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コーヒー危機とフェア・トレード(下)

ルカニ村でのコーヒー栽培

「コーヒー危機」に関する説明はこれくらいにして、キリマンジャロ山の西斜面にあるルカニ村で生産されたコーヒー豆が私たちに届くまでを説明したいと思います。

コーヒーの木は直射日光に弱いので「シェイドツリー(日陰樹)」を多少残し、その日陰でコーヒー生産をする。しかし大農園で生産する場合、本来の森林に比べれば多くの木を伐採します。しかしルカニ村のコーヒー農園は一見して森林に見えるように、できる限り伐採せず、うまく利用してコーヒーを生産している。これは、森林保全的な農業生産方法・土地利用形態として世界的に評価されている「アグロフォレストリー」に近いと言えます。

ルカニ村では基本的に、各農家を取り囲む1ha程度の家庭畑でコーヒーを生産していますが、コーヒーだけを栽培しているわけではなく、いくつかの農産物を混作しています。興味深いのは、縦の空間を非常に効率的に利用していることです。基本的には五層構造で、一番下の層に「ココヤム」というイモの一種、あるいは豆類を植え、二層目にはコーヒー、三層目にバナナ、四層目にはオレンジやパパイヤなどの果樹、一番上の層が森林の樹木という形になっています。

この五層構造は、畜産とも組み合わされています。例えば、バナナの葉は牛の飼料として利用されます。それを食べた牛の糞はしばらく放置され、堆肥化されてバナナやコーヒーの木の根元に投入されるので、化学肥料を使う必要はありません。ついでに言えば、農薬も使いません。と言っても、「自然環境に優しい」を追求しているのではなく、先ほど述べたように、コーヒー価格が甚だしく低迷した結果、農薬を買うための現金収入が得られないのが実際の理由です。

ただ、従来の品種のコーヒーの場合、適切な農薬使用は必要でもあるんですね。使わなければ、あからさまに病気が出てしまう。「さび病」、そしてカミキリムシの幼虫による食害。一番流行っているのが「果実病」と呼ばれる病気ですが、農薬が使えないために大発生してしまった。そうした中で、コーヒー生産を断念する若い農家が増えています。

コーヒー生産を断念した場合、代わりにトウモロコシが植えられます。私が初めてルカニ村を訪れた93年と比べ、コーヒーの木は現在、ほぼ半減しているようです。ところが、コーヒーの木とは逆に、トウモロコシは直射日光を求めるので、森林を過剰に伐採する結果につながり、森林破壊を助長するという問題点が出てきます。

とはいえ、幸いにもコーヒー生産を継続し、病害にも罹らず、それなりに収穫できている農家もあります。その場合、どのような流通経路を経て私たちにまで至るのでしょうか。

コーヒーができるまで

ブラジルのコーヒー生産の場合は、コーヒー豆がすべて一度に赤く熟し、それを機械で収穫する形がほとんどです。それに対して、キリマンジャロのような山中の斜面では、日当たり具合が一様ではないため、豆は少しずつ熟していきます。それを週末に家族総出で、2〜3ヵ月間かけて少しずつ摘み取る。そのため生産性は低い。しかし、コーヒーは1日の気温の差によって良質な味を醸し出すとされており、生産性の低さは同時に、キリマンジャロコーヒーの品質の高さにつながっているわけです。

収穫されたコーヒーの果実には種が二つ入っており、周囲を赤い果肉が覆っている。果肉除去機(回転式やすり)で種を包む皮と果肉を剥いて、種を取り出します。水洗式コーヒーの場合は種を水洗いしますが、そこで水に浮いたものは十分に熟していないとされ、捨てられるか自家用になります。

水洗いで沈むような十分に熟したものは、2日ほど水に浸けて発酵させます。この発酵がうまくいけば、抽出の際に上質の香りが生まれます。また、発酵によって表面のぬめりを洗い落としやすくするという意味もあります。その後、二回目の水洗いで表面のぬめりを落とし、日干し網の上に載せて2〜3週間じっくり天日乾燥させると、赤茶色の「パーチメント」になります。これは、いわば「玄米」のような、脱穀していない状態です。各農家はその状態で、ルカニ村の中央広場にある農協にまで出荷します。

村の農協の倉庫に一定量がたまると、隣県のモシにある「キリマンジャロ原住民協同組合連合会(KNCU)」の加工工場に集荷されます。KNCUが所有しているトラックが各村を回り、各単位農協の倉庫に保管されたコーヒー豆を集めていくわけです。加工工場では、パーチメントの表面に残っている固い殻と、中にあるシルバースキン(薄皮)を機械で取り除きます。これがグリーンコーヒー(生豆)で、この状態で消費国に輸出されます。

加工工場では同時に、大きさと重さによる選別を行います。大きくて重たいものほど高品質とされ、「AA、A、B……」と10段階に格付されます。「AA」に近いほど高品質です。機械で自動的に選別した後にコーヒー鑑定士が確認し、味見もして得点をつけた上で等階級をつけますが、それが平均的ならばAAのFAQ(標準品質豆)と格付けされる。日本へ輸出されるのはAAかAとBを混ぜたABだけで、それ以下はほとんどありません。

先ほど触れた、キーコーヒーの「キリマンジャロ・タンザニアAA+」は、「AAFAQ+」という格付けを、またUCCの「キリマンジャロ・キボ」は、「AAFAQ+」よりも上質なものを再選別したことを意味しています。日本では、そうした高品質の豆が家庭用焙煎コーヒーとして販売されています。さらに90年代の終わりから2000年初めにかけて、120円の安い缶コーヒーの中にも使われたことは、まさに「コーヒー危機」のなせる業、というわけです。

コーヒーの生豆は、この格付けにしたがって輸出業者に競り落とされ、タンガの港から世界中に輸送されていきます。中でも、日本の輸入量は多い。実際、タンザニアで生産される水洗式アラビカコーヒーでは、輸出額の4分の3を日本とドイツが占めています。輸入量の第一位はドイツですが、ドイツはキリマンジャロコーヒーを主にブレンド用に使うだけで、最高品質のものは必要ありません。だから、ドイツはタンザニアでも南部で生産されたものを多く輸入している。一方、日本は世界で一番キリマンジャロコーヒーを愛好し、しかもストレートで飲むことが多いため、最高品質のコーヒー豆を求めている。輸入量は第二位ですが、最も上質のコーヒー豆はすべて日本が買っているといっても過言ではない。

生産と消費の巨大な格差

以上、小農民から単位農協、そして協同組合連合会、さらに加工工場を経て、検査を受けたのちに競売所で輸出業者が競り落とすところまで説明しました。その後は商社を経て焙煎業者に至り、焙煎した後に小売店や喫茶店で小売りされるという流れになります。

価格の点でみると、焙煎の後に小売店で販売されている家庭用焙煎コーヒーの価格水準は、生産者が受け取る生産者価格の約21倍になっています。さらに喫茶店で抽出・給仕して提供されるコーヒー1杯の価格は、生産者価格の約227倍になっています。だから、喫茶店でキリマンジャロコーヒー一杯が450円として、たくさん飲めば産地が豊かになるだろうと思って毎日飲んでも、生産者の取り分はわずか2円ですから、残念ながら豊かにならない。

一般に、コーヒーの品質は香りと味、つまり香味によって判断されます。ところが、この香味は生豆の段階、つまり輸出の段階で7割がた決まるとされます。私が写真を使って説明した、ルカニ村での生産からタンガの港での輸出までで、コーヒー価格の7割が決まる。もちろん、輸入した日本で焙煎・抽出に失敗すれば、良質な生豆でも味は落ちますが、それは高々3割を決めるに過ぎない。とすれば、227分の1の価格差は、あまりに安すぎますよね。

ここでフェア・トレードの意義の説明につながります。これまでの説明をまとめると、私が強調したかったコーヒーの流通における不公正さは、主に二点に絞られます。一つは、先ほど述べたように、ニューヨークの先物市場の価格が基準価格になってしまうこと。ニューヨークで価格が決定されれば、タンザニア国内でいくら努力をしても仕方がない。そんな価格形成のシステムは、公正とは言えない。もう一つは、いま述べた、生産者価格と消費者価格の巨大な格差という不公正ですね。そして、フェア・トレードにはこれらを改善する力があるかどうか、という問題が出てくるわけです。

フェア・トレードについては、1989年に設立された国際フェア・トレード協会(IFAT)による定義があります。それ以前は、欧米のNGOやキリスト教会を中心に、独自の基準でフェア・トレードを行っていましたが、IFATができて以降、世界共通のフェア・トレードの定義に基づき、フェア・トレードが少しずつ均質化していきました。

さらに、1997年に設立された国際フェア・トレード・ラベリング機関(FLO)によって、各商品にフェア・トレード・ラベルを貼る条件・基準が決められていきます。現在では17品目に国際的なフェア・トレードの認証基準があり、一つの冊子ができるほど細かい規程が決められ、その基準を満たさないとラベルを貼れないシステムが確立されています。中でもコーヒーは、真っ先にフェア・トレードの認証基準が規定されました。

フェア・トレードの価格形成

ここまで価格形成システムの不公正さについて強調してきたので、価格形成に関するフェア・トレードの基準を整理しておきます。国際認証基準に則った場合、フェア・トレードの価格形成には、大きく二つの特質があります。

第一に、ニューヨーク先物価格(国際価格)が高い場合、実は輸出価格の決定について、フェア・トレードと通常の貿易の間に差はありません。国際価格を基準にして、割引・割増をする仕組みです。ただし、コーヒー危機をはじめ、国際価格が値崩れした場合、フェア・トレードでは「最低価格」が決められているため(前頁表)、それよりも安い価格では買わないことになっています。この最低価格保証が、コーヒーのフェア・トレード原則に沿った価格形成の仕組みの一つ目です。

ちなみに、最低価格は1パウンドあたり121セントと決まっています。これはFLOとして、この輸出価格なら、生産コストを差し引いても生産者に最低限の利益が残ると判断した、ということです。ただ、そうなると、国際価格が高ければともかく、安くなった場合、生産者にとって望ましい価格ではあるものの、通常のコーヒーとの輸入価格が違いすぎ、それが小売価格にも反映されて売りにくくなってしまうという弱点が出てきます。

第二に、生産者価格と消費者価格の巨大な格差を緩和する仕組みとしての「フェア・トレード・プレミアム」です。考え方としては、販売した利益の一部を生産地に戻して、そのお金でもって生産地における社会開発の経費に充てるものですが、実際には、輸出価格を決める際に、予め上乗せされて支払われています。フェア・トレードの価格形成では、1パウンドあたり5セントのプレミアムを支払うよう、義務付けられています。

そうなると、最低価格が121セントなので、これにフェア・トレード・プレミアムの5セントを足して、アフリカの水洗式アラビカは1パウンドあたり126セント。前頁表の126セントには、このフェア・トレード・プレミアムが含まれます(このプレミアムは、昨年6月から10セントに引き上げられている)。

フェア・トレードの可能性

最後に、私が携わっているルカニ村のフェア・トレード・プロジェクトについて紹介します。考え方は、フェア・トレード・プレミアムと同じです。具体的には、私たちのプロジェクトが「オルター・トレード・ジャパン(ATJ)」を通じ、フェア・トレード基準に則ってKNCUから生豆を購入し焙煎した上で、販売した利益の2%をルカニ村に戻し、図書館建設を行うというものです。

このプロジェクトを5年ほど続けてきました。協力店の一つでは、フェア・トレードのキリマンジャロコーヒーを300円で売っているので、6円が戻ってくる。それを私が調査に合わせて現地に持っていく。そういう段取りです。

対象となる図書館は、もともと90年代の初めにイギリスの高校生が村にホームステイした際、多少お金を残していったので、そのお金と村民からの募金を資金にして建設を始めたものです。ところが、90年代後半からはコーヒー危機の影響で募金も集まらず、建設途中で放置されていました。

5年にわたるプロジェクトの結果、何とか完成にこぎ着けました。もっとも、最終的には図書室、会議室、さらに子供部屋を備えたコミュニティセンターになりましたが、子供部屋は、テレビを持たない家がほとんどなので、夜になると集まってビデオやテレビを楽しむ場として使われ、昼間は保育園として利用されています。

このように、重要なのは、フェア・トレード・プレミアムの還元によって、生産地、生産者に対して具体的にどんな支援・貢献ができたのか表示する、ということです。これは、販売する側にとっても一つの利点です。実際、私の講演などを通じて、生産地・生産者への貢献ができることを売り文句にしたいと考え、FLO基準のもとでフェア・トレードを始めた中小焙煎業者もあります。

しかし、FLOの基準でやっている限り、それがどう具体的な貢献につながっているのか、FLOからはまったく伝えられない。結局、教育や生活水準の向上に役立てるというような曖昧な内容しか表示できないので、なかなか売れない。それに対して、私たちのプロジェクトは、「このコーヒーを飲むと図書館が建つ」という具体的な支援のあり方を打ち出すことで、多くの顧客に興味を持ってもらおうと努力をしたわけです。

ただ、残念ながら、そうした具体的な生産支援の内容を打ち出しても、それに引きつけられる消費者は未だ多くありません。一般にコーヒーの品質は香味と判断されますが、それだけでなく、生産者支援も新しい品質として理解する消費者が増えなければ、提供する側がいくら生産者支援の内容を表示しても、普及は進みません。

とはいえ、そうした消費者が増えるならば、生産者を支援する力の大きいフェア・トレード商品をより多く購入することになり、それによってフェア・トレード商品の普及が進むという、望ましい循環が実現する。まだ時間はかかるでしょうが、この点を強調して、話を終えたいと思います。

質疑応答A

【質問】協同組合の役割と現状、協同組合とフェア・トレードとの関係について。

【辻村】日本の農協と米の関係によく似た構造です。タンザニアは80年代半ばまで社会主義政策をとっていたこともあり、協同組合が小農民からコーヒー豆を集めて政府機関に売る流通経路だけが認められていました。それが94年に民営化され、民間業者=多国籍企業が直接、小農民から購入可能になった。政府側は、農村で買い付け競争が起これば多少は価格が上がる、と考えたようです。

ところが、多国籍企業は何社も買い付けにくるものの、買い叩くために談合して、協同組合の価格に比べて少し上乗せした同一価格をつける。要するに、協同組合と民間業者の価格競争はあっても、民間業者の間はまったく競争がない。だから、生産者価格はそれほど上がらなかった。

この点で言えば、協同組合は民間業者の買い付け価格に対する「下支え」の機能を果たしているわけですが、協同組合の経営状況が非常に悪いので、その「下支え」機能はたいへん弱々しい。また基本的にニューヨークで貿易価格の水準が決まるわけですから、国内でどれだけ競争をしても、既に上限が決まっているという限界がある。

その中で協同組合が生き残るためには、やはりフェア・トレード組織につながるしかないでしょうね。FLOのフェア・トレード基準の下では、小農民の協同組合からコーヒーをより直接的に購入しないと、認証を得られないことになっている。実際、それまで輸出業務をしていなかったKNCUも、イギリスのフェア・トレード団体に乗っかる形で連携を始めました。ただ内容的に見ると、KNCUは巨大な連合会であり、「小農民の協同組合」であるのか疑問です。もっと小農民の視点に立った協同組合やフェア・トレードを重視すべきです。

【質問】コーヒーの国際価格が下がった場合にフェア・トレードが生産者を守る機能を果たしていることは、よく分かりました。では、国際価格が高騰した場合、つまりフェア・トレードでなくても売れる条件が生じたときに、フェア・トレードの役割は何なのか、と思うんですが。

【辻村】FLOの基準の下では、社会開発の経費にあてるフェア・トレード・プレミアムの5セント(現在は10セント)分が、価格形成上はメリットになります。ただ、それ以外となると、どうも……。

最近、大手企業がフェア・トレードに積極的に参入しております。彼らの場合、一定の量と質を継続的に調達できる産地でないと不可能なので、それが可能な数少ない生産組織、産地で買い付け競争が生じています。その結果、フェア・トレード・コーヒーの購入価格が非常に高騰しているのが現状です。

そういったフェア・トレードのかたちではなくて、生産者と消費者が永続的な信頼関係をつくってお互いが生活を助け合うという産消提携型のフェア・トレード、生産者が消費者に生活必需品を提供し、消費者は高めの安定価格で生産者の一定の生計費を保障するというフェア・トレードが望ましいのではないでしょうか。

【質問】フェア・トレードが拡大すると、一方では換金作物の栽培が拡大し、自給的生産を圧迫する危険性があるのでは。よつ葉の場合、自給を基礎に産消提携、地産地消を目指しているわけで。

【辻村】一般論としては分かりますが、個別の事情によって異なると思います。

ルカニ村の人々は「男性産物」「女性産物」という言い方で、販売で得た収入の使途に応じて生産物を明確に区分しています。例えば、バナナや牛乳は「女性産物」で、自給用と同時に販売用でもあり、販売収入は日用品のために出費される。他方、コーヒーやトウモロコシは「男性産物」で、販売収入は教育や医療、あるいは住宅建設、さらに社会開発のための募金に使われる。

つまり、女性産物は最低限の生活水準を維持するために使われ、男性産物は開発・発展を促す目的に使われる。そうした区分があるため、コーヒーが儲かるからといって女性産物を犠牲にすることはない。だから、ルカニ村をみる限り、コーヒーのモノカルチャー化の危険は感じません。

ただ、他の村をみると、一次産品への依存率が高くなり、最低限の生活水準を維持する自給部門が弱体化しているというのは確認できます。あるいは、この間コーヒーが儲からなくなったために、従来は女性産物だったトウモロコシが男性産物化しつつあります。

その意味では、コーヒーが儲かりすぎるから女性産物の部分が弱体化するというより、儲からなくなった結果、それを埋める形で女性産物が男性産物化する傾向にあるので、それに伴って女性産物が弱くなるのでは、という危うさは感じます。

※ 文中で使用した図と表は、当日の辻村さんのレジュメから引用しました。

◆    ◆

【感想】 「不正義論」からの「フェア・トレード」

辻村さんのお話を拝聴し、これまで曖昧だった「フェア・トレード」に関する視点が明瞭になった気がする。思えば、現実に行われているフェア・トレードの諸実践を前提にして、一義的な定義が存在するかのように思い込んでいたのだろう。

「ポジ・ネガ」で言えば、「フェア・トレード」は本来「ネガ」であり、現に生じている不平等、不公正な状況を変革するための批判的媒介と言える。これに絡み、辻村さんは正義論と不正義論に関するA・センの論議を踏まえ、こう記している。

「著者のフェア・トレードの分析は、一貫して不正義論からの展開である。…現実のコーヒーの価格形成の不公正さを、フェア・トレードによる価格形成が除去・回避できるか否かで、その具体的な意義と課題を導こうとしている」(『季刊あっと』第3号、06年4月、66頁)。

価格形成の問題は同時に、それが及ぼす影響も含め、込み入った関係の形成を必要とするはずだ。モノのやりとりを通じて、その向こうにある背景・要因を知り、共に現状を克服する方途を探るような関係の形成を。

こうした関係の上で展開される活動の形態は、多様であるべきで、一義的な概念規定を行うことは、むしろ本末転倒だろう。いわば、現状に対する批判・変革としてのフェア・トレードの中に、個々具体的な「フェア・トレード」の諸実践が含まれる構図である。

おそらく、後者を積み重ねれば重ねるほど逆に、前者の内容が問い直されざるを得なくなるだろうが、当然ながら、これは国境を越えて行われるモノのやりとりにとどまらない。よつ葉グループも含めた産直運動の要とも言えるだろう。(山口協:研究所事務局)


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