タイトル
HOME過去号57/58号

市民環境研究所から:社会に訴えるテーマを失った大学祭

2週間のカザフスタン行きから戻ってきた。市民環境研究所で取り組んでいる「アラルの森プロジェクト」という植林事業を、干上がったアラル海の旧湖底沙漠で実施するための渡航である。詳しいことは、当研究所のホームページから「サロン中央アジア」というブログに入って読んでいただければ幸いである。今回訪れた村の緯度は、北海道の稚内に相当する。内陸地であるため、稚内よりも冬は厳しいが、この季節はまだまだ厳寒ではない。年間降水量は100ミリ以下、この10月末から11月初旬に少しまとまった降水があるとはいえ、1ヶ月で20ミリになるかならないか。その降水も当てにしての植林活動である。今後の気候次第で苗木が根付いてくれるかどうかが決まるから、不安をいっぱい持ちながら帰国した。

帰ってみれば、解散総選挙路線で進んでいると思っていたのに、世の中は至って静かである。京都の街は秋の行楽シーズンとあって観光客が押し寄せ始め、道路の渋滞だけが賑やかである。研究所近くの京都大学の銀杏の色づきも、まだまだである。銀杏の紅葉が最も見栄えのするのは、毎年11月23日前後に開催される学園祭のころだから、今年も季節は例年通りに進んでいるようだ。

昔は11月祭、今はNF(November Festival)と呼ばる京大の学園祭。催しものを知らせるタテ看が、石垣にずらっと並んでいる。年々の学園祭統一テーマを関心をもって見ているが、今年のテーマは「単位より大切ななにかを求めて」だという。これがテーマか、とひそかに嘆いていたら、かつての京大生が「情けないですね。あれがテーマになるとはね」と相当に怒っていた。単位より大切なものを求めるのは当たり前。日々それを考えているのが大学生であり、そんなものがテーマになるのは、日々何も求めていない証拠だという。同感である。

学園祭実行委員会のホームページを覗くと、テーマの提案者の弁が載っていた。「大学を卒業するためには単位取得が必要不可欠です。しかし、大学生活では、授業を受け、勉強する以外にも大事なことはあると思います。11月祭もその一つでしょう。私も過去2回、11月祭を経験しましたが、授業そっちのけで準備に奔走することで、かけがえのない友情を育み、すばらしい思い出を作ることができたと思います。私は京大生皆が11月祭を通してなにかを得ることができるよう願い、上のようなテーマ案を提案します」。これも噴飯ものである。

そう言えば先日、京大薬学部の前にあるレストランの主が、「以前なら、店の前を通る学生が激減する季節なのに全く減らない。薬学部の教授も、単位だけはしっかり取って卒業していく大学生ばかりだと嘆いていた」と大いに憤慨していた。統一テーマは京大生から大学外の市民へのメッセージであるはずだが、今年のテーマは社会へ送るようなものではない。実行委員会はこのテーマを掲げることで、京大生のどうしようもなさに皮肉を言いたかったのだろうか。それなら少しは救いもあるのだが。(石田紀郎)


200×40バナー
©2002 地域・アソシエーション研究所 All rights reserved.