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活動報告―グラムシ没後70周年集会

はじめに

昨年の12月1日と2日、東京で開催された「グラムシ没後70周年シンポジウム」に参加した。かつて研究所では、およそ1年間にわたって「グラムシ研究会」を実施したことがあり、研究会の終了後も一定の関心を抱き続けてきたためだ。以下、シンポジウムの内容をかいつまんで報告したい。

60周年から70周年へ

グラムシ・シンポジウムについて言えば、実は97年に行われた「没後60周年」にも参加している。思えば当時、ソ連・東欧の体制崩壊を受け、社会変革を展望する人々は思想的な模索の過程にあった。既存社会主義の総括やその克服をめぐり、さまざまに論議された時期と言える。60周年シンポの参加者は、およそ600人。形式的にはソ連共産党を中心とする第三インターの潮流に属しつつも、それとは異なる社会変革・将来社会のあり方を追求したグラムシが注目を集めたのも、そうした時代背景と無縁ではなかっただろう。

それから10年、今回の70周年シンポでは、参加者およそ300人と半減。しかも平均年齢は60歳に近かったようだ。鬼籍に入った方々も含め、10年前の参加者がそのまま移行した結果なのか、前回と比べて青年層の少なさが際立っていた。こうした状況は、一面でグラムシの訴求力の衰えと見えなくもないが、他方では、グラムシに現代的課題の解決を委ねるような、過剰な期待から解放された結果と見ることもできる。実際、シンポジウムの内容で言えば、60周年シンポでは、グラムシ思想そのものに関する分析・考察が基調とされていたのに対し、70周年シンポでは、グラムシ思想を通じて現代的課題に向き合う傾向が強かったように感じた。

それを示すのが、全体会@の構成である。司会の田畑は「松田博の言い方を借用」しつつ、問題を論じる前提として、@グラムシ「の」、Aグラムシ「で」、Bグラムシ「も」という三つの接近方法を挙げている。@はグラムシ自身によるグローバリゼーションの分析を、Aはグラムシの諸概念を主要な方法・視点としたグローバリゼーションの分析を指す。ただし、70年前に没したグラムシが直接グローバリゼーションに言及できるはずもないため、@はAに含まれる。これに対して、Bはグラムシを一つの方法的な柱としながら、「事柄はあくまで対象としてのグローバリゼーションそのものにシフトする」立場である。(1)

「総過程的媒介としての政治」

今回の報告の中では、斉藤日出治(大阪産業大学)の「グローバル・ガバナンスのヘゲモニー闘争」がBにあたる。斉藤報告は、「グローバリゼーションは、先進資本主義諸国における新自由主義政策がもたらした帰結である」(2)としつつ、新自由主義を「資本蓄積のための条件を再構築し経済エリートの権力を回復するための政治的プロジェクト」(3)と捉えたデヴィッド・ハーヴェイの見解を踏まえ、新自由主義がグローバリゼーションを推進する「独自な調整様式」として「グローバル・ガバナンス」を設定する。

ガバナンス(governance)は一般に「統治」と訳され、「政府」や「行政」を意味するガバメント(government)と対置される。ガバメントが集権的で垂直的な統治形態を想起させるのに対し、ガバナンスは多元的な主体による利害調整に基づいた水平的な統治形態と受け取られている。 しかし、斉藤報告によれば、ガバナンスは単にガバメントからの転換ではなく、「フォーディスムの時代に支配的であったコーポラティズムが変質することによって出現した新たな統治形態である」(4)。

グラムシはH・フォードのT型自動車生産に象徴されるアメリカ型資本主義、つまりフォーディスムが、単に科学的管理法や組み立てラインに基づく大量生産体制だけでなく、それを可能にする労働者類型の創出や合意の調達に支えられている点を重視し、これを「アメリカニズム」と呼んだ。第二次大戦後、西欧や日本におけるアメリカニズムのヘゲモニー確立には、議会制民主主義やケインズ主義的財政だけでなく、政府・労働・資本からなる協議体制(コーポラティズム)が大きな役割を果たした。

「この協議を通して、政治的権力は、諸資本の多様な経済的権力や社会生活の利益諸団体との節合関係を形成し、この節合関係の編成を通して、資本蓄積過程の円滑な遂行を保証する。」(5)

商品所有者としての諸個人が自らの利益を追求するブルジョア社会では、生産から消費に至る諸過程に即して「経営者団体、労働組合、消費者団体、職能団体」といった「私的組織」が形成され、資本の循環運動を調整する。と同時に、アメリカニズムにおける資本蓄積の過程はモノの生産だけでなく文化や意識など生活の全領域を含むため、「私的組織」も経済領域にとどまらず、学校、メディア、宗教団体、政治結社など「公共的・協同的な諸関係」にまで及ぶ。支配階級は、それを資本蓄積に相応しい形で組織するため、知的・モラル的な力、つまりヘゲモニーを行使し、被支配階級の合意を調達しようとする。

とすれば、通常ブルジョア社会として一面化されがちな近代社会は、それを越える「公共的・協同的な諸関係」の契機を含んでおり、この両者のつながりが重要なものとなる。斉藤報告はグラムシのヘゲモニー概念から学ぶべき点として「国家(政治)と物質的生産諸関係(経済)の双方の領域を包みこみ、この双方の領域の節合関係を開示する市民社会という地平」(6)の洞察を挙げている。言い換えれば、市民社会それ自体が自動的に国家や資本と対抗関係を示すわけではなく、むしろ支配階級による被支配階級の合意調達と被支配階級による対抗的ヘゲモニーの形成が火花を散らす“可能性の領域”として位置づけたのである。

その意味で、グラムシの市民社会概念は「狭義の政治概念を越えて、経済と国家、土台と上部構造の双方に架橋して両者を節合する《総過程的媒介としての政治》の次元を開示」(7)したとされる。

コーポラティズムからグローバル・ガバナンスへの移行に伴って、「総過程的媒介として政治」が作動する市民社会もまた、地球規模へと拡張される。国家機関や国際機関、あるいは国際NGOやNPO、さらには多国籍企業など「諸主体が、トランスナショナルな次元で公共的・協同的関係の形成をめぐるヘゲモニー闘争を展開する領域が、グローバル・ガバナンスにほかならない」(8)。この中で、新自由主義の側は、地球規模での資本蓄積の促進に合意を調達するグローバルな市民社会を形成しようとする。他方、それに対抗する側は、新自由主義のもたらす危機を媒介に、資本蓄積の促進に歯止めをかけ、それを反転させ得るグローバルな市民社会を形成しようとする。

「自己規律的社会」への「陣地戦」

では、その際の「ヘゲモニー闘争」とはいかなるものか。この点で示唆を受けたのが、「グラムシと非営利・協同の市民セクター」を主題とした分科会である。前頁のプログラムに示したとおり、二部に分かれた分科会は、第一部で国内の、第二部で諸外国の諸実践を紹介している。いずれも事例そのものは、これまで別の機会を通じて見聞してきたが、まとまって聴いてみると、改めて質的な普遍性を感じるとともに、そうした実践が要請される同時代性に思い至る。ちなみに、報告は基本的に先進国を対象としたものだが、報告を受けた議論の中ではインドの事例など、途上国の実践についても参加者から言及がなされた。

このこと自体、斉藤報告が指摘した地球規模の市民社会形成における対抗的ヘゲモニーのありようを示唆していると言えるが、一方では、こうした諸実践とグラムシ思想との関連について、改めて検討する必要性を浮上させたようにも思う。

というのも、分科会での報告はおおむね、グラムシの「陣地戦」概念の中でも、「機動戦から陣地戦への移行」という局面をそれ自体として突出させ、自らの実践を位置づけているように感じられたからである。この点については、質疑応答の中で参加者から、「『陣地戦』一般と言うより、アソシエーション論を媒介にした『ソチエタ・レゴラータ(自己規律的社会)』の内実形成の問題として考えるべきではないか」という内容の指摘があったこと、さらに、シンポジウムに合わせて出版された松田博の『グラムシ思想の探究』を読む中で、改めて考えさせられた。

すでに触れたように、グラムシは国家を「政治社会=強制」と「市民社会=合意」との均衡として捉え、後者におけるヘゲモニー闘争を重視し、「国家―市民社会」という一面的な構図を退けている。それ故、アソシエーション論についても、国家と市民社会との間にアソシエーションを噛ませる中間組織論的な観点とは異なり、支配階級による市民社会での合意調達に適合するアソシエーションに対して、被支配階級が対抗的アソシエーションの形成を通じてヘゲモニーを創出し発揮する構図となる。

この過程そのものが陣地戦だとすれば、陣地戦への移行そのもの以上に、陣地戦が目指すべき目標、あるいは防御段階と攻勢段階のあり方などが問題にされなければならない。

この点で、松田は陣地戦を「国家の変革」の契機と「政治社会の市民社会への再吸収」の契機の「総合的概念」と捉え、「とくに、抗局面の『陣地戦』から対抗・変革的な『陣地戦』への質的発展・移行において、『国家論』的視点と『再吸収論』的視点の統一的把握が不可欠」としている(9)。

先の指摘と合わせて考えれば、「非営利・協同の市民セクター」は、アソシエーショナルな内実を深化・拡大させることによって経済的・政治的な力量を高め、「政治社会の市民社会への再吸収」を可能にする将来社会=「自己規律的社会」の質を確保していくが、それは決して単線的でなく、「国家変革の契機」を射程に入れたものでなければならない、ということになるだろう。 (山口協)

【注】
(1)田畑稔「グローバリゼーションとグラムシの目」
季報『唯物論研究』第101号、2007年8月
(2)斉藤日出治「グローバル・ガバナンスのヘゲモニー 闘争」『グラムシ没後70周年記念シンポジウム文書 報告集』2007年11月
(3)D・ハーヴェイ『新自由主義』作品社、2007年
(4)斉藤日出治「ヘゲモニーと資本主義の統治様式」
季報『唯物論研究』第101号、2007年8月
(5)〜(8)斉藤日出治「グローバル・ガバナンスのヘゲモニー闘争」
(9)松田博『グラムシ思想の探究』新泉社、2007年


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