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研究会報告:「農」研究会−人類の歴史から見た農耕の起源

はじめに

「農業とは何か?」「人間と農業との関係は?」―広い視野で考えようと始まった「農」研究会。この間は、初期農業の拡散過程と、人口と言語の拡散について人類史的な視野で解明を試みた、ピーター・ベルウッドの『農耕起源の人類史』(京都大学学術出版会、2008年)をテキストに、ボチボチと検討を進めている。以下、テキストを提案した参加者からの報告を掲載する。

1、動機

これまで、「農」研究会では、近代から現代にかけての日本や世界の農業の歴史や現状、世界農業の類型などを、さまざまな識者の著述をテキストに、「人と自然の本来の関係」「資本主義と農業の矛盾」「小農論」「農業と近代日本のマルクス主義」などをテーマに学習を進めてきた。次の時代や社会のあり方を考える上で、失敗した近代の変革の歴史を踏まえ、独善的な思考を排除しながら、しっかりと大地に根ざした確かな方向を見出したいという想いが、「農」をテーマにした研究会に集う動機となっている。

今回のテキストが対象としているのは、1万2000年〜4000年前の世界。氷河期が終わり温暖な気候が安定し農耕が始まったころから、いわゆる古代文明が生まれる前までの先史時代あるいは新石器時代を中心に書かれている。著者のピーター・ベルウッドはオーストラリア国立大学先史学・人類学部の教授、農業が専門というわけではない。古代の文字記録や地中から発掘された出土物によって過去を復元する考古学、現存の言語や生物から系統樹に還元しうるデータを復元する言語学や遺伝学を道具に、「言語と人口(農耕民)の拡散」という仮説によって、その時代の人類史を解明しようとしている。

食料確保のための農耕が人類の社会形成の原動力であった先史時代。農耕の共同作業のための言語の発達、自分の農地を明確にするための先祖からの系譜。食料確保が充分でないときは分配の制度が発達し、食料の余剰が備蓄と所有、内部に格差のある集落を生み、そして世界各地で同時発生的に人口が増えていく。次の時代や社会を展望するためには、「農と社会のあり方」が重要であることは間違いないが、農耕社会への回帰という単純な話でもない。先史時代の農耕を軸とした人類史に目を向けることは、次の展望を考える上で大事だと思っている。

日本語版への序文に、次のような一節がある。

「約2500年前の「大陸からの遺伝子・物質文化・言語の流入」と「在来の縄文人による資源管理の歴史・社会」との融合が、弥生の農耕経済・社会を出現させる。この融合こそが歴史時代の日本人を生み出す。」

最近では混在・融合の期間はもっと早く始まり長かったという説もあるようだが、時期が正確かどうかより、歴史時代の日本人を生み出す過程が、地球規模で起きた先史時代の「言語と人口(農耕民)の拡散」という仮説の中で捉えられていることが興味深い。農耕の共同労働が、言語の拡充、人類の社会形成に深く関わっているという歴史認識から日本の農業を俯瞰するとき、個別性や独自性だけでは見えてこない大本の関係、近代=西洋中心主義への批判を超えて、世界中の農民が根源的につながっているという感覚、相対化による普遍性みたいなものが見えてくる(世界皆農有理)。

2、方法

世界中に広がる考古学的・言語学的・遺伝学的多様性に、食料生産(農耕)がどのような影響を及ぼしたのか。先史時代の温帯や熱帯でおきた、ほとんどの全世界におよぶ農耕の拡散。「なぜ、先史時代に農耕社会があらわれたのか」「いつどこでいかにして農耕社会は生じたのか」「いかなるメカニズムで、どの方向に農耕社会は拡散していったのか」など、著者と我々の関心は重なる。民族誌に書かれたものは、先史時代の人類史としてそのまま鵜呑みにできない場合がほとんどである以上(ただし、断片的な文字の記録は言語がいかに拡散していったかを比較するのに有効)、この考古学者の復元作業は貴重だと思う。

膨大な考古学や言語学、遺伝学のデータを、どう位置付けるかがポイント。どの方向に復元するか、予め正解が用意されているわけではない。著者は、「食料生産(農耕)への依存度が増すにつれ人口集中を生み出す傾向にあり、最終的に人口(農耕民)拡散にいたる(狩猟採集民が初期農耕をそのまま受け入れていったのではない)」という仮説に依拠しながら復元していくことになる。

ピーター・ベルウッドは、初期農耕拡散仮説の展望として以下のように述べている。

・考古学、比較言語学、考古遺伝子学の手助けによる「比較による歴史解釈」

・広範囲に広がる語族の存在(語族の故地からの拡散)

・考古複合体(人工物の様式、共同の経済基盤、一時的住居の関連)のひろがりは農耕期限地から起こっている

・多くの農耕起源地は地理的に主要な語族の故地と重なっている

・初期農耕民の拡散の過程

@起源地周辺で、あたらしい(考古)文化・言語が断続的に生み出される過程

A初期の植民地化、他民族のもとで形成されたものが周辺地域に拡散し、変容する過程

旧世界の主要な語族はすべて歴史時代がはじまる以前に今の地理的境界に達している。アレキサンダー大王、アケメネス朝ペルシャ帝国、ローマ帝国、モンゴル、大英帝国、そしてイスラム教、キリスト教、仏教・ヒンドゥー教も言語に対する決定的な影響を及ぼしていない。広範囲にひろがる拡散の痕跡は考古データのなかに探す必要がある。

3、農耕の登場

近年の古気候研究によると、氷河期とそれ以降の時代は、寒冷で乾燥し変動が激しい後氷期(2万〜1万1500年前)と温暖で湿潤、安定性が高い完新世(1万1500年前以降)に分けられる。

完新世以前の人類の農耕の試みは、ライムギを栽培化しようとしたシリア北部のアブ・フレイラ遺跡(1万3000年前)の例のように、不安定な気候のために短期間で失敗している。完新世の安定した温暖な気候は、野生食料の増加、集落の定住性と人口の増加をもたらしたことは確かなようだ。しかし、狩猟採集のための野生食料には限界がある。生きていくための一世帯あたりテリトリーは、一般的には、狩猟採集民で数平方キロメートル、平均的焼畑民が数ヘクタール、そして灌漑農民では1ヘクタール未満だと言われている。

農耕がなぜ出現したか、という問いには、ゆたかさという背景、環境や人口などのストレス、意識的な選択、ダーウィン流の無意識の淘汰など、様々ことなった論理的見地から検討されてきた。初期の理論の多くは、ゆたかさに焦点化をあてて幸運に恵まれていたとする。しかし、本当の意味で、エジプトや東南アジアで農耕が始まったわけではなかったことは、すでに知られている。生存にあたってのストレスをもとに農耕起源を論じた理論のうち有名なのは、チャイルドの「近隣仮説」。氷河期末期の西南アジアで、乾燥化のために人間と動物がオアシスに追いやられ、ついには家畜化に結びついたと考えた。しかし、現在は家畜化の始まりは完新世の湿潤な気候の時期とされている。最新の農耕起源の解釈では、全般的にはゆたかな状況で、一時的継続的にあらわれたストレスをその要因としてあつかっている。

人々を植物栽培にむかわせた根本的な要因については、長い議論がある。真の要因とは、狩猟採集民の集落における社会的なものか、定住による人口増加の問題か、自然環境の変動か、あるいはこれら三つすべての複合なのか。社会的ストレス説では、個人間や集団間の競争原理による需要の増大があげられる。狩猟採集民の貧しく厳しい環境下では、生き残るための分配方法が支配的。比較的ゆたかな環境下、採集食料が豊富な社会、富の蓄積が可能で、社会的地位の確認(儀礼祝宴、交易による外来の貴重品の蓄財)が見られる狩猟採集民の集団で農耕が起きたとされている。人口増加ストレス説では、植物栽培への移行を余儀なくしたのは人口増加。西南アジアとメソアメリカのめぐまれた状況にあった沿岸地域では、漁撈採集民が定住。更新世後期に人口が増加、辺境地域に人口があふれだし、食料供給を増やすために結果的に雑穀栽培にふみきった。初期の植物栽培は対象となる野生植物の分布の辺縁部でもっとも生じやすい。また、辺境地域で動物に対する家畜・家禽化は、さらに後の野生の食肉資源減少の時期とされている。

いずれにしても、農耕は季節的遊動社会ではなく定住社会からあらわれていることが、ストレス理論を後押ししているようだ。農耕の地域的発生にはさまざまな変数が含まれていた。農耕起源について単純な説明は不可能。ことなった要因が連続的かつ強まる形で生じたと思われる。

考古データよれば、原則として外部からの伝播によることもなく、狩猟採集民を背景として、有力な食料生産の一形態である農業は、すくなくとも次にのべる世界で五つの地域からあらわれたとされている。

@西南アジアの肥沃な三日月地帯:コムギ、オオムギ、エンドウマメ、レンズマメ、ヒツジ、ヤギ、ブタ、ウシ

A中国の長江と黄河の中・下流域:イネ、アワ、多くの根菜・果実類、ブタ、家禽類

Bニューギニア島のおそらくは内陸高地:タロイモ、サトウキビ、パンダナス、バナナ、ただし家畜をともなわない

C南北アメリカ大陸の熱帯地方すなわちメキシコ中部のおそらくは一つ以上の地域、そして南アメリカ大陸北部:トウモロコシ、豆類、カボチャ、マニオク、多くの果実・根菜類、ただし家畜はすくない

Dアメリカ合衆国のイースタン・ウッドランド:カボチャ、およびさまざまな種実を利用する植物、ただし家畜をともなわない

4、次回レポートについて

このあと、農研の勉強会は、世界の主要な農耕起源地で起きた初期農耕に移っていく。次回のレポートは、下記の中から、数ヶ所を取り上げて、さらに話を進めていくことにする。

1)西南アジアにおける農耕の起源
2)肥沃な三日月地帯をこえて―ヨーロッパとアジアにおける農耕拡散をたどる
3)アフリカの農耕―もうひとつの起源
4)東アジアにおける農耕の起源
5)東南アジア、オセアニアへの農耕の拡散
6)アメリカ大陸における初期農耕
(田中昭彦:関西よつ葉連絡会事務局)

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