開戦に準備を固めハイテク戦争に勝利する決意を持つよう」と主張した。
また5月15日には、江沢民、朱鎔基、曽慶紅、李嵐清というかつての指導者4名が連名で党中央委員会に宛て書簡を送っているが、その要点は、党中央委、党中央政治局、党中央書記処、国務院副総理、全人大副委員長に軍指導者を任用するなど、軍人指導者の国政への参加を求めるものだったという。
こうした後押しを受けて、軍部に主戦タカ派と和平ハト派の分岐が発生した。前者の代表は郭伯雄、陳炳徳、後者の代表は徐才厚、梁光烈である。いずれも米国の中国包囲を意識し、超ハイテク戦争に備える軍の科学化を主張する点では同じだが、タカ派が既に外交による平和的手段は無効と主張するのに対して、ハト派は現状での軍事衝突は得策でなく、さらなる国力、軍事力の増強が先決と主張する。結局、海洋戦略に絡む問題については5月19日、習近平国家副主席を長とし、郭伯雄らを副長とする「国家海域工作領導小組」を作って対応していくことになったという。
ここには、まず、いわゆる軍への影響力を巡る江沢民と胡錦濤の角逐を見ることができる。加々美さんによれば、胡錦濤は2002年に党の総書記となり、中央軍事委員会主席、つまり事実上の軍の最高司令官になった。当然、軍指導部の人事は胡錦濤の思うままである。ところが、いまでも軍への影響力は、胡錦濤より江沢民のほうが圧倒的に大きいという。
というのも、人民解放軍は中国共産党の軍隊でありながら、すでに米国の軍産複合体と同じく、軍需国有企業の成長肥大化に伴って一定の自己増殖を始めており、党中央の手足のように動く機関ではなくなっているからだという。軍内のタカ派と言われる人々も、そもそもは胡錦濤に任命されながら、次第に軍の利害に基づいて動くようになるのである。軍の利害からすれば、軍の縮小につながりかねないような穏健外交よりも対外的な緊張を理由に軍拡を進め、軍需産業の増殖を可能にする政策こそ求められる。江沢民が軍に大きな影響力を持っているのも、個人的な政治権力の故ではなく、軍の自己増殖にとって都合のいい動きをしてくれるからだと言えよう。
実際、中国の国防費は過去24年間でおよそ30倍に増加している。最近の4年だけを見ても、毎年前年比で平均14%近く増え続け、2012年国防費予算額は6503億元(約8兆4500億円)となった。毎年これだけ膨大な国防費が計上され、そこから軍需産業に巨額の資金が回っていく。それはもちろん、軍の幹部や国家官僚、共産党幹部の利権とも結びつき、汚職・腐敗の温床を形成する。とくに、一般の国家予算に比べ、国防費は軍事機密を理由に情報公開を求められないため、利権構造は極めて強固かつ根深いと言える。
とすれば、胡錦濤に代わって習近平が党中央軍事委員会主席の座に着いても、こうした構造は基本的には変わらないはずである。先の加々美さんの指摘によれば、習近平は党中央軍事委員会での尖閣問題を巡る対日強硬論の拡大に対して、胡錦濤とともに抑える側に回ったとのことだ。しかし、そうであればこそ、今後も自己増殖を続ける軍から出されるだろう、尖閣諸島、南沙諸島や西沙諸島の領有権を巡る軍事的解決の要求について、習近平は極めて難しい舵取りを迫られることになるだろう。

 

激化する中国の社会矛盾

しかし、習近平を待ちかまえる難問は外交、安全保障の問題にとどまらない。加々美さんによれば、それ以上に困難な問題は、現状の中国社会の矛盾激化にあるという。すなわち、改革開放以降30年以上にわたる高度経済成長に伴って生じた階層問格差、地域間格差、産業間格差、民族間格差など深刻な貧富の格差の拡大、それに端を発する農民暴動、労働争議、住民紛争など社会紛争の拡大である。
  こうした社会紛争は中国では「群体性事件」と呼ばれるが、1994年に群体性事件に参加した人の数は約70万人だった。それが2011年には、およそ500万人〜600万人へと膨れあがった。しかも、これは公式発表なので、実数はその倍と考えてもおかしくないらしい。
  この趨勢をそのまま放置すれば、体制崩壊につながりかねない、と加々美さんは指摘する。
  今回の第18回党大会の際、胡錦濤は演説で、2022年の段階でGDP(国内総生産)の倍増を目指すと宣言した。しかし、すでにこれまで30年以上にわたって高度経済成長を続けてきたのに、さらに10年後に倍増するほどの成長を実現するのは非常に困難だと言わざるを得ない。
  実際、中国経済の成長率は確実に鈍化しつつある。中国はこれまで、基本的に安価な労働力コストを武器にした輸出志向の産業構造で、世界における優位性を発揮してきた。ところが、この間、経済成長とともに製造業における労働者の賃金が上昇し、労働力コストの面での優位性に陰りが見えてきた。また、2008年のリーマンショックに端を発する世界金融危機の影響で、米国やヨーロッパが不況に見舞われ、輸出先の市場が縮小してもいる。そのため、輸出志向の製造業を軸にしたままでは、さらなる成長が困難なのは明白だ。
  もちろん、中国の指導部もこうした事情は十分承知しており、ここ数年ことあるごとに産業構造の中心を第二次産業から第三次産業に転換すべきだと言い続けている。しかし、問題は簡単ではない。諸外国との競争や産業構造の転換そのものの難しさはもとより、転換がうまくいったとしても、その過程で不可避的に伴う失業対策、高度成長が引き起こすさまざまな社会問題など、容易に想像がつく。現在ですら指導部の手に余るような危機的な状況が生じているのである。
  本来ならば、現時点で、これまで蓄積してきた国家的な余力を使って各種の社会政策を充実させなければ、中国の社会矛盾を解決することはますます困難になるだろう。もともと胡錦濤は、そうしたことを念頭に、「和諧社会」というキャッチフレーズ掲げて自らの指導部を始動した。しかし、それから10年間を経て、ついに社会矛盾を解決するための有効な政策を出せないまま、習近平に権力を引き継いだことになる。

 

未来ビジョンの不在

加々美さんによれば、これと関連して、根本的な問題が立ち現れているという。それは、指導部が中国の未来ビジョンを描けるかどうか、という問題である。
  たしかに、毛沢東には共産主義の理想を「コミューン(人民公社)の実現」という具体的な形として実践する未来ビジョンが明確に存在した。現実には達成できず、膨大な犠牲を払ったとは言え、中国の大多数を束ねる役割を果たしたことは間違いない。続くケ小平は毛沢東の未来ビジョンを否定したが、それに代わって「改革開放と富裕化」と言う未来ビジョンを明確に打ち出し、実践した。これもまた、中国の大多数にとって強い求心力を発揮した。
  しかし、その後の江沢民になって、未来ビジョンは曖昧になっていく。江沢民が唱えた「三つの代表」は、中国共産党が「高度な生産力、高度な文化、広範な大衆」の三つを代表するとの宣言である。だが、現実には、富裕化した企業主の入党を認めるという現実の追認に過ぎず、とうてい未来ビジョンと言えるものではなかった。
  これは胡錦濤も同じである。「科学的発展観」と「和諧社会」を掲げることで、経済成長一辺倒に対して異なる視点を打ち出すかに見えたが、お題目以上の内容はなく、現実の政策としても新たな基軸を提起したわけではなかった。
  もちろん、こうした未来ビジョンの希薄化は、必然的な過程とも言える。加々美さんによれば、江沢民時代の1997年に行われた第15回共産党大会で、毛沢東やケ小平といったカリスマ的な個人に基づく政治に代えて、集団指導体制の採用が決定されたという。
 たしかに、カリスマ的支配は高い求心力を発揮するが政治的な振幅も激しく、安定した統治は望めない。誤った指導によって社会に巨大な損失をもたらすことは、文化大革命の経験でも明らかだ。また、経済成長に伴って社会の価値観が多様化しつつある中では、カリスマ的な個人の力を通じたトップ・ダウンの統治よりも、官僚システムの力を通じた調整型の統治の方が、多様な要求を包摂し易いのは確かだろう。
  この点で、胡錦濤は江沢民以上に集団指導体制を重視する傾向があったらしい。それは第18回党大会で共産党規約の中から「毛沢東思想」という言葉を外し、最終的な脱毛沢東化を行うかどうかが焦点になっていたほどだという。
  とはいえ、すでに見たように、カリスマ的個人の消滅は求心力ある未来ビジョンの不在と表裏一体の関係をなしてもいる。とすれば、第18回党大会で発足した習近平指導部は、江沢民、胡錦濤と続いた未来ビジョンの希薄化をそのままにして、今後の10年間どのようにリーダーシップを発揮できるのか。
  加々美さんによれば、この点で、胡錦濤と習近平との間には見解の違いがあり、それは昨年、最高指導部入りを噂されながら失脚した薄熙来・元重慶市共産党委書記に対する評価の違いにも表れているという。
  薄熙来の失脚は、表向きには腹心の部下による米国総領事館への亡命未遂事件に始まり、その後、妻が英国人実業家の殺害に関与した容疑で拘束され、本人も取り調べを受けるといった一連のスキャンダルが理由とされている。しかし、加々美さんによれば、真の要因は「毛沢東問題」にあるという。
  薄熙来は重慶市の最高指導者を務める過程で、毛沢東思想を掲げ、「唱紅打黒」(紅=革命歌を唱い、黒=犯罪集団を倒す)という文化大革命に類似した大衆運動を行ったことで知られる。ただし、彼は本心から毛沢東主義を信奉していたわけではない。むしろ、毛沢東を掲げることで、市場主義や高度成長に伴って生じる社会矛盾の犠牲となり、現在の体制に不満を抱えている人々の意思を糾合し、現在の指導部を揺さぶろうとしていたと考えられる。実際、毛沢東時代には「知能労働と肉体労働」「農村と都市」「工業と農業」の格差をなくす「三大格差の是正」というスローガンが唱えられていたが、まさにこれは現代中国の抱える核心的な課題である。その意味で、毛沢東は未だに、中国における変革の旗印になり得る可能性・危険性を秘めている。それ故にこそ、胡錦濤・温家宝は脅威を感じ、党内の反撥をねじ伏せて薄熙来を失脚に追い込んだというのである。
  この点をめぐって、加々美さんによれば、たしかに習近平も薄熙来の追放に賛同したとは言え、現代中国が抱えるさまざまな社会矛盾を踏まえ、公正・平等な社会を実現するための政策、それが依拠すべき理論を新たに打ち立てるべきだという点で、重慶市における薄熙来の取り組みに一定の支持を示してもいたという。言い換えれば、一方では大衆運動の動乱を防ぐために脱毛沢東・脱カリスマを進めながら、他方ではこれまでのような高度成長に代わって公正・平等を重視した新たな未来ビジョンをどう示すことができるか。習近平指導部は、そうした極めて困難な課題に直面しているのである。

 

おわりに

加々美さんは最後に、新たに発足した習近平指導部の抱える課題を以下の四点にまとめた。
  @「公正・平等」を基本とする新たな未来ビジョンを描くこと。
  A一党独裁の歪みに由来する「党、政、企の癒着」による腐敗構造をただすための政治体制改革の課題を提起し、ロードマップを提起すること。
  B成長第一主義を脱却し、格差是正の具体策を提起すること。
  C南沙諸島、西沙諸島、尖閣諸島の国際紛争を解決すること。
  お話を聞きながら、日中関係に起因する外交・安全保障問題と言えども、両国の国内問題との関連、グローバルな覇権の今後をめぐる問題との関連の中でトータルに捉えていくことの重要性を改めて思い知らされた次第である。

(文責:本誌編集部)


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