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市民環境研究所から

「ヤバい」で終わればなお「ヤバい」

何年ぶりかの本格的な冬、この寒さの中で京都市長選挙があり、民主党と自民・公明党の相乗り候補が当選した。次点の共産党系の候補者とは、わずか981票差。無所属保守系の若者候補が予想外に健闘したためこんな結果になったのだろうが、最終日の共産党系候補者の選挙カーには勢いがあった。我が事務所のすぐ近所は、かつての公設市場がスーパーになったところだから、選挙時には各候補者が車を止め、結構な時間をかけて情宣活動を展開する。追い上げる候補と追われる候補では、陣営の雰囲気が違う。1980年代にいくつかの選挙戦を選対事務長として経験してきたから、雰囲気と状況が少しは読めるつもりだ。

それにしても、民主党が自民・公明党と相乗りするさまは情けない。いかにも独自で候補者を擁立したように見せかけて、京都市政の与党でいたいホンネだけで、市役所内候補者を担ぎ上げたのだから、この僅差は市民の率直な反応の結果である。当選した候補者にとっては薄氷の思いだっただろう。まさに「ヤバい」と思ったのではなかろうか。新市長は旧知の仲だから、こんど会ったら当時の心境を聞いてみたいものである。

ところで、由来や語源を知っているわけではないが、「ヤバい」という言葉の使い方に最近イライラすることがある。通常は自動車通勤しているが、それに疲れると、時には電車で通勤する。電車には、通学の高校生や大学生が多く乗り合わせる。車内で耳に入ってくる言葉は、「ヤバい」と「マジ」ばかりである。人間はある現象を表現するためにいろんな言葉を開発獲得してきた。例えば、食べ物を食べたとき、「甘い」とか「辛い」とか、いくつもの言葉で表現する能力を獲得してきた。ところが、甘かろうが辛かろうが、自分の予想や期待から外れると「ヤバい」の一言である。かく言う筆者とて、語彙が豊富で表現が豊かであるなどと思っているわけではないが、「ヤバい」の一言だけということはない。

先日、和歌山の省農薬園へ農薬ゼミの学生と出かけてきた。もちろん食事は小屋での自炊だから、大騒ぎをしながらの料理風景が展開する。実に楽しいひとときであるが、ここでも「ヤバい、ヤバい」の連発となった。その内に、学生自らが「ヤバい」を禁句にし、使った者は罰として一芸を演じることになった。これも大はしゃぎのもとになり、夕食は楽しいものとなった。

「ヤバい」と発してしまうと、なにが、なぜ、どのように「ヤバい」のか、発想も議論も展開していかないように思う。単純な言葉は、一時はすべてを表現しているようにみえるが、その実は前に向かう思考展開を阻止してしまっているのではないか。実際、電車内のおしゃべりを聞いていると、「ヤバい」と「マジ」で止まってしまっている。市長選挙の「ヤバい」結果を経験した民主党に聞いてみたいものである。何が、どのように「ヤバい」のか、と。まさか、「ヤバい」の一言で終わって、与党にいるのではなかろうが。(石田紀郎)


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