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リレーエッセイ:何故、韓国農民の闘いはかくも熱き政治性を帯びるのか?

ある詩人の残したもの

少し前、本棚を掃除していたら一冊の詩集が出てきた。1987年4月25日初版第一刷発行である。私がまだ若かった頃、確か何かの集会の時に買ったような記憶がある。冒頭の詩『灰溜まり』を一読し、感動を抑制できないまま、おもわず朗読してしまっていたのを覚えている。「花だ 血だ 血だ 花だ 血だ 花がみえぬ 血がみえぬ」で始まる若者らしい苦悩と希望の闘いの詩だ。能力もないくせに、原語で読むことができたらもっと深い感動がえられるのに、と思ったりもした。

金南柱の詩集『農夫の夜』である。「民族分断の鉄鎖を打ち砕き『勝利の世界』を予言する農民詩人金南柱の作品65編」とある焦げ茶色の帯を、何を想うでなく、ただ懐かしく見ていて「あっ」と思い出した。「そうだっ。あれからこの詩人はどうなったのだろうか?」と。私がこの本を購入した年は「南朝鮮民族解放戦線事件」のメンバーとして逮捕され、懲役15年の判決を受けて下獄し、まだ刑期が半分も過ぎてない頃である。

時代は少しだけ前になるが、獄中詩人としては金芝河が有名である。しかしながら、『五賊』は若い私には難解過ぎたのか、心に響きはしなかった。金南柱は、あの朴正煕の時に逮捕され全斗煥の時代に判決を受けているわけだから、反体制活動家の人権などは髪の毛ほどもない、ありとあらゆる口実をつけて刑期の延長や再逮捕、処刑など思いのままだった軍事独裁の暗く厳しい時期に投獄されたわけである。それからしばらくの間「金南柱はどうなるんやろか?」と思って新聞等で韓国情勢を注目した。しかし、かなり情けない話だが、遭ったこともない、写真をみたこともない、当時の私にとっては無名の、遠い韓国の農民詩人の行く末を案ずることなど、いつのまにか忘れてしまっていたのだ。

いたたまれぬ恥ずかしさと罪悪感が入り交じる悔悟の中、本棚の掃除は中断された。すぐに友人の鄭君に連絡し金南柱のその後を調べてもらった。個人史といえどもかなり大量なので、かいつまんで言えば、1979年「南民戦事件」で73名逮捕される。主要メンバーとされた人の中には処刑または獄死させられた人も多数いた。金南柱氏は(ここで初めて氏をつけさせてもらうが)辛うじてといっても幸いにもといっても処刑された人々に失礼になるが、1989年12月21日に釈放要求運動の成果によって9年8ヶ月ぶりに出獄(44才)。その後も数々の民衆活動を続けていたが、1994年2月13日午前2時30分、膵臓癌のため逝去(享年49才)。

1946年10月16日、全羅南道海南に下層農民の三男一女の次男として生まれる。光州一高時代に教育問題から政治活動に目覚め、故郷において「海南農民会」や「サランバン農民学校」運動を結成・参加する。49年の生涯を通して、一貫して民衆の声、下層農民の思いを自らの魂の叫びとし、抵抗の詩を謳い続けた。「そうして我らが野をこれ以上都市の穀物地帯にするな。そうして我らが村をこれ以上都市の商品市場にするな。そうして我らが息子 娘に世間のえらい奴らの高価な雇用暮らしをさせるな」(『農夫の仕事』より)。これらの思想は、今も韓国国内で多大な影響を与えている。そんな故金南柱氏の言霊に私が再び触れたのは、奇しくも彼が1994年2月13日に亡くなってからちょうど14年目にあたる2008年2月13日その日であった。(北野 要)


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